いつも和歌山県立博物館をご利用いただき、まことにありがとうございます。
当館では約3万点ほどの館蔵品や寄託品など収蔵品を有効に活用しながら、和歌山県の魅力あふれる歴史や文化をさまざまな観点からご紹介するべく、1年間を通じて、常設展・企画展・特別展やスポット展示、マイミュージアムギャラリー、ロビー展示などを開催致しております。
展示公開にあたっては、資料をこれからも長く守り続けるということに細心の心配りを行い、環境面からの劣化を最小限に留めるため温度や湿度、照度を厳重に管理し、また公開期間を年間の一定期間に留めています。そのため、当館所蔵の紀州本川中島合戦図屏風や、和歌山県内の寺社などから寄託を受けている重要資料など、多くの方がご鑑賞をお望みになる資料が、いつでも展示されているというわけではなく、皆様にご不便をおかけ致しております。
博物館ではこれからも、展示テーマ、資料の状態、地域バランス、時代、ジャンルなどさまざまな要因を勘案してバランスよく展示資料を選定しながら、ご要望の多い資料についても展示公開する機会を多く確保できるよう、計画的な展示公開を心がけて参ります。なにとぞご理解のほどをお願い申し上げるとともに、皆様からの「これを見たい!」というご要望を、心からお待ち申し上げております。
なお、鑑賞をご希望される資料が当該年度で出陳されるかどうかにつきましては、どうぞ県立博物館までお問い合わせ下さい。
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さてご質問の件ですが、館蔵品1006畠山稙長書状・丹下宗衒書状は図録等に掲載したものはありません。
ただし、
畠山稙長書状は、『下津町史』史料編上p239の61号 畠山稙長書状(中尾家文書)
丹下宗衒書状は、『下津町史』史料編上@239の62号 丹下宗徹書状(林家文書)
として同文のものが翻刻掲載されています。
たたし、当館所蔵のものが中尾家文書・林家文書であったかどうかはわかりません。
なお、近年、新谷和之さんが論文のなかで触れており、そちらにも翻刻は載っています。
新谷和之「16世紀中頃の紀伊の政治情勢と城郭―湯河氏の動向に焦点を当てて―」
『文献・考古・縄張りから探る 近畿の城郭』戎光祥出版、2019年
また、丹下宗衒の件ですが、古文書を見たところ「宗衒」と読むのが良いだろうという判断です。
なお、ご指摘のとおり、『和歌山県史』所収の中尾家文書では「宗衡」としています。
そのほか、『紀伊続風土記』や『下津町史』では「宗徹」としています。
同一人名を指していると思いますが、
今のところどれが正しいか、正確にはわかりません。
ですので、字体で一番ふさわしい文字を当てて読んでいるというのが現状です。
ご回答まで。
(学芸員 坂本亮太)
> 展示の事ではなくて恐縮なのですが、
>
> 館蔵品目録の
> No1006「畠山稙長書状・丹下宗衒書状」
> の活字化したものは図録などにありますでしょうか。
>
> また、『和歌山県立博物館研究紀要』23号に
> 掲載されている坂本亮太さんの論文
> 「熊野水軍小山氏をめぐる資料(2)」では、
> 「丹下宗衒書状」が『和歌山県史』にも
> 掲載されている旨の記載があります。
> そこで、
> 『和歌山県史』を確認したところ、
> 「宗衡判物」となっておりました。
> 「宗衡」ではなく、「宗衒」が正しいのでしょうか。
>
> ご教示いただけますと幸いです。
> よろしくお願いいたします。