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コラム:災害に耐えた奇跡の仏像が語りかける歴史

コラム:災害に耐えた奇跡の仏像が語りかける歴史
阿弥陀如来立像 阿弥陀如来立像(江戸時代・那智勝浦町保管)
壊れた仏像の破片 拾得された部品

 平成23年9月、県内各地に大きな爪痕を残した台風12号による記録的豪雨によって、那智勝浦町の那智川流域では大規模な洪水が発生し、那智大滝周辺をはじめ、市野々、井関、川関の集落の景観が一変する甚大な被害が生じた。ただちに行われた警察や消防、自衛隊、町等による救援や捜索、復興の作業の中では、流出したアルバムなど思い出の品も数多く拾得され、町で保管された。そうした中に、仏像が一体含まれていた。
 像高50.1㎝、木造の阿弥陀如来立像で、頭と体が分離し、台座や光背、厨子などがばらばらの断片となって混ざり、全体が泥をかぶって汚損していた。これらはいったん和歌山大学に搬送され、同大学紀州経済史文化史研究所と歴史資料保全ネット・わかやまが合同で、大学生らの手も借りて、一つずつ丁寧に泥が落とされた。拾得された約100点ほどの部品を並べていくと、幸いなことに、台座や光背、厨子の部品の大部分が残されており、また他の小仏像の部品や仏具なども含まれていた。
 仏像本体を詳しく調べてみると、体の中に、和紙に包まれた納入品が納められていた。取り出して開いてみると、中には一通の古文書と、毛髪を入れた包紙が二つ入っていた。
阿弥陀如来立像納入品 阿弥陀如来立像納入品

 古文書には「作者法誉道永程円/願主一蓮社行誉南霊/檀那往誉寿庵妙海/不施性誉浄心西誉妙寿/道円宗月浄心妙薫/妙感光月妙称慶安宗久/妙融妙慶鉄岩高春」と記されており、本像の作者、願主、寄進者(檀那)の名前と、布施(寄付)をした僧の名前が見いだされた。妙海や妙薫、妙慶、光月などの麗しい法名は尼の名である。すなわち本像は浄土宗の僧侶が願主となり、女性たちが合力して造像されたものであった。納入されていた毛髪も、それら女性に関わりがあるものだろう。像自体の作風や台座の形の特徴などから、江戸時代、17世紀後半から18世紀頃の制作とみられる。
 仏像の元の所在場所については、町内の金山・西山地区で拾得されたというおおまかな情報だけが分かっていた。ここは那智川の支流である金山谷川の流域にあたり、豪雨によって大規模な土石流が発生した地域である。特に西山地区は、土石流の直撃により大半の家が破壊され土砂に埋まる甚大な被害を受けていた。その集落の中に、押し寄せた土砂で半壊し、傾きながらも流出をまぬがれた小堂があった。堂内に残されていた部品が先の部品と共通し、ここが本来の安置場所であることが判明した。
 西山地区は那智銅山などとよばれた鉱山の拠点の一つで、採掘の最盛期は17世紀末~18世紀前半ごろであったとされ、仏像の制作時期とも重なる。鉱山の採掘には多くの労働力が必要であり、周辺には街場が形成され賑わったので、あるいはこの仏像は、そうした鉱山に関わってこの地に生きた女性たちの歴史を今日に伝えているのかもしれない。
 本像は、特別展「災害と文化財―歴史を語る文化財の保全―」(4/28~6/3)で公開している。被災しながらも救出された奇跡の仏像が語りかける歴史に耳を傾けていただきたい。
(学芸員 大河内智之)
西山地区のお堂 安置されていた堂舎


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