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水争いを物語る歴史資料

 特別展も二週目に入りました。今日(2日)13時30分からミュージアム・トークを行い、7人の方の参加がありました。

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 今回は、水に関わる資料を紹介します。
 まず紹介するのは、時香盤(じこうばん)です。

 D3A_1230.jpg   D3A_1200.jpg (画像をクリックすると拡大します)

  時香盤  一面
  木製 縦29.0㎝ 横29.0㎝ 高32.8㎝
  江戸時代(19世紀)
  林ヶ峯観音寺蔵

 正方形の木箱の下部は引き出しで、上部は火鉢状になっています。火鉢状になった上部に灰を敷き詰め、木型でその上に溝を作ります。その溝に檜の葉を乾燥させて砕いた香を盛って、麻のくずに火を付けて燃やします。香は詰め方次第では燃焼時間に幅がでてくるので、熟練した人が香を詰めたようです。溝には、一定の間隔(1寸=3.3㎝)で印が付けられている。二寸分で一筋とし、一反歩の田地を所持していた場合は一筋分の取水、五畝の場合は半筋、二畝一五歩では二分五厘の取水が認められたようです。水量が限られた池水の配分を行う際に、時香盤が使われたようで、林ヶ峯(平野村の枝郷)では、村池の水で約二町歩の田地を養っていたようで、全部で二〇筋が必要でした。林ヶ峯では「粉水(こみず)の箱」と呼び、昭和50年代ごろまで使っていたそうです。この時香盤を管理する人は、ずっと番をしなければいけなかったようで、「親の死に目に会えない」そうです。

D3A_9861.jpg (画像をクリックすると拡大します)

 この絵図は、明治時代の平野村の絵図です。画面の上部にみえる「寺(阿弥陀寺)」周辺が中尾地区、画面中央左にみえる「観音(林ヶ峯観音寺)」周辺が林ヶ峯地区、その下部付近が佃地区、画面中央右にみえる「浄土寺」周辺が平野地区です。林ヶ峯地区は山間にあり、畑が多かったようですが、田も確認できます。村の北に「イケ(池)」があり、田まで引かれた水路がみえます。今回紹介した時香盤は、観音寺に置かれて使われたそうです。
 ある方から、昭和34年前後まで、奈良県五條市で村の共有池の池水の配分に使用されていた時香盤があったとお聞きしました。紀の川流域では、こうした時香盤が各地で使われていたのではないかと考えています。時香盤に関してご存知のことがありましたら、ぜひ情報をお寄せ下さい。

 もう1つ紹介するのは、地形模型です。

D3A_9980.jpg (画像をクリックすると拡大します)


  桛田荘新田萩原村領中芝地形模型 松山兼政制作  一基
  木製 縦53.7㎝ 横12.2㎝ 高4.7㎝
  昭和15年(1940)ごろ
  個人蔵

 東京美術学校(現、東京芸術大学)で彫刻を学んだ松山兼政(1901~1995)が制作した、穴伏川左岸の移うつり)村領に囲まれた桛田荘新田(萩原村領中芝)の百分の一の模型です。三つに分かれているものを、ほぞ接ぎの技法で1つにできます。一筆ごとの田地や水路の高低差が克明に再現されていて、「文覚井樋水入口」・「孫太郎井入口」の場所も示され、穴伏川から取水する「新井手」・「移小井手」や取水口付近にある「イシはね」なども記されています。昭和15年ごろ、穴伏川左岸の移井(文覚井二ノ井)と右岸の村松井との間で水争いが起こり、左岸側から村松井の切落権確認の訴訟が起こされました。この模型は原告の一人でもあった兼政が、裁判資料として制作したものといわれています。

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  かつらぎ町大字萩原字限図のうち字中芝図(部分) かつらぎ町蔵

  D3A_8433.jpg (画像をクリックすると拡大します)

  穴伏川流域用水群現況図での字中芝の位置

  模型比定地 (画像をクリックすると拡大します)  

次回のミュージアム・トークは11月10日(日)です。
11月9日(土)には博物館講座があります。
 「桛田荘と周辺地域の仏像」(当館主査学芸員 大河内智之)

和歌山県立博物館ウェブサイト

(主任学芸員 前田正明)
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