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林ケ峯観音寺の菩薩形坐像

林ケ峯観音寺の菩薩形坐像

 平成24年1月、紀の川市内、旧那賀町域にあたる林ケ峯(はいがみね)地区の観音寺に、和歌山県立博物館と紀の川市教育委員会の合同チームで調査に訪れた。
 旧町時代の簡単な調査報告書に、詳細は不明ながら、観音寺に所蔵されるある仏像の一枚の小さな図版だけが載せられていた。すこしピントが甘く、また暗くて分かりにくいが、おそらくとても古く、そしてとても重要な像であるとすぐに感じた。背中に電気が走ったような、いてもたってもいられない思いで、この日を迎えていた。
 世話役や地域の方々へご挨拶して、早々に本堂に上がらせてもらうと、壇上に目を凝らした。そこに確かに、あの図版の仏像が座っていた。
 像高21.7㎝、台座を含んだ総高が25.9㎝の小さな仏像である。右手の手首と左手の肘まで、両脚、台座を含めて、檜の一木から木取りし、表面には漆箔の痕跡がある。
 高く、太く結い上げられた髪、面の上下がやや詰まった輪郭には、少し沈み気味の表情を浮かべて神秘的である。胴を絞って背を伸ばし、ほどよく肉の付いた健康的な体型とあわせて、9世紀半ば頃の、ごく初期の密教彫像の特徴を示している。冠に付けたリボンを背面に垂らすことなど、密教の図像に極めて忠実である。
 密教は、弘法大師空海によって、唐から正式に伝えられた。空海は東寺や神護寺(ともに京都府)を密教寺院とし、そこには密教独特の仏像が安置されたが、9世紀前半までに造られたそうした初期の密教彫像は、他の地域も含めても三十数体しか残されていない。空海が開いた高野山にも、ない。そんな貴重な仏像が、中世に高野山金剛峯寺領であった静川荘の故地に、伝えられていたのである。
 この仏像には一つの特徴がある。座っている台座の後ろ側が切断され、奥行きを小さくしている。こうした細工から考えられるのは、本来はもっと大きな仏像の、その背後に表された光背に取り付けられた化仏の一つではないか、ということである。
 調べてみると、類似する仏像が、葛城山系のちょうど反対側、和泉市の施福寺でも見つかっていた。ただちに比較調査を行って、同時期に一具のものとして造られたものと判断された。こうしたことから、本来これらの仏像は、大日如来坐像の光背に取り付けられた、金剛界曼荼羅成身会の三十七尊の一つとして造られたものと想像される。類例は、空海が造営した、東寺講堂の本尊像にある。
 全国でも十数年ぶりに見つかった九世紀の初期密教彫像は、高野山の密教文化の新たな一面を明らかにする手がかりとなるものである。特別展「高野山麓 祈りのかたち」で初公開となるこの機会に、約1150年の時を経た、珠玉の仏像に出会っていただきたい。(学芸員 大河内智之)

林ケ峯観音寺菩薩形坐像
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