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スポット展示「全国有数の人口を誇った城下町和歌山」

 県立博物館では、博物館の所蔵品を、より多くのみなさまに、広く知っていただきたいという目的から、
2階に「スポット展示」というコーナーを設け、館蔵品を数点取り上げた展示を行っています。このスポット展示は、無料でご覧いただけます。
 今年度は「ちょっとだけ《江戸時代》を知ろう」と題して、城下町和歌山の様子がわかる資料、藩主であった紀伊徳川家やその家臣たちにかかわる資料などから、270年ほど続いた「江戸時代」、江戸(東京)に政治の中心となる幕府が置かれた時代を紹介します。
 スポット展示は、約1か月から2か月ごとに、展示替えをおこないます。

 昨年(2010年)の5月からスタートした「スポット展示」については→こちらをご参照ください。


13回目を迎えた今回のテーマは
全国有数の人口を誇った城下町和歌山
【会期:2011年5月21日(土)~7月1日(金)】


009展示の様子 縮小(画像をクリックすると拡大します)

 江戸時代、城下町和歌山にはどれくらいの人々が住んでいたのでしょうか。
 正直なところ、正確な人数は明らかではありません。
 にもかかわらず、「全国有数の人口」としたのは、明治初年の和歌山の人口から類推できるからです。ある試算によれば、幕末の和歌山の人口は約9万人で、これは江戸・大坂・京都・名古屋・金沢に次ぐ6番目の都市であったといわれています。
 城下町には、大きくは武士と町人が住んでいましたが、両者の住む場所は明確に区別されていました。また、同じ武士でも役職や家格によって、さらに居住区域が決められていました。一方、町人の住む町人町は、和歌山には5つの町人町(内町・広瀬・湊・北新町・新町)がありました。
 こうした城下町の様子は、城下町を描いた絵図からもわかります。

  以下は、展示資料の解説です。

和歌山城下町図
 (わかやまじょうかまちず)

和歌山城下町絵図(全体) 縮小(画像をクリックすると拡大します)

和歌山城下町絵図(部分) 縮小(部分、画像をクリックすると拡大します)
   1幅
   紙本著色
   享保20年~寛延2年(1735~49)
   東西75.0㎝ 南北108.0㎝

  和歌山城下を描いた絵図です。道路は黄色で、武家屋敷地は居住者の名前を記していますが、町人地は町名だけです。寺院の建物に絵画的な描写があり、古い図様の形式が一部残っています。また、「海善寺(かいぜんじ)」「御坊(ごぼう)」(鷺森別院、さぎのもりべついん)だけが墨書で、それ以外の寺院との間に区別がみられます。
 三ノ丸にあった紀伊藩家老水野家屋敷が「水野大炊守(おおいのかみ)」と記されています。水野家では5代目忠昭(ただあき)が享保3年(1718)から寛延2年(1749)まで「大炊守」を名乗っています。一方、享保20年(1735)に吹上(ふきあげ)に創建された円如寺(えんにょじ)が描かれています。こうした点から、本図は享保20年~寛延2年の景観を描いたものと推定できます。


湊講館覚 祇園南海筆
 (みなとこうかんおぼえ ぎおんなんかいひつ)

湊講館覚 祇園南海筆 上段  縮小

湊講館覚 祇園南海筆 下段  縮小(画像をクリックすると拡大します)
   1幅
   紙本墨書
   江戸時代(18世紀)
   縦16.5㎝ 横90.4㎝

 正徳3年(1713)、5代藩主頼方(吉宗)は湊御用屋敷跡に、紀伊藩で初めての学問所である講釈所(こうしゃくしょ)を開設しました。この地は吉宗が幼少時代に過ごした場所でもありました。講釈所で主長(しゅちょう、儒学者の長)を務めたのが、祇園南海と蔭山東門(かげやまとうもん)でした。
 この資料は、南海が記した講釈所の規則で、講義日や講義時間のほか、身分の貴賤を問わず、向学心のある者は聴講をしてもよい、などと記されています。藩の儒学者が組織的に教授する制度としては、講釈所は全国的にみて早い時期のものといわれています。のち講釈所は、10代藩主治宝(はるとみ)によって改修・増築され、寛政3年(1791)に学習館となりました。


紀伊国名所図会 初編巻之一
 (きいのくにめいしょずえ しょへんまきのいち)

紀伊国名所図会 初編巻之一 縮小(画像をクリックすると拡大します)
   1冊
   版本墨刷
   文化9年(1812)
   縦26.0㎝ 横18.5㎝

  紀伊国の寺社・旧跡・景勝地などの由来や来歴などを記した地誌です。初編の刊行は文化9年(1812)で、編者は高市志友(たけちしゆう)、挿絵は西村中和(にしむらちゅうわ)が担当しました。初編巻之一には、和歌山城下の様子が収録されています。上の場面は寄合橋周辺で、この辺りは紀ノ川から堀川への入り口に近く、荷揚げ場として賑わいました。右端に「京橋」、左端に「学校」(学習館)がみえます。弘化3年(1846)には若山補遺が刊行され、これまでなかった和歌山城内の様子が収録されています。

 このような解説とともに、資料が展示されています。
 なお、博物館の2階は、どなたでも無料でご覧いただけます。
折々、博物館の2階を訪れて、ひと昔前の〝江戸時代〟を感じてみてはいかがでしょうか。

 ところで、今回紹介した和歌山城下町図で、吹上武家屋敷町(和歌山城から400mほど南)には、「御用屋敷」と記された一角があります。この場所は、江戸幕府8代将軍となった吉宗の「御誕生屋敷」といわれています。博物館に来られたら、探してみてください。

  今回のスポット展示は、7月1日(金)までです。

  次回のテーマは、「江戸時代の地震と和歌山」を予定しています。
  (主任学芸員 前田正明)

→和歌山県立博物館ウェブサイト
→これまでのスポット展示













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