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コラム「清寧軒焼(せいねいけんやき)に押されたハンコ」

今回のコラムは、前回の予告通り、
清寧軒焼(せいねいけんやき)に押されたハンコについてご紹介しましょう。

清寧軒焼(せいねいけんやき)は、紀伊藩11代藩主の徳川斉順(とくがわなりゆき、1801-46)が焼かせた御庭焼(おにわやき)のことです。その作例の多くには、「清寧(せいねい)」や葵紋(あおいもん)の印が押されていますが、斉順は、天保5年(1832)に和歌山城下の別邸である湊御殿(みなとごてん)が完成する以前にも、江戸中屋敷(えどなかやしき)の赤坂藩邸(あかさかはんてい)で御庭焼を焼いていたらしく、また、和歌山城内の西の丸などからも清寧軒焼の資料が出土しているため、清寧軒焼の焼成時期や焼成場所については、今後の検討が必要です。これまで、斉順は、義父である紀伊藩10代藩主の徳川治宝(とくがわはるとみ、1771-1853)の影響で御庭焼を始めたと考えられていましたが、近年は、斉順自身、早くから作陶(さくとう)に関心を持っていた可能性も指摘されています。また、京都の陶工で、偕楽園焼(かいらくえんやき)の作陶にもかかわった楽旦入(らくたんにゅう、)が制作にかかわったものも、多く残されています。



清寧軒焼 黒楽輪蓋置 館蔵578(小)
清寧軒焼 黒楽輪蓋置
(せいねいけんやき くろらくわふたおき)
1口
高4.0㎝ 径4.4㎝
天保5年(1834)
和歌山県立博物館蔵

上に挙げたのは、清寧軒焼の蓋置(ふたおき)で、蓋置とは、茶道で釜(かま)の蓋や柄杓(ひしゃく)を置く器です。
側面には「清寧(せいねい)」(陰文重郭円印(いんぶんじゅうかくえんいん))のハンコが押されています。
清寧軒焼 黒楽輪蓋置 「清寧」(陰文重郭円印) 館蔵578(小)
また、箱の蓋裏には、天保5年(1834)に湊御殿(みなとごてん)で初めて作られたと記されている点も貴重です。
清寧軒焼 黒楽輪蓋置 内箱蓋裏 館蔵578(小)
清寧軒焼に押された円印には、数種類ありますが、湊御殿で作られた清寧軒焼の基準的なハンコとみられます。



清寧軒焼 黒楽茶碗 妹嶋夕照(軽)
清寧軒焼 黒楽茶碗 銘「妹嶋夕照」 楽旦入作
(せいねいけんやき くろらくぢゃわん めい「いもがしませきしょう」 らくたんにゅうさく)
1口
高8.0㎝ 口径10.6㎝
江戸時代(19世紀)
和歌山県立博物館蔵

次に挙げるのは、清寧軒焼の茶碗です。
器の底裏に、楽旦入が治宝から拝領した「楽」という隷書(れいしょ)の書をもとにして作ったハンコである「拝領印(はいりょういん)」の「楽」(陰文重郭円印)が押されています。この「拝領印」には、大ぶりのものと、小ぶりのものとがあり、これは大ぶりの「拝領印(大)」です。
清寧軒焼 黒楽茶碗 銘「妹嶋夕照」 楽旦入作 底裏 館蔵577(小) 清寧軒焼 黒楽茶碗 銘「妹嶋夕照」 楽旦入作 「楽」(陰文重郭円印) 館蔵577(小)
一方、内箱の蓋裏には、表千家10代の吸江斎(きゅうこうさい、1818-60)が「妹嶋夕照」の銘と花押(かおう)を記し、右上に「清寧」(陰文重郭円印)の黒印を押しています。このように、清寧軒焼の作例の中には、箱書のみに「清寧」の印を押したものがいくつか存在します。吸江斎が箱書をしたものと、旦入自身が箱書をしたものに分けられますが、いずれも短期間に制作されたものらしく、同じ筆跡で、「清寧」(陰文重郭円印)も同じ印を用いているようです。
清寧軒焼 黒楽茶碗 銘「妹嶋夕照」 楽旦入作 内箱蓋裏 館蔵577(小) 清寧軒焼 黒楽茶碗 銘「妹嶋夕照」 楽旦入作 箱書「清寧」(陰文重郭円印) 館蔵577(小)
ちなみに、「妹嶋夕照」とは、妹嶋(現在の友ヶ島(ともがしま))の美しい夕焼けを中国の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)の一つである漁村夕照(ぎょそんせきしょう)になぞらえた呼び方で、黒い釉薬の中にわずかに見える赤い帯を夕焼けに見立てたものです。なお、器の底裏に朱漆で記された「照」の字も、吸江斎が書いたものとみられ、箱書のみに「清寧」印を押した同様の作例も知られています。



赤楽茶碗 銘「福禄寿」 全景
清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「福禄寿」
(せいねいけんやき あからくぢゃわん めい「ふくろくじゅ」)
1口
高9.2㎝ 口径10.2㎝
江戸時代(19世紀)
和歌山県立博物館蔵

続いて挙げるのは、清寧軒焼の赤楽茶碗ですが、この茶碗には、清寧のハンコが押されているわけではありません。底裏に押されているのは、葵紋形(あおいもんがた)のハンコのみです。
赤楽茶碗 銘「福禄寿」 底面1 清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「福禄寿」 葵紋印(陰紋重郭円印) 館蔵580(小)
しかし、こうした葵紋形のハンコのみが押された清寧軒焼もいくつか確認されており、この茶碗もそうした作例の一つと考えられます。
内箱の蓋表には、楽旦入が「男山土/御茶碗赤/於御庭/「楽」(陰文重郭円印)/吉左衛門/焼」と記し、「拝領印(小)」を押しています。一方、内箱の蓋裏には、吸江斎が「福禄寿」の銘と花押を記し、右上に「御箆(おんへら)」(陽文瓢印(ようぶんひょういん))のハンコを押しています。
赤楽茶碗 銘「福禄寿」 内箱蓋表 清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「福禄寿」 箱書「楽」(陰文重郭円印) 館蔵580(小) 赤楽茶碗 銘「福禄寿」 内箱蓋裏 清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「福禄寿」 箱書「御箆」(陽文瓢印) 館蔵580(小)
付属資料には、治宝が湊御殿(みなとごてん)で作り、楽旦入が焼いたと記され、弘化3年(1846)に拝領したとも記載されています。制作時期についての明確な記載はありませんが、旦入の「拝領印(小)」の使用や、吸江斎の花押の書風から、天保年間(1830-44)の終わりごろの制作と考えられます。



清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「眉寿」 楽旦入作 個人蔵(小)
清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「眉寿」 楽旦入作
(せいねいけんやき あからくぢゃわん めい「びじゅ」 らくたんにゅうさく)
1口
高7.4㎝ 口径11.2㎝
天保12年(1841)
和歌山県立博物館蔵

最後に挙げるのは、前回のコラムでもご紹介した赤楽茶碗です。
「清寧(せいねい)」(陰文重郭瓢印)という瓢箪形(ひょうたんがた)のハンコと、「楽」(陰文重郭円印)の「拝領印(小)」がセットで押されています。
清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「眉寿」 楽旦入作 底裏 個人蔵(小) 清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「眉寿」 楽旦入作 「清寧」(陰文重郭瓢印) 個人蔵(小) 清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「眉寿」 楽旦入作 「楽」(陰文重郭円印) 個人蔵(小)
箱書は、先にご紹介した「福禄寿」の赤楽茶碗と同じく、蓋表には、旦入自身が「南紀男山土/御茶碗赤/於御庭/「楽」(陰文重郭円印)吉左衛門/造之」と旦入自身が記し、「拝領印(小)」を押しています。一方、内箱の蓋裏には、表千家10代の吸江斎(きゅうこうさい、1818-60)が長生きを示す「眉寿(びじゅ)」の銘と花押を記しています。
清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「眉寿」 楽旦入作 内箱蓋表 個人蔵(小) 清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「眉寿」 楽旦入作 箱書「楽」(陰文重郭円印) 個人蔵(小) 清寧軒焼 赤楽茶碗 銘「眉寿」 楽旦入作 内箱蓋裏 個人蔵(小)
外箱の記載から、天保12年(1841)に制作されたとみられ、旦入の「拝領印(小)」の使用や、吸江斎の花押なども、この時期の使用例と一致しています。


 
このように、清寧軒焼は、多数のハンコが使用されており、その種類や組み合わせも、まちまちといえるでしょう。偕楽園焼ほど、明確に時期や種類で区別することはできないようです。
とはいえ、セットで使用される頻度がかなり高いハンコや、箱書との組み合わせで、使用時期がある程度限られるハンコなどもいくつか存在します。
今後は、そうしたハンコの使用例をより多く集めて分類し、さらなる研究を進めていく必要があるでしょう。
今回のハンコの展覧会や、この博物館ニュースが、そうした研究進展の一つのきっかけになれば幸いです。(学芸員 安永拓世)


企画展 ハンコって何?
和歌山県立博物館ウェブサイト

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