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道成寺縁起(重要文化財・道成寺蔵)の詞書釈文と現代語訳

道成寺縁起(重要文化財・道成寺蔵)の詞書釈文と現代語訳

凡例
・特別展「道成寺と日高川」出陳の道成寺縁起(重要文化財・道成寺蔵)の鑑賞支援のための釈文及び現代語訳です。
・掲示の方法は、先に釈文を全文示し、次に現代語訳全文を示しています。
・釈文は原資料の改行部分を反映していません。また釈文中の「〱」は繰り返しを表す記号です。
・現代語訳の解釈は、確定的なものではなく、便宜的なものです。
・釈文・現代語訳ともに、男女間の差別の実態を示す不適切な文言が含まれますが、現代社会においてもなお残る人権に反した差別構造を解消することが私たちの共通の責務であり、歴史的事象と正しく向き合うことの重要性を鑑み、史料としてそのまま提示するものです。
・釈文、現代語訳は、主査学芸員大河内が担当しました。

【釈文】
[上巻]

醍醐天皇之御宇延長六年戊子八月之比自奥州見目能僧之浄衣着か熊野参詣するありけり紀伊国室の郡真砂と云所に宿あり此亭主清次庄司と申人の娵にて相随ふ者数在けり彼僧に志を尽し痛けり何の故と云事をあや敷まてにこそ覚けれ然に件の女房夜半計に彼僧のもとへ行て絹をうち懸制伏て云様わら我家には昔より旅人なと泊らす今宵かくて渡せ給ふ少縁事にあらす誠一樹の影一河の流皆先世の契とこそ承候へ御事を見まいらせさふらふより御志し浅からす何かは苦敷候へき只かくて渡せ給候へかしと強に語ひけれは僧大に驚き直申す年月の宿願在て持戒精進而白雲万里の路を分蒼海漫〻の浪を凌て権現の霊社に参詣の志を運争か此大願を破へきとて更に承引気色なし女房痛恨けれは僧の云此願今二三日計なり難無参詣遂宝弊を奉り下向の時哪にも仰に随ふとて出にけり大方此事思も寄ぬ事なれは弥信を致しけり其後女房僧の事より外は思はす日数を算て種〻の物を貯て待けれとも其日も暮けれは上下の檀那にしかくの僧や下向し候つると尋けれは或上道の先達さやうめかしき人は遥に過候ぬらんと申も終されは偖はすかしにけりと怒て鳥の飛かことく叫行設深き蓬か元まても尋ゆかんする物をとてひた走にはしりけり道つきすりの人〻も身の気よたちてそ覚えける

争か偽事をは申候へき 疾〻参候へし
かならす待まいらせ候へし

先の世の契りのほとを御熊野ゝ神のしるへもなとなかるへき
御熊野ゝ神のしるへと聞からになを行末のたのもしきかな
これまてにて候下向を御待候へ

なふ先達の御房に申候我わか男にて候法師かけこ手箱の候を取て逃て候若き僧にて候か老僧とつれて候いか程のひ候ぬらむ
さ様の人は今は七八町のひ候ぬらむ
七八町と云事あらし十二三町も過候へし

やゝ先達の御房に申すへき事候浄衣くら懸て候若き僧と墨染着たる老僧と二人つれて下向するや候つると尋けれはさ様めかしき人は遥に延候ぬらむといゑはあな口惜やさては我をすかしにけりと追て行縦くもの終霞の際まても玉の緒の絶さらむ限りは尋む物をとてきりむほうわふなんとのことく走とひ行けり

能程の事にこそ恥の事も思はるれ此法師めを追取さ覧かきりははき物もうせふかたへうせよとて走候
女房は御覧し候か
あな〱恐しやいまた此法師はかゝる人を見候す〱

あな〱口惜やいちとてもわれ此法師めを取つめさらん限は心はゆくましき物を
能程の時にこそ恥もなにもかなしけれうらなしもおもてなしもうせふ方へうせよ
こゝなる女房のけしき御覧候へ
誠にもあな〱をそろしの気色や
人のあひたらんにはつかしさはいかに
けにもくるしかるましくはたひもせよかし
道にてはくるしからぬ物にて候へはふくたやしなはせ給へ
きぬはりはきのにくさはともすれはくゝりかとけてたまらはこそあらめ

あな〱口惜やいかゝはせむ〱この身をはこゝにてはやすてはてゝ命を思きりめ河なけきのなみた深けれはうき名をなかすとても力なき事かな

きりめ五躰王子

やゝあの御房に申すへき事あり見参したるやうに覚候いかに〱とゝまれ〱
(こゝは上野といふ所)
努〻さる事覚候はす人たかへにそかくはうけ給候らん
己れはとこまて〱やるましき物を

南無金剛童子助させ給へあな恐しのつらつふてや本より悪縁と思しか今かゝるうき目を見る事よおゐも笠も此身にあらそやおしからめうせふ方へうせよ
  欲知過去因 見其現在果
  欲知未来果 見其現在因

先世にいかなる悪業を作て今生にかゝる縁に報らん南無観世音此世も後の世もたすけ給へ

(塩屋と云所)

南無大悲権現と口に唱え心に念して逃けり自から人の気色したりしたにも心身につかすいはむや蛇となれるを見つゝ声も惜ますおめき行

あゝ世末になれはとて親りかゝる不思儀の事もありけり目も心も不及

日高河と云かわにて折節大水出て此僧舟にて渡ぬふな渡に云様かゝる者の只今追而来るへし定而此ふねに乗らんといはむす覧穴賢〻〻のせたまふなといひけり此僧はいそき逃けりあむのことく来て渡せと申けれとも舟渡わたさす其時きぬを脱捨て大毒蛇と成て此河をは渡りにけり舟渡をはちけしと申ていわうちにありけると日記には慥に見えたりこれを見む人は男も女もねたむ心を振捨て慈悲之思をなさは仏神の恵あるへし

[下巻]
日高郡道成寺と云寺は文武 天皇之勅願紀大臣道成公奉行して建立せられ吾朝の始出現千手千眼大聖観世音菩薩の霊場なり件僧此寺に参事の子細を大衆に歎けれは衆徒愍を垂て大鐘を下して僧を中に籠御堂を立けり此蛇跡を尋て当寺に追来り堂のめくりをたひ〱行まはりて僧の居たりける戸に至尾にて叩破て中に入て鐘を巻て龍頭をくわへて尾を以たゝくさて三時あまり火焔もえあかり人近付へき様なし身の気よたちてそ覚ける四面の戸を開寺中寺外の人〻舌をふり目を細めつゝ中〱言葉なくてそ侍りける偖蛇両眼より血の涙をなかし頭をたかくあけ舌をひろめかし本の方へ帰りぬ其時近く寄て見るに火いまた消す水を懸て鐘を取除て見れは僧は骸骨計残て墨のことし目もあてられぬ有様哀みの涙せきあへす老若男女近も遠も見る人は哀を催さぬはなし其後日数経て或老僧の夢に見るやう二の蛇来て我は鐘にこめられまいらせたりし僧なり終に悪女のため夫婦となれり吾先生の時妙法を持つといへとも薫修とし浅くしていまた勝利にあつからす先業限あれは此悪縁にあふ願は一乗妙法を書供養しまし〱て廻向給へ然者吾菩提を証し得脱をゑん事疑なし僧も後生を成就せむ事子細あるへからすと夢現ともなく見えけり則信を致経を供養しけり此事を倩私に案するに女人のならひ高も賤も妬心を離れたるはなし古今のためし申つくすへきにあらすされは経の中にも女人地獄使能断仏種子外面似菩薩内心如夜叉と説かるゝ心は女は地獄の使なり能仏に成事を留めうゑにはほさつのことくしてうちの心は鬼のやふなるへし然共忽に蛇身を現する事は世にためしなくこそ聞けれ又たちかへりおもへは彼女もたゝ人にはあらす念の深けれはかゝるそと云事を悪世乱末の人に思知せむために権現と観音と方便の御志深き物なり且は釈迦如来の出世し給しも偏に此経の故なれは万の人に信をとらせむ御方便貴けれは憚なから書留る物なり開御覧の人〻はかならす熊野権現の御恵にあつかるへき物なり又念仏十返観音名号三十三返申さるへし

なにとさへける事そ誠しからぬ事かな
いかてか空事を申入候へき
たゝおけきりなくて見せむもの〱しく

大唐はそもしらす我朝に取てはいたく其例ありともきかす言語なき事かな
その事に候いくたの森に身を捨し女もしにてこそ鬼とはなりけるときゝ候へ
其鐘を御堂の内へ入よ戸をたつへし

かやうの事を各〻にはとくいはて
かねひきかつきてあやまちすな
あゝ
たゝをけこれほとの物を
ゑい〱

希代ふしきの事かな
とはなに事そ

(一切恭敬)

其後老僧夢に見る様清浄の妙衣着たる二人来て申す一乗妙法の力によりて忽に蛇道を離れて忉利天にむまれ僧は都率天にむまれぬこの事をなしをはりて各〻あひわかれて虚くうにむかひてさりぬと見えけり一乗妙法の結縁いよ〱たのもしくて人〻をこたらすよみけり

声を高くあけてよむ
正直者(捨)(捨)方便
伹説无上道

(花押)
右此御判者 御公方様/天正元年十二月日望興国寺/被移 御座節此縁起為御所望/之間即懸御目 御感不斜/可為日本無双之縁起時代迥/此歓見不思儀也被出仰末代之/御禄被印 御判時別当永叶/御盃相添御太刀一腰御馬一疋/下給候而已

【現代語訳】
[上巻]
 醍醐天皇の御代、延長六年(九二八)八月のころ、奥州より美しい僧が清らかな衣をまとって熊野に参詣していました。紀伊国牟婁郡の真砂というところに宿があり、その亭主は清(きよ)次(つぐ)庄(しょう)司(じ)という人の嫁で、召使いもたくさんいました。その女房は僧を歓待しましたが、僧はなぜそんなに親切なのか怪しむほどでした。その夜、女房は僧のもとにきて、夜(よ)着(ぎ)をかけて僧に添い寝し、「この家には昔から旅人なんて泊めません、このように私が誘うことになったのも、一樹の影一河の流れ、前世からの因縁でしょう。あなたを一目見た時から思う気持ちは浅からず、何も遠慮せずに、どうぞここで一緒に暮らしましょう」と強引に語るので、僧は大いに驚き、起き直して言うには、「宿願があって持戒・精進し、遙か遠くの道のりや、激しい波濤を越えて熊野権現に詣りにきたのに、どうしてこの大願を破れますか」と応じるようすでありません。女房がひどく恨むと、僧が言うには「あと二、三日で無事に参詣して宝幣を奉れば、帰る際に言う通りにしよう」と行って家を出ました。僧は思いもよらぬことで、いよいよ信心を固めたのでした。女房は僧のことだけを思い、いろいろなものを用意して待っていましたが、日も暮れ、往来の人々に「このような僧が下向して来ませんでしたか」と尋ねると、ある先達が「そのような人ならばはるか先に行っています」と言い終わらないうちに「さては騙したな」と怒って、鳥が飛ぶように叫びながら「どんなに深い草むらの根元までも尋ねて行く」とひた走りに走りました。行きずりの人々は女房を見て、身の毛もよだつ思いでした。

「どうして嘘をいうことがありましょうか。急いでお参りしてきます。」
「必ず待っておりますから」
「先の世の契りのほどを御熊野の神のしるべもなどなかるべき」
(前世からの約束であるのだから、熊野の神の霊験がどうしてないことがありましょうか)
「御熊野の神のしるべと聞くからになを行く末のたのもしきかな」
(熊野の神の霊験と聞きますと、これから先の無事を思い頼もしく思います。神を信じていきましょう)
「それではこれで。下向をお待ち下さい。」

「ねえ、先達の御房にお尋ねします。私の男(下男か)であった法師が、懸子の箱を取って逃げました。若い僧ですが、老僧と連れ立っています。どれくらい逃げましたでしょうか。」
「そのような人は、今は七~八町(七〇〇~八〇〇m)は先に行っていると思いますよ」
「七~八町ということはないだろう。一二~一三町(一・二㎞~一・三㎞)は過ぎただろう。」

「おーい、先達の御坊に聞きたいことがあります。浄衣を懸けた若い僧と墨染めの衣を着た老僧が二人連れ立って下向するのを見かけませんでしたか」と尋ねると、「そのような人ならば、はるか先に行っていますよ」というと、「ああ悔しい。さては私を騙したな」と言い追って行きました。

「たとえ雲の果て、霞の際までも、自分の命の絶えない限りは追いついてやる」と言って、麒麟か鳳凰のように飛ぶように走って行きました。

「普段のことなら恥ずかしいということも思うけれど、あの法師を追いかけ捕まえるまでは(そんなことを思っている場合でない)。そんなことであるから、履物なんか、どこへなと行ってなくなってしまえ」と言って走って行きます。
「今の女房見ましたか」
「ああ、ああ、恐ろしい。今まで私はこんな人を見たことがない」

「ああ、ああ、悔しい。一度でもあの法師を引っ捕らえてやらない限りは胸がはれないものだ」
「普段のときであれば、恥も何も大切にするものであるけれど、(女性用の)うらなしの草履も、面(おもて)なし(恥ずかしさ)もどこへなと消え失せてしまえ」
「そこの女房の顔を御覧なさい」
「本当に、まあまあ恐ろしい形相だこと」
「人に会ったらどんなに恥ずかしいことでしょう」
「さあどうしよう、ほんとうにかまわないなら、食べてみてもいいわ」(左の男が勧める餅を見て)
「道中では構わぬものですから、福田餅をお食べなさい」
「絹の脛巾の具合の悪い所は、ともすると、しばっている紐のくくりがほどけてしまうことだなあ」

「ああ、ああ、悔しい。どうしてやろう。たとえこの身をここに捨て果てて、命を思い切ったけれど、ここは切目川。嘆きが深く涙があふれてしまう。浮き名を流したとしても、どうすることもできない」

(切目五体王子)
「おーい、そこの御房に言うべきことがある。あなたとは会ったことがあると思うが、どうなの、どうなの。止まれ、止まれ」
(ここは上野というところ)
「ゆめゆめそんなことは覚えておりません。人違いです。そのようなこと、なかったですよ」
「おのれは(なんとひどい奴なのだ)。どこまでも、どこまでも、逃がしはしません」

「南無金剛童子、お助けください。ああ恐ろしい形相だ。元から悪縁とは思っていたが、こんな辛い目に遭うことになろうとは。笈(おい)も笠も、この身に付けていくのなら惜しいが、今ハそれどころでない。どこへでも行ってしまえ。」
過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すればその現在の因を見よ。

「前世にどんな悪行を作って、今生にこんな報いを受けるのだろう。南無観世音、この世も後の世もお助けください。」

(塩屋というところ)
「南無大悲権現」と口に唱え、心に念じて逃げて行きました。もともと女房が人の姿をしていたときでさえ、恐ろしくて気が気でなかったのに、蛇になるのを見てしまったら、あらん限りの声で叫びながら逃げていきます。
「ああ、世も末であることだ。目の当たりにこんな不思議なことがあるなんて。目も心も及びもつかない」

 日高川という川では、その時大水が出ており、僧は舟で渡りました。渡し守に「このような者がすぐに追ってきて、きっと舟に乗ると言うので、絶対、絶対、乗せないように」と。僧は急いで逃げ、その通り女房がやってきて「渡せ」と言うけれど、渡し守は渡しませんでした。その時女房は着物を脱ぎ捨て、大毒蛇となって川を渡りました。この時の渡し守は「ちけし」と言って、岩内にいると日記に確かに書いてあります。この絵巻を見る人は、男も女もねたみの心を捨てて、慈悲の思いを起こしたならば、仏神の恵みがあるでしょう。

[下巻]
日高郡の道成寺という寺は文武天皇の勅願で、紀大臣道成公が奉行して建立せられた、わが国で初めて千手千眼観音が出現せられた霊場です。件の僧がこの寺に来て、事の仔細を寺の衆徒たちに訴えると、衆徒たちは僧をあわれみ、大鐘をおろして僧をその中に入れ、お堂に戸を立てました。蛇は僧の跡を追ってこの寺に来て、堂の周りをぐるぐる回り、僧のいる戸に至り、尾で叩き破って中に入り、鐘を巻いて竜頭をくわえ、尾で鐘をたたきました。一時間半ほど火焔が燃え上がり人は近付けられず、衆徒は、身の毛がよだつ思いで四面の戸を開き、ただ舌を振り目を細めるばかりで言葉もなくいました。蛇は両眼から血の涙を流し、頭を高く掲げ、舌を出してもと来た方に帰って行きました。近くでみると火が消えておらず、水をかけ、鐘を取り除くと僧は骸骨ばかり残って炭のよう。目も当てられぬ有様で、哀れ涙は止まりません。老若男女、近くも遠くもみな哀れみを催さないものはなかった。その後数日を経て、ある老僧の夢に二匹の蛇がきて、「私は鐘にこめられた僧で、ついに悪女のために夫婦になりました。生前は法華持経者でしたが、修行の年浅く成果が得られず、修行が足りずにこの悪縁に会ってしまいました。 願わくは、法華経を書写して供養して下さい。そうすれば私は必ず菩提を証して解脱できます。あなたも来世に仏果を成就できます」と、夢とは思えないようすで見えたのです。僧はこれを信じ、法華経を供養しました。このことを考えるに、女人は、高貴な人もそうでない人も妬み心のない人はなく、涅槃経にも「女人地獄使、能断仏種子、外面似菩薩、内心如夜叉」と説かれているその意味は「女は地獄の使いで、成仏することを留め、表面は菩薩のようだが、心の内は鬼のようだ」ということですが、たちまち蛇身となることは例のないことです。 振り返ってみると、彼女もただの人ではなく、思いが深いとこうなることを悪世乱末の人に思い知らせるための、権現と観音の深い志を持った方便なのです。また釈迦如来が出現されたのも、ひとえにこのお経のためですから、すべての人に信心の心を起こさせる方便の貴さを書き留めます。この絵巻を開きご覧になる方は、必ず熊野権現のお恵みを受けられます。念仏一〇返、観音名号三三返を称えてください。

「何と騒々しいことか、本当とも思われぬことだなあ」
「どうして嘘を申しましょうか」
「ほおっておけ。無限の力を見せてやろう。大騒ぎするな」

「大唐国のことは知らないが、日本ではそういう例があったとも聞いたことがない。言語道断のことだな」
「そのことです。生田の森に身を捨てた女も、死んだからこそ鬼になったと聞いていますよ」

「その鐘を御堂の中に入れて戸を立てて閉めよ。」
「このような事を、みんなに早くに言わずに(急にやれという)」
「鐘を担ぎ出して、落とすなよ」

「ああ」
「そのまま置こう。これほどの物だから(大丈夫)」
「えいえい」

「希代の不思議なことだな」
「これは何事でしょう」

(一切の仏を恭しく敬います)

 その後老僧の夢に、清浄の妙衣を着た2人が現れて「法華経の功徳によって、たちまちに蛇道を離れて、女は忉(とう)利(り)天(てん)に生まれ、僧は都(と)率(そつ)天(てん)に生まれました」と言うと、それぞれ別れて、虚空に向かって去っていくのが見えました。一乗妙法の経典である法華経に結縁することがいよいよ頼もしく、人々は怠ることなく読誦を続けました。

声を高くあげて読む
正直捨方便
但説無上道

(足利義昭花押)
右のこの御判は御公方様(足利義昭) が、天正元年一二月一五日に興国寺に移られた節、この縁起をご所望され、すぐにお目にかけたところたいそうお喜びになり、「日本に二つとない縁起で、時代は遙かであるがこのように歓び見るのは不思議であるとおっしゃって、末代の御禄にと御判を印せられた。その時の別当永叶に御盃、御太刀一腰、御馬一疋を添えて下された。
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