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コラム「日光社と湯川川流域の仏教文化」

コラム「日光社と湯川川流域の仏教文化」
 有田川町最奥の地、有田川町上湯川の日光山(標高1110m)の山中に、江戸時代まで日光社という神社がありました。最も盛えたころには多数の建物があったようですが、明治時代に廃絶し、現在は小さな祠が再建されています。祭られた神様の名前をはじめ不明なことが多い謎の神社ですが、そのかつての景観を示す貴重な資料として日光社参詣曼荼羅(和歌山県指定文化財)が残されています(個人蔵)。
 縦148.7㎝、横117.8㎝の大画面の中央に、瑞垣に囲まれた社殿三棟と二つの堂舎が並び、その外に多宝塔が建っています。上方には三つの山(中央が日光山、右が護摩壇山、左が高野山か)がそびえ、下方には湯川川とその流域の集落や寺社が描かれています。本図については従来、瑞籬内にある複数の建物の正面間口を合計すると12になることを根拠として、熊野十二所権現を祀るという説がありましたが、瑞籬内の左側の建物は本来右下に描かれていたものが切断され現位置に貼られており、作画上のデフォルメを受けており、実際には拝殿や本地堂など社殿以外の建物である可能性が高く、日光社と熊野信仰との関係は切り離して検討すべき段階となっています。一方、その信仰圏として描きこまれている湯川川流域の位置づけの重要性は、より高まっているといえます。
 湯川川流域の上湯川地区と下湯川地区は、古くから日光社の信仰に深く関わっていたと考えられますが、県立博物館がこの二つの地区の文化財調査を行ったところ、上湯川地区の薬王寺、下湯川地区の牛蓮寺、下湯川観音堂に、平安時代の仏像や戦国時代の版木など、重要な資料が残されていることが分かりました。日光社の成立も、平安時代に遡ると考えて良いでしょう。
 そうした新発見資料の一つに注目してみましょう。下湯川観音堂の僧形坐像(室町時代)は、蓮の花の上に合掌した僧が坐る珍しいもので、これは菩薩の集団が練り歩く来迎会で用いられる往生者像に類例があります。「続風土記御調に付書上帳」によれば下湯川観音堂には江戸時代後期の段階で「仏面」「如来面」があり「往古仏之舞経営候節所用之面」と伝えています。現在仮面は一つも残されていませんが、菩薩面の髻と推定される朽損甚大な部品が一点残っており、確かに同堂に行道面が伝えられていたことを証明しています。
 有田川流域では下流域の有田市得生寺で来迎会式が現在も行われていますが、上流域の花園荘でも来迎会が行われていたことが上花園神社の仮面群の存在により分かっています。下湯川観音堂に伝えられた往生者像・髻部品から、湯川川流域においてもかつて来迎会が行われていたことが、新たに判明したのです。しかも、この往生者像は現存最古の作例の可能性があります。
 中世世界を彷彿とさせる文化財や景観を濃厚に伝えている湯川川流域については、このように当地を日光社信仰圏として捉えなおし、さらなる調査とともに、その重要性を広く共有していく必要があると考えています。(主査学芸員 大河内智之)

日光社参詣曼荼羅2017
日光社参詣曼荼羅 個人蔵 和歌山県指定文化財
図3 日光社参詣曼荼羅料紙貼継
日光社参詣曼荼羅の料紙貼り継ぎの状況
往生者像
僧形坐像 下湯川観音堂蔵
下湯川観音堂髻部品
髻部品 下湯川観音堂蔵

和歌山県立博物館企画展「有田川中流域の仏教文化―重要文化財・安楽寺多宝小塔修理完成記念―」(1月21日~3月5日)
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