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コラム 家紋瓦と系譜書

家紋は中世以来、戦場での敵味方を識別するために旗や幟に家の印(「旗紋」)をつけ、その存在を明らかにするものとして使用されました。
上級武士の場合は、陣幕などに自家の紋(「幕紋」)をつけた場合もあったようです。
家紋は、まさに戦う際の団結の象徴ともいえるものでした。
 ところで、家紋瓦が盛んに使用されるようになるのは豊臣秀吉のころといわれます。
慶長3年(1598)に行われた大坂城三の丸の造営で、大名屋敷に家紋瓦が使われたことが発掘調査によって明らかになりました。和歌山城の瓦に、浅野家や徳川家の家紋瓦が使われていたことはよく知られていますが、18世紀ごろの安藤家や水野家の屋敷にも家紋瓦が使用されていたことが発掘調査から明らかになりました。

08 下がり藤紋鬼瓦D3A_0566 下がり藤紋鬼瓦 (公財)和歌山市文化スポーツ振興財団蔵 〔展示番号8〕

08 下がり藤紋軒丸瓦D3A_0572 下がり藤紋軒丸瓦 (公財)和歌山市文化スポーツ振興財団蔵 〔展示番号8〕

10 沢瀉紋軒丸瓦D3A_0555  沢瀉紋軒丸瓦 (公財)和歌山市文化スポーツ振興財団蔵 〔展示番号10〕

 寛政年間(1789~1801)、藩では家臣に系譜書の提出を命じます。身分制度が緩み始めるなかで家格を重視しようとする動きと、費用がかさむ特注品(家紋瓦)が使われる動きとは関係するかもしれません。

つづく

現在、和歌山県立博物館では企画展「紀伊徳川家の家臣たちⅡ」を開催しています。ご来館をお待ちしています。

(主任学芸員 前田正明)

→企画展「紀伊徳川家の家臣たちⅡ」
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