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「国際博物館の日」記念講演会が開催されました(桑山玉洲のアトリエ)

5月18日(土)は、「桑山玉洲のアトリエ」展の関連事業でもありますが
「国際博物館の日」記念講演会として
「語り合う 桑山玉洲の魅力」という演題で、
和歌山市教育委員会 文化振興課 学芸員の
近藤 壮(こんどう たかし)氏にご講演いただきました。


「国際博物館の日」とは、国際博物館会議(ICOM)が定めた記念日で、毎年5月18日が、「国際博物館の日」ということになっています。
毎年、世界共通のテーマが設定されますが、今年のテーマは「博物館(記憶と創造)は未来をつくる」です。

今回のご講演や対談の内容が、このテーマと直接に深くかかわるというわけではありませんが、今回の展覧会の主人公である桑山玉洲という人も、みずから学んだ中国の絵などの「記憶」に、独自の「創造性(クリエイティブな面)」を付け加えることによって、みずからの画風を確立していったわけですから、そうした玉洲の魅力を語り合うことも、また、未来をつくることに、あるいはつながったのかもしれません。

ともあれ、当日は、好天に恵まれ、参加者はかなり多く、約50名の方々にご参加いただきました。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

会場の風景はこんな感じです。
2013-05-18 記念講演会・対談1  2013-05-18 記念講演会・対談2

2013-05-18 記念講演会・対談3 2013-05-18 記念講演会・対談4

2013-05-18 記念講演会・対談5 2013-05-18 記念講演会・対談6
(いずれも画像をクリックすると拡大します)

ご講演では、今回の展示では展示していない資料についても、かなり詳細にご紹介いただきました。これらの資料は、講師の近藤さまが、平成18年(2006)に和歌山市立博物館でご担当された「桑山玉洲展」という大規模な特別展で出陳されたもので、そうした特別展でのご研究成果を、今回の展覧会の内容にあわせて、わかりやすくご講演いただきました。

とりわけ、『桑氏扇譜考(そうしせんぷこう)』という、玉洲が収集していた扇面(せんめん)の書画について、その筆者について記した著作については、今回の展覧会に出陳している資料との関係で、とても重要でしたので、その執筆経緯や、1校から3校までの校正過程、さらにいずれは出版しようとしていた意図があったという点についても、くわしくご紹介いただきました。

また、さまざまな玉洲にまつわる逸話が、玉洲の書画収集にまつわる事実を、ある程度は反映している可能性が高く、一概に逸話だからといって軽視できないことや、今回、紹介された資料が、逸話の内容と符合することなども、ご紹介いただきました。

また、玉洲の著作の出版や、交遊関係のうえで、最も重要な役割を果たした、木村蒹葭堂(1736~1802)という大坂の文人についても、くわしくご紹介いただきました。


こうした約1時間のご講演の後は、近藤さまと、今回の展覧会を担当した当館学芸員の安永とで、約30分間の対談をおこないました。
2013-05-18 記念講演会・対談9 2013-05-18 記念講演会・対談7

2013-05-18 記念講演会・対談10 2013-05-18 記念講演会・対談8

対談の内容は、

◆桑山玉洲ってどんな人?
◆玉洲の初期の絵画学習について
◆『桑氏扇譜考』について
◆玉洲の画論について
◆玉洲の画風変遷について
◆玉洲の魅力とは?

などを予定しておりましたが、時間の都合で十分にお話しできないところもありました。
とはいえ、近藤さまがくわしいご講演をしていただいたおかげで、玉洲の魅力を、かなりお伝えすることができたのではないかと思います。

また、対談の最後の10分ぐらいは、会場にお越しの皆さまからも、ご質問やご意見をうかがいました。

いくつか貴重なご質問をいただきましたが、たとえば、

「桑山家旧蔵資料がたくさん残されたのには、何か理由があるのですか?」

という重要なご質問がありました。
こうした桑山家旧蔵資料の伝来経緯については、少し複雑なのですが、現在は大きく分けて三つほどの旧家に分かれて所蔵されています。
まず、『桑氏扇譜考』や玉洲の画論の草稿本など、文字資料の類は、以前から存在が知られており、平成18年の和歌山市立博物館の「桑山玉洲展」でも、近藤さまが丁寧にご紹介されていました。今回の展覧会では、それとは別の家に伝わる玉洲旧蔵の中国書画や画材道具、印章類が、近年新たに発見されたことにより、それらを中心に展示しているわけです。
これらが、かなりのまとまりを持って残された経緯はさまざまですが、いずれも、各家で大切に守り伝えられてきたことが重要だったと思われます。和歌山を代表する文人画家である玉洲の資料を、きちんと残していこうという意識を強く持っていたからこそ、こうして、伝えられたのでしょう。

また、もう一つ

「玉洲は、30歳代から40歳代にかけて画風を大きく変化させますが、これほど大きく画風を変化させた画家というのは、ほかに例があるのでしょうか?」

というご質問もありました。
たしかに、非常に重要なご質問で、対談している私たちにとっても、もっとも大きな問題です。
江戸時代の画家で、これほど大きく画風を変化させる人というのは、正直、前例を挙げることができませんでした。江戸時代の文人画家、たとえば、有名な池大雅や与謝蕪村などは、いずれも独学で絵を学んだとみられるため、比較的画風の変化が大きい画家ではありますが、それでも、玉洲のように、緻密で繊細な初期の画風から、自由奔放でのびやかな中年期の画風へといったような、あたかも別人を思わせる画風の飛躍はみられません。そうした意味では、玉洲の画風変遷というのは、かなり独創的だといえそうです。
ただ、国も時代も異なりますが、画風の変化の大きい画家としては、海外では、たとえば、ピカソのような画家を例に挙げることができるかもしれないという提案を少しさせていただきました。高度な絵画技法に裏打ちされて写実的な画風を描いたピカソの初期作、たとえば「青の時代」などの作例から、中年から晩年期の「キュビズム」への画風へは、かなりの飛躍があり、ある意味では、玉洲の大きな画風変遷と似ている部分があるかもしれません。ピカソも、みずからの絵画理論を実践するために、キュビズムという画風に変化していったようですが、玉洲も、画論などを通して、かなり構築的に絵画理論を考察していたとみられますので、単なる影響関係に基づく画風の変化ではなく、何らかの理論に基づいた画風変化などを考慮していく必要があるのではないでしょうか。そのためにも、玉洲が著した画論を、きちんと読んで、玉洲の画風変遷の意味を、あらためて考えてみないといけないわけですね…。

こうしたご質問は、今後の玉洲研究にも、大きなヒントを与えてくださいました。
全てのご質問をご紹介できませんでしたが、会場から対談にご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

このように、まだまだ解明すべき謎や問題の多い玉洲の画業ですが、ほんとうの意味での玉洲像は、今回の展覧会で、発見され、ご紹介している資料を通じて、新たにわかってくるものでもあるはずです。
ぜひ、展覧会に足をお運びいただき、新たな資料が物語る、新たな玉洲像を感じ取っていただければと思います。(学芸員 安永拓世)

特別展 桑山玉洲のアトリエ―紀州三大文人画家の一人、その制作現場に迫る―
和歌山県立博物館ウェブサイト

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