Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
http://kenpakunews.blog120.fc2.com/tb.php/600-4bcee4e9

-件のトラックバック

-件のコメント

コメントの投稿

投稿フォーム
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

コラム11「玉洲の菩提寺にある書画貼交屏風」

「桑山玉洲のアトリエ」展のコラム11回目です。

今回のコラムでは、玉洲の菩提寺(ぼだいじ)である和歌浦の宗善寺(そうぜんじ)に残されており、玉洲が集めた書画を貼り付けた「書画貼交屏風(しょがはりまぜびょうぶ)」をご紹介しましょう。

書画貼交屏風(左隻) 宗善寺蔵 書画貼交屏風(右隻) 宗善寺蔵

書画貼交屏風 伊藤蘭嵎・池大雅・韓天寿・桑山玉洲ほか筆(しょがはりまぜびょうぶ いとうらんぐう・いけのたいが・かんてんじゅ・くわやまぎょくしゅうほかひつ)   
   紙本墨書・紙本墨画淡彩・絹本著色など
   台紙縦160.0㎝ 横358.2㎝
   江戸時代(18世紀)  宗善寺蔵

和歌浦にある宗善寺は、桑山家の菩提寺(ぼだいじ)であり、宗善寺にとって桑山家は非常に有力な檀家(だんか)の一つでした。玉洲の代には、宗善寺の本堂を建て直し、その資金の大半を玉洲が援助したようです。このような宗善寺と玉洲との関係を象徴するように、宗善寺の本堂の真下にあたる地下が桑山家の墓所となっているらしく、玉洲自身もそこに葬られているとされます。

こうした縁から、玉洲は宗善寺の本堂の北東に位置した「後ろ堂」と呼ばれる八畳ほどの一室(法事の際などには僧侶の控え室となる)を、一種のアトリエとして使用していたとの伝承があります。その玉洲が使用していたという本堂は、近年の火災で焼失してしまい、往時の姿を偲ぶことはできませんが、この屏風は、その火災から奇跡的に救出された玉洲ゆかりの屏風なのです。

この屏風は、玉洲が所蔵していた書画を貼(は)ったとされる、書画貼交屏風で、合計56点の書画が貼られています。貼られている書画の位置関係や時代順はアトランダムのようで、厳密な意味で右隻や左隻の差はないと思われますが、便宜上、屏風を左右に配置し、右から順に通し番号をつけ、作品名と筆者を記すと次のようになります。

1 「七言長詩書 戴振河筆(しちごんちょうししょ たいしんかひつ)」
53-001(軽)

2 「唐人物図 筆者未詳(王鍳筆ヵ)(とうじんぶつず ひっしゃみしょう(おうかんひつヵ))」
53-002(軽)

3 「墨梅図 桑山玉洲筆(ぼくばいず くわやまぎょくしゅうひつ)」
53-003(軽)

4 「松間釣舟図 桑山玉洲筆(しょうかんちょうしゅうず くわやまぎょくしゅうひつ)」
53-004(軽)

5 「「九霞先生樹木」書 韓天寿筆(「きゅうかせんせいじゅもく」しょ かんてんじゅひつ)」
53-005(軽)

6 「墨蘭図 筆者未詳(玉洲筆ヵ)(ぼくらんず ひっしゃみしょう(ぎょくしゅうひつヵ))」
53-006(軽)

7 「三行書 毛廷柱筆(さんぎょうしょ もうていちゅうひつ)」
53-007(軽)

8 「七言律詩書扇面 菊池衡岳筆(しちごんりっししょせんめん きくちこうがくひつ)」
53-008(軽)

9 「墨竹図 筆者未詳(玉洲筆ヵ)(ぼくちくず ひっしゃみしょう(ぎょくしゅうひつヵ))」
53-009(軽)

10 「牡丹撫子図 筆者未詳(ぼたんなでしこず ひっしゃみしょう)」
53-010(軽)

11 「倣大雅樹木図 韓天寿筆(ほうたいがじゅもくず かんてんじゅひつ)」
53-011-02(軽)53-011-01(軽)

12 「詩書扇面 村井中漸筆(ししょせんめん むらいちゅうぜんひつ)」
53-012(軽)

13 「山水図 桑山君婉筆(さんすいず くわやまくんえんひつ)」
53-013(軽)

14 「唐人物図 王鍳筆(とうじんぶつず おうかんひつ)」
53-014(軽)

15 「「彛倫」書 高天漪筆(「いりん」しょ こうてんいひつ)」
53-015(軽)

16 「山水図 桑山玉洲筆(さんすいず くわやまぎょくしゅうひつ)」
53-016(軽)

17 「山水図 筆者未詳(玉洲筆ヵ)(さんすいず ひっしゃみしょう(ぎょくしゅうひつヵ))」
53-017(軽)

18 「墨菊図 桑山玉洲筆(ぼっきくず くわやまぎょくしゅうひつ)」
53-018(軽)

19 「墨梅図 把関筆(ぼくばいず はかんひつ)」
53-019(軽)

20 「五言律詩書 祇園南海筆(ごごんりっししょ ぎおんなんかいひつ)」
53-020(軽)

21 「七言絶句書 南玉筆(しちごんぜっくしょ なんぎょくひつ)」
53-021(軽)

22 「一行書 書剛筆(いちぎょうしょ しょごうひつ)」
53-022(軽)

23 「墨蘭図 董可亭筆(ぼくらんず とうかていひつ)」
53-023(軽)

24 「月松亭図 金有声筆(げっしょうていず きんゆうせいひつ)」
53-024(軽)

25 「二行書 沈草亭筆(にぎょうしょ しんそうていひつ)」
53-025(軽)

26 「松汀積雪図 桑山玉洲筆(しょうていせきせつず くわやまぎょくしゅうひつ)」
53-026(軽)

27 「七言律詩書扇面 荒木田南陵筆(しちごんりっししょせんめん あらきだなんりょうひつ)」
53-027(軽)

28 「七言絶句書 董可亭筆(しちごんぜっくしょ とうかていひつ)」
53-028(軽)

29 「漁夫図 呉筵煜筆(ぎょふず ごえんゆうひつ)」
53-029(軽)

30 「墨梅図 佐々木雲屋筆(ぼくばいず ささきうんおくひつ)」
53-030(軽)

31 「山水図 筆者未詳(玉洲筆ヵ)(さんすいず ひっしゃみしょう(ぎょくしゅうひつヵ))」
53-031(軽)

32 「七言絶句書扇面 佐野東洲筆(しちごんぜっくしょせんめん さのとうしゅうひつ)」
53-032(軽)

33 「七言律詩書 桑山曦亭筆(しちごんりっししょ くわやまぎていひつ)」
53-033(軽)

34 「山水図 筆者未詳(玉洲筆ヵ)(さんすいず ひっしゃみしょう(ぎょくしゅうひつヵ))」
53-034(軽)

35 「七言律詩書 韓天寿筆(しちごんりっししょ かんてんじゅひつ)」
53-035(軽)

36 「山茶花図 桑山玉洲筆(さざんかず くわやまぎょくしゅうひつ)」
53-036(軽)

37 「山水図 清水伯民筆(さんすいず しみずはくみんひつ)」
53-037(軽)

38 「山水図・詩書 川合春川・松澤輔常・小田仲卿・山本楽所筆(さんすいず・ししょ かわいしゅんせん・まつざわすけつね・おだちゅうきょう・やまもとらくしょひつ)」
53-038-02(軽)53-038-01(軽)

53-038-04(軽)53-038-03(軽)

39 「詩書 伊藤蘭嵎筆(ししょ いとうらんぐうひつ)」
53-039(軽)

40 「五言律詩書 池大雅筆(ごごんりっししょ いけのたいがひつ)」
53-040(軽)

41 「山水図 筆者未詳(玉洲筆ヵ)(さんすいず ひっしゃみしょう(ぎょくしゅうひつヵ))」
53-041(軽)

42 「蘭石図 桑山玉洲筆(らんせきず くわやまぎょくしゅうひつ)」
53-042(軽)

43 「富岳図 河村岷雪筆(ふがくず かわむらみんせつひつ)」
53-043(軽)

44 「玉津春暁図 桑山玉洲筆(たまつしゅんぎょうず くわやまぎょくしゅうひつ)」
53-044(軽)

45 「唐人物図 王鍳筆(とうじんぶつず おうかんひつ)」
53-045(軽)

46 「唐人物図 筆者未詳(王鍳筆ヵ)(とうじんぶつず ひっしゃみしょう(おうかんひつヵ))」
53-046(軽)

47 「「鍾秀」書 橘南谿筆(「しょうしゅう」しょ たちばななんけいひつ)」
53-047(軽)

48 「墨蘭図 池大雅筆・韓天寿題(ぼくらんず いけのたいがひつ・かんてんじゅだい)」
53-048(軽)

49 「山水図 如蘭筆(さんすいず じょらんひつ)」
53-049(軽)

50 「山水図 桑山玉洲筆(さんすいず くわやまぎょくしゅうひつ)」
53-050(軽)

51 「七言絶句二種書 野呂介石筆(しちごんぜっくにしゅしょ のろかいせきひつ)」
53-051(軽)

52 「山水図 筆者未詳(玉洲筆ヵ)(さんすいず ひっしゃみしょう(ぎょくしゅうひつヵ))」
53-052(軽)

53 「一行書 筆者未詳(いちぎょうしょ ひっしゃみしょう)」
53-053(軽)

54 「七言絶句書 見可筆(しちごんぜっくしょ けんかひつ)」
53-054(軽)

55 「蛙図 松本奉時筆(かえるず まつもとほうじひつ)」
53-055(軽)

56 「七言絶句書 井允修筆(しちごんぜっくしょ せいいんしゅうひつ)」
53-056(軽)

調査不足で、筆者未詳のものも多いのですが、筆者が判明するものだけでも、玉洲以前あるいは同時代の興味深い作例が多く、玉洲が収集した書画であるという伝承を裏付けています。

たとえば、3・4・16・18・26・36・42・44・50が玉洲、13が桑山君婉(?~1828)、33が桑山曦亭(大奎、1774~1806)と桑山家の書画が含まれるほか、15の高天漪(1648~1722)は長崎出身の儒学者で書家、20の祇園南海(1676~1751)は紀伊藩の儒学者で文人画家、39の伊藤蘭嵎(1694~1778)は紀伊藩の儒学者、12の村井中漸(1708~97)は熊本出身の和算家で儒学者、37の清水伯民(1712~93)は長崎出身の篆刻家、40・48の池大雅(1723~76)は京都の文人画家、5・11・35・48の韓天寿(1727~95)は伊勢の書家、43の河村岷雪(生没年未詳)は江戸の画家、8の菊池衡岳(1747~1805)は紀伊藩の儒学者、51の野呂介石(1747~1828)は和歌山城下出身の文人画家、27の荒木田南陵(1749~1812)は伊勢内宮の神職で漢詩人、38の川合春川(1750~1824)と山本楽所(1764~1841)は紀伊藩の儒学者で、小田仲卿(龍江、1746~1814)は紀伊藩士で名草郡の奉行、47の橘南谿(1753~1805)は伊勢出身の医師で文人、55の松本奉時(?~1800)は大坂の表具師で画家、32の佐野東洲(?~1814)は江戸の書家、30の佐々木雲屋(?~1831)は讃岐国(現在の香川県)出身の画家といったように、日本の文人たちの書画がかなりそろっています。

また、23・28の董可亭(生没年未詳)や25の沈草亭(生没年未詳)は、いずれも日本に来舶した中国人であり(沈草亭は医師)、桑山家旧蔵書画に含まれる中国人画家の作例と同様の傾向を示す点で貴重な作例といえるでしょう。あるいは1の戴振河(生没年未詳)も清時代の中国の文人とみられ、さらに、2・14・45・46といった特徴的な人物画を描いた王鍳(生没年未詳)という人物も、『元明清書画人名録』に載る清時代の同名の中国人画家でしょうか。

一方、21の南玉(秋月、生没年未詳)や24の金有声(西巌、生没年未詳)は、宝暦14年(明和元年、1764)に朝鮮通信使として日本を訪れた朝鮮人の製述官(せいじゅつかん)や画員(がいん)であり、7の毛廷柱(1745~1801)は、寛政2年(1790)の琉球使節として日本を訪れた儀衛正(ぎえいせい、使節の責任者)です。

現状では、朝鮮や琉球の文人が揮毫(きごう)した書画などは桑山家旧蔵資料には含まれていないようなので、この屏風は、日本に限らず、中国、朝鮮、琉球といった東アジア地域の書画を玉洲が積極的に集めていたことを示す点でも、重要な資料ともいえるのです。(学芸員 安永拓世)


特別展 桑山玉洲のアトリエ―紀州三大文人画家の一人、その制作現場に迫る―
和歌山県立博物館ウェブサイト

           
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
http://kenpakunews.blog120.fc2.com/tb.php/600-4bcee4e9

0件のトラックバック

0件のコメント

コメントの投稿

投稿フォーム
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

Appendix

月別アーカイブ

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。