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スポット展示 やきもののウラを見る

通常は展示することのない、文化財の裏側にスポットを当てて展示する
「文化財のウラ、見ませんか?」
というテーマで続けている今年のスポット展示。

さまざまな資料をご紹介するという目的で、
今年は、当館の学芸員全員がリレー形式で担当しています。

さて、4回目の今回は、
やきもののウラを見る
【会期:2012年9月1日(土)~10月31日(水)】

やきもののウラ(展示状況写真)(軽)
(画像をクリックすると拡大します)

博物館や美術館では、やきもの(陶磁器)を裏返して展示することは、ほとんどありません。茶碗などの口につける部分が、床面(ゆかめん)につくのを嫌うからです。しかし、やきもののウラ(蓋の裏や底の部分)には、さまざまな情報が含まれています。たとえば、釉薬(ゆうやく)が掛(か)かっていない土の部分が見えたり、やきものの制作地や制作者を示すハンコが押されたりしており、鑑賞の重要なポイントとなります。とくに、ハンコを比較することは、制作地や制作時期、制作者を知るうえで、とても大切です。今回は、こうした趣旨から、特別に、やきものを裏返して展示しました。押されているハンコの違いに、注目してみてください。


◆やきものに押されたハンコ

ハンコには、文字の部分をへこませた「陰文(いんぶん)」と、文字以外の部分をへこませて文字を浮き出させる「陽文(ようぶん)」の二種類があります。また、ハンコの周囲の形により、「円印(えんいん)」「楕円印(だえんいん)」などの区別があります。さらに、ハンコの周囲の部分を「郭(かく)」と呼び、この「郭」に飾りの線を入れているものを「重郭(じゅうかく)」と呼びます。
やきものに押されたハンコは、柔らかい土の状態で押されるため、ハンコのへこんだ部分は、逆に浮き出たようになります。つまり、文字の部分がへこんだ「陰文」のハンコを押すと、押されたあとは、文字が飛び出した「陽文」のようになるのです。ここでは、押す前のハンコの状態で、ハンコの呼び方を書いています。


◆偕楽園焼 黄瀬戸写丸香合 楽旦入作
(かいらくえんやき きせとうつしまるこうごう らくたんにゅうさく)

偕楽園焼 黄瀬戸写丸香合 楽旦入作 館蔵514(小)
1合
陶器製
高3.2㎝ 径5.7㎝
文政2年(1819)
和歌山県立博物館蔵

香合(こうごう)とは、茶席で使うお香を入れる器のことです。これは、京都の陶工の楽旦入(らくたんにゅう、1795-1854)が作った香合で、表千家9代の了々斎(りょうりょうさい、1775-1825)の箱書から、文政2年(1819)の偕楽園焼とわかります。蓋裏(ふたうら)の「偕楽園制(かいらくえんせい)」(陰文重郭円印(いんぶんじゅうかくえんいん))のハンコは、この年の偕楽園焼にのみ押されるものです。身の側面の「楽」(陰文重郭円印)のハンコは、「前印(まえいん)」あるいは「木楽印(きらくいん)」と呼ばれ、旦入が襲名した文化8年(1811)から文政9年(1826)まで用いられました。
偕楽園焼 黄瀬戸写丸香合 楽旦入作 「偕楽園制」(陰文重郭円印) 館蔵514(小)        偕楽園焼 黄瀬戸写丸香合 楽旦入作 「楽」(陰文重郭円印) 館蔵514(小)
「偕楽園制」(陰文重郭円印) 「楽」(陰文重郭円印)


◆偕楽園焼 白楽巌雪写茶碗
(かいらくえんやき しろらくがんせつうつしちゃわん)

偕楽園焼 白楽巌雪写茶碗 側面1
1口
陶器製
高6.2㎝ 口径9.5㎝
文政10年(1827)
和歌山県立博物館蔵

全体に白い釉薬(ゆうやく)がかけられ、「貫入(かんにゅう)」という釉薬のひびが、岩に積もった雪のように見えるのが見どころの茶碗です。表千家10代の吸江斎(きゅうこうさい、1818-60)の箱書によると、京都の陶工である楽家2代の楽常慶(らくじょうけい、?-1635)が作った「巌雪(がんせつ)」という茶碗を写したもので、文政10年(1827)の偕楽園焼であるとわかります。底裏(そこうら)に押されている「偕楽園制(かいらくえんせい)」(陰文重郭円印(いんぶんじゅうかくえんいん))のハンコは、文政2年(1819)の偕楽園焼に押されたハンコとは異なるものです。
偕楽園焼 白楽巌雪写茶碗 底面1 偕楽園焼 白楽巌雪写茶碗 「偕楽園制」(陰文重郭円印) 館蔵572(小)
底裏         「偕楽園制」(陰文重郭円印)


◆偕楽園焼 赤楽灰器 弥介作
(かいらくえんやき あからくはいき やすけさく)

偕楽園焼 赤楽灰器 弥介作(軽)
1口
陶器製
高7.3㎝ 口径17.9㎝
天保7年(1836)
和歌山県立博物館蔵

灰器(はいき)とは、茶席で灰を入れる器のことです。表千家10代の吸江斎(きゅうこうさい、1818-60)の箱書から、楽焼の脇窯(わきがま)の陶工である2代弥介(やすけ、生没年未詳)が天保7年(18336)に制作したことがわかります。器の底裏(そこうら)には「偕楽園制(かいらくえんせい)」(陰文重郭円印(いんぶんじゅうかくえんいん))と「弥(や)」(陰文重郭楕円印(いんぶんじゅうかくだえんいん))のハンコが押されています。「偕楽園制」のハンコは文政10年(1827)の偕楽園焼のハンコとよく似ていますが、文字の部分が少し乱れており、彫りも全体にやや深いようです。
偕楽園焼 赤楽灰器 弥介作 底裏(軽)2
底裏

偕楽園焼 赤楽灰器 弥介作 「偕楽園制」(陰文重郭円印) 館蔵519(小)         偕楽園焼 赤楽灰器 弥介作 「弥」(陰文重郭楕円印) 館蔵519(軽)
「偕楽園制」(陰文重郭円印)  「弥」(陰文重郭楕円印)


◆偕楽園焼とは

紀伊藩10代藩主である徳川治宝は、文政2年(1819)、和歌山城下の南西(現在の県立和歌山工業高等学校付近)に別邸・西浜御殿(にしはまごてん)を築き、以後、その御殿の庭園・偕楽園(かいらくえん)で偕楽園焼(かいらくえんやき)という御庭焼(おにわやき)をおこないました。この偕楽園焼の制作や指導には、京都から表千家9代の了々斎(りょうりょうさい、1775-1825)や、表千家10代の吸江斎(きゅうこうさい、1818-60)をはじめ、楽旦入(らくたんにゅう、1795-1854)、永楽保全(えいらくほぜん、1795-1854)などの著名な陶工が招かれています。文政2年、文政10年(1827)、天保7年(1836)の少なくとも3回焼かれたことがわかっており、作品も楽焼(らくやき)系と磁器(じき)系の二つの種類があります。磁器系の作品は、文政10年に招かれた保全が制作を指導した可能性もありますが、そうした磁器系の作品がどのような窯(かま)で焼かれたかなどについては、よくわかっていません。
このように、まだまだ解明されていない点もある偕楽園焼ですが、興味深いのは、これら偕楽園焼の楽焼系の作品では、その制作時期により、押されているハンコが異なっている点です。

今回展示している作品のハンコを見比べてみましょう。
偕楽園焼 黄瀬戸写丸香合 楽旦入作 「偕楽園制」(陰文重郭円印) 館蔵514(小) 偕楽園焼 白楽巌雪写茶碗 「偕楽園制」(陰文重郭円印) 館蔵572(小) 偕楽園焼 赤楽灰器 弥介作 「偕楽園制」(陰文重郭円印) 館蔵519(小)

左から文政2年(1819)のハンコ、文政10年(1827)のハンコ、天保7年(1836)のハンコです。
文政2年のハンコは、文字の形や配置が異なるので、違いが明らかでしょう。
一方、文政10年と天保7年のハンコはよく似ています。
ただ、天保7年の方が、やや彫りが深く、文字も乱れているようです。
ハンコの使用によって、文字が傷んだり、彫りが深くなったとも考えられます。


今回の「文化財のウラ、見ませんか?」は、やきもののウラです。
やきものを裏返して展示するのは、かなり実験的で斬新な試みですが、
こんな機会に、通常は見られないやきもののウラを、
じっくり見ていただければと思っています。

ただ、今回の展示は、掛軸などがなかったので、壁面が少しさみしい印象です。
もう少し、キャプションや写真パネルの大きさなどに
変化をつけてもよかったのかもしれません。
何となく単調な展示になってしまいましたが、
そのぶん、やきもののウラは、間近でじっくり見られるのではないでしょうか?

このように、館蔵品の展示の仕方を模索して、
さまざまな角度から、その魅力を伝えていくことも、
学芸員の使命だと考えています。

今回の展示についても、さまざまなご意見があると思いますが、
お気づきの点などは、また、ご感想をお寄せいただければ幸いです。

今後とも、「スポット展示」を、どうか、よろしくお願いいたします。(学芸員 安永拓世)

→和歌山県立博物館ウェブサイト
→これまでのスポット展示
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