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熊野水軍のさとシンポジウム「列島の中の熊野水軍」が開催されました

3月11日(土) 和歌山県立近代美術館2階ホールにて、
白浜町教育委員会主催による熊野水軍のさとシンポジウム「列島の中の熊野水軍」が開催されました。
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まず最初に、安宅荘中世城郭発掘調査委員会の
副委員長である高橋修さん(茨城大学文学部教授)から、
開会挨拶と趣旨説明をしていただきました。
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次に記念講演として、東京大学史料編纂所の黒嶋敏さんに
「「熊野水軍からみた中世後期の『列島再編』」と題してお話いただきました。
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 黒嶋さんの近著『海の武士団-水軍と海賊のあいだ-』で取り上げられた「海の勢力」論にはじまり、
内乱の時代である室町・戦国期に熊野水軍の組織的な水軍活動がみられなくなるのはなぜか、
といった課題を、紀伊半島を海の道として捉えて考えてみる、という趣旨でお話いただきました。
「明徳記」などを素材に、室町幕府の成立が紀伊半島の流通に与えた影響について、
東国との関係など潮岬ルートの断絶(紀伊半島の東西化)の問題に触れてていただきました。
中世の日本列島全体の流通構造のなかでの熊野(紀伊半島)の位置を知ることができる、
非常に興味深い内容のご講演だったように思います。


その後、安宅荘中世城郭発掘調査委員会の委員による3本の基調報告を行いました。
基調報告①として、和歌山市文化スポーツ振興財団の北野隆亮さんに、
「備前焼からみた安宅荘中世城館群-要害山城跡出土資料を中心に-」
と題して報告いただきました。
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 岡山県伊部に生産地がある備前焼について、
和歌山県内遺跡の出土事例から備前焼の流通状況を概観。
要害山城跡の遺物や長寿寺大甕などを素材に、日置川流域が備前焼流通の商圏拡大の場であり、
なおかつ流通拠点であったことを紹介され、
日置川流域と瀬戸内海との関係について触れてただきました。

基調報告②として、当館学芸員坂本が、
「熊野水軍の古文書-小山家文書の世界-」と題して報告しました。
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 企画展「躍動する紀南武士-安宅氏と小山氏-」の紹介を中心に、
山間部(日置川中流域)に拠点を有する小山氏が残した小山家文書の魅力と可能性を紹介しました。
特に、日置川中流の三箇荘に拠点をもちながらも、紀伊水道をまたにかけ、
山林資源の管理をする紀南の水軍領主のあり方について触れました。

基調報告③として、白浜町教育委員会佐藤純一さんに、
「安宅荘中世城館群の現在-これからの保全と活用-」と題して報告いただきました。
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 中世安宅荘城郭群のこれまでの調査(発掘調査・遺構確認調査)と
その成果の概要を紹介していただき、今後の保全と活用について、
民泊事業との関連などの様々な取り組みについても触れていただきました。


最後に、和歌山城郭調査研究会の白石博則さんをコーディネーターとして
黒嶋さんと基調報告の3名でパネルディスカッションを行いました。
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 会場からの質問も受けつつ、熊野の水軍領主としての特徴は何か?
といったテーマなどを討論しました。
水軍領主は複数の拠点をもち移動しつつ活動するのが基本的な姿であるとのご意見もあり、
日置川流域に拠点をもつ安宅氏や小山氏などは、
山「も」(海も)活動の舞台とするとするところに大きな特徴があることなどが改めて確認されました。
また中世安宅荘城郭群も、
山林の資源と海との両方をおさえる場所に拠点を築いていることが重要であり、
他の水軍領主にはない大きな特徴なのではないか(ほかに類例は見当たらない)、
というご意見もいただきました。

日本列島(をめぐる流通構造)のなかで、熊野水軍はどのような位置にあったのか、
熊野の水軍領主はどのような性格をもっていたのか、
ほかの水軍領主との比較のうえでも、見えてきたように思います。

最後に、白浜町教育委員会の鈴木勇教育長による閉会の挨拶で、終了しました。
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非常に多くのかたに来ていただきました。ありがとうございました。

(学芸員 坂本亮太)
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