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コラム 紀伊藩主をめぐる文雅(1) 家康の遺宝と頼宣

東照宮太刀拵え 東照宮太刀拵 画像クリックで拡大します。
重要文化財 太刀 銘 安綱 附 糸巻太刀拵 (紀州東照宮蔵)
家康の遺宝と頼宣

 紀伊藩の初代藩主となった徳川頼宣(よりのぶ・1602?71)は、徳川家康(1542?1616)の十男で、晩年になってからの子であったため、家康からとくに愛され、幼少より駿河(現在の静岡県)の家康のもとで育てられました。12歳で大坂冬の陣に初陣し、その後、水戸(現在の茨城県)や駿河に領地を与えられています。家康が亡くなった後には、尾張(現在の愛知県)の義直、水戸の頼房との「御三家」で、家康の遺産を分配したのです。
 元和5年(1619)に紀伊へ入国し、紀伊藩初代藩主となった頼宣は、父の家康をまつる東照宮(紀州東照宮)を和歌浦に建て、分与された家康の遺品を宝物として奉納しました。
 写真に挙げた太刀(たち)は、そうした家康の遺品の一つで、家康が実際に使っていたとされるものです。刀身は、平安時代後期に伯耆国(ほうきのくに、現在の鳥取県西部)で活躍した、安綱(やすつな)という人物が作りました。安綱は、日本刀が現在のような反りのある形となった時期にあたる十二世紀前半ごろに活躍した刀工で、素朴でがっしりとしたつくりや、刀の地肌がわずかに黒味を帯びている点に特徴があります。この太刀は、そうした安綱の特徴をそなえた、優れた刀の一つで、国の重要文化財に指定されています。頼宣は、家康の遺品として、この太刀を受け継ぎ、家康の五十回忌にあたる寛文5年(1665)に、紀州東照宮へ奉納したのです。糸巻太刀拵(いとまきたちこしらえ)と呼ばれる、この太刀の鞘(さや)や柄(つか)などのかざりの部分は、奉納に際して新たに作られたものとみられます。
 家康ゆかりの太刀を奉納した頼宣は、本来は、紀伊徳川家の繁栄と武運長久を祈ったものと思われますが、この頼宣の紀州東照宮への太刀の奉納が、以後の紀伊藩主にとっては一つの規範になりました。すなわち、歴代の紀伊藩主は、藩主に就任するごとに、紀州東照宮へ名刀を奉納していったのです。この家康所用の太刀は、そうした意味でも、歴代藩主の先例となった貴重な資料と位置づけられると言えるでしょう。(学芸員 安永拓世)

企画展 紀伊藩主をめぐる文雅
和歌山県立博物館ウェブサイト 
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