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惜別のヘッドマーク-思い出の有田鉄道-

和歌山県立博物館友の会マイミュージアムギャラリー
第30回展示 「惜別のヘッドマーク-思い出の有田鉄道-」
【出 陳 者】 拔井 久司
【展示期間】 平成24年5月19日(土)~8月10日(金)
【出陳資料】 ヘッドマーク  平成4年(1992)
惜別のヘッドマーク
【資料をめぐる思い出】
「家のすぐ近くに、今は廃線となった有田鉄道の下津野駅がありました。小さな頃から列車を見にいつも遊びに行き、運転士さんや車掌さんに手を振ると、笑顔で振り返してくれました。駅員さんとも親しくなり、切符の売り方、ポイントや信号の切り替え方など、いろいろなことを教えてもらいました。
 高校3年の11月30日、通学に使っていた金屋口と湯浅間の直通列車が廃止されることになりました。惜別(せきべつ)と感謝の思いから作ったこのヘッドマークは最終日に列車に取り付けていただき、耐久高校の校長先生に掛け合って生徒会から花束贈呈も行いました。
 みんなの夢と希望を乗せて走った有鉄のことを、いつまでも忘れないでほしいと思います。」

【学芸員の一口メモ】
 有田鉄道(有鉄)は、明治44年(1911)に湯浅町と金屋町を結ぶ軽便鉄道として敷設が決まり、大正2年(1913)に有田鉄道株式会社を設置、同4年に海岸~下津野間(途中に湯浅・吉川・明王寺・田殿口の各駅)が設置され、翌年下津野~金屋口間(途中に御霊駅)が加わり、全長9・17㎞が全通しました。
 その後、国鉄紀勢線が湯浅まで開通し、藤並~湯浅間で併走したため、昭和19年(1944)、藤並以南の線路を撤去して全長5・6㎞に縮小され、昭和25年(1950)から平成4年まで、有田鉄道の列車が国鉄(JR西日本)に乗り入れ、湯浅まで運行していました。
 蜜柑畑の中を走る有鉄は、平成14年(2002)12月31日、惜しまれながら廃止となりました。その最終日、拔井さんは下津野駅の一日駅長として最後の列車を見送られました。
(参考:『吉備町史』(吉備町、1983)、和田康之『和歌山の汽車・電車―撮り続けて半世紀』(トンボ出版、2006))
列車風景1

列車風景2


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1件のコメント

[C140] マイ・ミュージアム

何時も博物館で和歌山城を観ます。
その横に丁寧な判り易い表現で紀州の歴史ある品物を見ます。

有田鉄道は知ってましたが、紀勢本線が開通するまで「湯浅」まで走っていたことを知り感動。

ローカル列車は「紀州鉄道」は存続して欲しい。日本で一番短いローカル電車。

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