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室町幕府執事高師直施行状(館蔵品1066)

館蔵品1066 室町幕府執事高師直施行状

高師直施行状

【釈文】
兵庫頭入道明意申、紀伊
国楠見郷地頭職〈守時跡〉事、
任去康永元年七月七日御
下文之旨、湯浅八郎左衞門入道
相共、可被沙汰付明意代之
状、依仰執達如件、
  康永四年七月九日 武蔵守(花押)
   藤並彦五郎入道殿

【内容】
この文書は、室町幕府執事・高師直(?~1351)が康永4年(1345)7月9日付けで
有田郡藤並荘(有田川町藤並)に拠点を有した藤並彦五郎入道(正)に宛てた文書です。
文書の内容は、兵庫頭明意が申している楠見郷(和歌山市楠見)地頭職のことについて、
康永元年7月7日付けの足利尊氏の御下文の旨に任せて、
湯浅八郎左衞門入道(湯浅嫡流家の宗武ヵ・宗利ヵ)とともに、
明意の代官に沙汰付けするように、
ということを命じています。

室町幕府執事の施行状は、恩賞宛行にかかわる袖判下文など
の室町幕府将軍発給の文書を再度チェックし、
それを物理的強制力をもって実現させることで、
初期室町幕府の低い行政能力を補完する機能を果たした文書と位置づけられています
(亀田俊和「室町幕府執事施行状の形成」)。
この文書も、足利尊氏の下文(恩賞宛行)の実行を促す文書となっています。

南北朝時代の湯浅党は、各家や時期によって南朝方につく者、北朝方につく者など様々でした。
この時期に湯浅氏(嫡流家)と藤並氏が北朝方として、
現地で遵行(管国内における命令の強制執行)を担う存在であったことがわかる点も重要です。

また、楠見郷が赤橋守時(1295~1333、鎌倉幕府北条氏一門)旧領
であることがわかる点も興味深いものがあります。
楠見郷が、鎌倉時代後期には得宗北条氏の所領となっていたこと、
また南北朝期には北朝(尊氏)が所領の宛行をしていたこともわかります。

鎌倉末~南北朝時代の湯浅党の動向や
紀北の政治状況をうかがうことができる文書として重要です。

なお、この文書は、『大日本史料』6-9(p143)、『紀伊国阿弖河荘史料』二(358号)、
『和歌山市史』第4巻(南北朝時代105号)、『吉備町誌』上巻(p970)などで
野田家文書として既に紹介されています。


(当館学芸員 坂本亮太)
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