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第42回マイミュージアムギャラリー「変わらざる瓦猿-想いを受け継ぐ-」

和歌山県立博物館マイミュージアムギャラリー
第42回展示 「変わらざる瓦猿-想いを受け継ぐ-」
【出 陳 者】 野上 泰司郎
【展示期間】 平成28年5月14日(土)~8月5日(金)
【出陳資料】 瓦猿・寝牛 近~現代(20~21世紀)

【資料をめぐる思い出】
「私の家はかつて瓦町と呼ばれた地で瓦問屋を営んでいました。父の代までは少し離れた工場で瓦の製造も行っていて、雨が降ると、夜でも紀勢線の線路を越えて駆けつけ、乾燥中の瓦を片付けたそうです。
 そうした瓦作りの合間に手がけていたのが瓦猿と寝牛です。かつては多くの瓦屋が作っていましたが、今は当家だけとなりました。昔から郷土玩具として知られ、父恵三郎もそうした愛好の会に加わっていましたが、祈りを託す道具である瓦猿・寝牛に、信仰の対象として特別の思いを抱いていたようです。瓦を葺く仕事より、作る仕事の方が向いていた物静かな父を、今も思い出します。」
瓦猿web用
瓦猿・寝牛 〈画像クリックで拡大します〉

【学芸員の一口メモ】
  瓦猿は和歌山市有本にある若宮八幡神社摂社の、日吉山王神社の信仰と関わるものです。猿は比叡山の鎮守、日吉山王権現の使いです。安産祈願の際、社頭の瓦猿一体を借りて神棚に祀(まつ)り、出産の後は、もう一体を買い足して二体を奉納しました。
 両手に、邪気を祓い不老長寿を与える吉祥文様の桃を抱いていますが、野上恵三郎「信仰玩具としての和歌山瓦猿について」(『おもちゃ』14、1955年)によれば、かつては子どもを抱いた猿や、何も手にしない猿も作られていたことが分かります。
 寝牛は、もともとは和歌山市秋月の日前宮摂社深草神社で授与していたもので、現在は同市津秦の津秦天満宮に信仰の場が移っています。牛が草を食むことから、瘡(くさ。かさ、とも。腫れ物など皮膚の病気の総称)を食べさせて病気平癒を願う、祈りの道具でした。 (主査学芸員 大河内智之)

和歌山瓦猿について web用
野上恵三郎「信仰玩具としての和歌山瓦猿について」
(『おもちゃ』14、1955年、全国郷土玩具友の会発行)
〈画像クリックで拡大します〉
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