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スポット展示「紅葉狩り(もみじがり)」

博物館の所蔵品のなかから数点を取り上げて、
約1か月ごとのテーマに合わせて無料で公開する「スポット展示 季節のしつらい」。

今年(2010年)の5月からスタートしたスポット展示については→こちらをご参照ください。


7回目の今回のテーマは
紅葉狩り(もみじがり)
【会期:2010年11月13日(土)?12月5日(日)】

スポット展示(紅葉狩り)展示状況(画像をクリックすると拡大します)

 10月も下旬になると、いよいよ秋も終わりです。冷え込む日が増え、木々の葉も色づき始めます。年や地域で差はありますが、11月は各地で紅葉(こうよう)が見ごろを迎える季節です。日本では、古くから「紅葉狩り(もみじがり)」として紅葉を愛(め)でる風習があり、美しく色づいた葉の散りゆく様子に、さまざまな思いを重ねました。また、こうした「紅葉狩り」では、紅葉を鑑賞しながら、茶や酒を飲んだりして楽しみました。

☆10月の異名
神無月(かんなづき)・孟冬(もうとう)・初冬(しょとう)・応鐘(おうしょう)・小春月(こはるづき)・時雨月(しぐれづき)・木の葉月(このはづき)・開冬(かいとう)・霜先(しもさき)・陽月(ようげつ)・神有月(かみありづき)・初霜月(はつしもづき)

☆11月の異名
霜月(しもつき)・仲冬(ちゅうとう)・盛冬(せいとう)・黄鐘(こうしょう)・霜降月(しもふりづき)・雪待月(ゆきまちづき)・露隠葉月(つゆごもりのはづき)・風寒(ふうかん)・一陽来復(いちようらいふく)・竜潜月(りょうせんげつ)・神楽月(かぐらづき)



以下は展示資料の解説です。


?鳴滝真景図 上辻木海筆
 (なるたきしんけいず うえつじぼっかいひつ)
鳴滝真景図 上辻木海筆(画像をクリックすると拡大します)
   1幅
   紙本淡彩
   江戸時代(19世紀)
   縦29.5? 横58.6?

 上辻木海(うえつじぼっかい、1800?75)は和歌山城下出身の町医者で、小原桃洞(おはらとうどう、1746?1825)に本草学を、野呂介石(のろかいせき、1747?1828)に絵を学びました。書画を得意とし、柑橘類(かんきつるい)を写生した『柑橘図譜(かんきつずふ)』という著作もあります。
 この絵は、その木海が、晩秋に鳴滝(なるたき、現在の和歌山市園部(そのべ))を訪れた際に見た実際の光景と、木々の美しい紅葉を描き、自作の漢詩を添えた作品です。中央に描かれている堂は不動堂(ふどうどう、鳴滝不動尊(なるたきふどうそん))とみられ、古くから修験道(しゅげんどう)の行場(ぎょうば)でした。また、和歌山の鳴滝は、京都の鳴滝とは別の歌枕(うたまくら)であるとの説もあったようです。


?瑞芝焼 織部写銚子
 (ずいしやき おりべうつしちょうし)
瑞芝焼 織部写銚子(画像をクリックすると拡大します)
    2合
   江戸時代(19世紀)
   各高12.3? 底径7.7?

 銚子(ちょうし)とは、酒をつぐ器で、上部に持ち手がある形式は、提子(ひさげ)とも呼ばれました。
 この銚子は提子の形式で、携帯用としても使え、酒を温められるようになっているようです。上部に緑色の釉薬(ゆうやく)をかけ、下部の白い部分には褐色(かっしょく)の釉薬で大根とねずみを描いています。こうした配色は、桃山時代から江戸時代にかけて美濃国(みののくに、現在の岐阜県南部)で焼かれた織部焼(おりべやき)をまねたものです。底に「瑞芝(ずいし)」の印が捺(お)されており、江戸時代後期に和歌山城下の鈴丸(すずまる、現在の和歌山市畑屋敷新道丁(はたやしきしんみちちょう)付近)で焼かれた瑞芝焼(ずいしやき)であるとわかります。
瑞芝焼 織部写銚子(底面1) 瑞芝焼 織部写銚子(底面2) 瑞芝焼 織部写銚子 箱書
(銚子底面)                    (箱蓋表箱書)



?偕楽園焼 金彩寿字文盃
 (かいらくえんやき きんさいじゅのじもんさかづき)
偕楽園焼 金彩寿字文盃(画像をクリックすると拡大します)
    6客
   江戸時代(19世紀)
   各高2.7? 口径6.4?

 六客(ろっきゃく)一揃え(ひとそろえ)の盃(さかづき)で、器の内側には中央に金彩で「寿(ことぶき)」の文字をあらわし、その周囲に唐草文(からくさもん)をめぐらせています。器の外側には、菊(きく)と水仙(すいせん)を色絵で描き、高台(こうだい)の周囲にも唐草文をあしらっています。菊は秋、水仙は冬から春にかけて咲く花ですが、菊は長寿、水仙は「仙」に通じることから、どちらもおめでたい主題でした。また、唐草文の蔓(つる)も連続性や子孫繁栄(しそんはんえい)を象徴(しょうちょう)しました。器の底の高台内(こうだいない)には、金彩(きんさい)で「偕楽園製(かいらくえんせい)」という銘(めい)が記されており、江戸時代後期に和歌山城下で焼かれた偕楽園焼(かいらくえんやき)であることがわかります。
偕楽園焼 金彩寿字文盃(側面) 偕楽園焼 金彩寿字文盃(見込み) 偕楽園焼 金彩寿字文盃(底面) 偕楽園焼 金彩寿字文盃 箱書
(器側面)          (器内側)        (器外側)       (箱蓋裏箱書)



参考解説
偕楽園焼(かいらくえんやき)とは
 紀伊藩10代藩主・徳川治宝(とくがわはるとみ、1771?1852)は、文政2年(1819)、和歌山城下の南西(現在の県立和歌山工業高校付近)に別邸・西浜御殿(にしはまごてん)を築き、以後、その御殿の庭園・偕楽園(かいらくえん)で偕楽園焼(かいらくえんやき)という御庭焼(おにわやき)をおこないました。その制作や指導には、京都から表千家9代の了々斎(りょうりょうさい、1775?1825)や同10代の吸江斎(きゅうこうさい、1818?60)をはじめ、楽旦入(らくたんにゅう、1795?1854)、永楽保全(えいらくほぜん、1795?1885)などの陶工が招かれています。文政2年・文政10年(1827)・天保7年(1836)の少なくとも3回焼かれたとみられ、作品も楽焼系(らくやきけい)と磁器系(じきけい)の二種があります。磁器系の作品は文政10年に招かれた保全が制作を指導した可能性もありますが、どのような窯(かま)だったのかなど、詳しいことはよくわかっていません。


今回のスポット展示は12月5日までです。
先月のスポット展示で少しお話ししたとおり、本当に今年の秋は短く、すぐに冬がやってきたような感じです。この様子だと、紅葉が散るのも早いかもしれません。
実際、暦の上でも11月7日が立冬でしたから、これからは本格的な冬の訪れです。
すでに、今年の秋に紅葉を見た人も、また、今年の紅葉を見逃してしまった人も、博物館で紅葉を楽しんでみてはいかがでしょうか?なお、このスポット展示は、どなたでも無料でご覧いただけます。(学芸員 安永拓世)

→和歌山県立博物館ウェブサイト
→これまでのスポット展示
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