Entries

特別展「京都・安楽寿院と紀州・?あらかわ?」コラム(5)

木食応其を支えた僧・覚栄

 前回紹介した木食応其(もくじきおうご、1536?1608)のもとには、彼が行う造営事業を支える「内衆」(奉行)たちがいました。
覚栄(かくえい、??1622)もその一人だったようです。
義演准后日記のなかで、覚栄は「上人執事」(文禄5年〈1596〉1月28日条)と記されていますので、応其配下のなかで最も有力な人物として認識されていたようです。

 覚栄は修造を専門に行う穀屋系奉行であったという説があります。
慶長10年(1605)に行われた東寺の地主神である八島社の修造では、「穀屋遍照院」と記されているようです。
しかし、覚栄の出自や経歴については、まだまだ不明な点が多いようです。

 そこで、今回はこれまで明らかになっている資料から、覚栄の出自や経歴を確認しておきたいと思います。
 まず、和歌山県かつらぎ町妙寺の遍照寺にある妙寺村氏人中過去帳には、次のように記されています。

   過去帳(遍照寺) (妙寺村氏人中過去帳〈部分〉、遍照寺蔵)

 覚栄は、天正15年(1587)に遍照寺の本堂を再建しました。遍照寺にあるこの過去帳には、覚栄上人は法印権大僧都の地位にあり、「遍照院」とも呼ばれ、京都の竹田の生まれで、位牌が高野山の西院谷にある正覚院(行人方)にあり、元和8年(1622)10月19日に亡くなった、と記されています(残念ながら生まれた年は記されていません)。
京都の竹田には、安楽寿院があります。

   高野山寺中絵図〈部分〉 (この絵図は展示していません。)
(高野山寺中絵図〈正覚院があった高野山西院谷付近、正覚院の位置をで示す〉、金剛峯寺蔵)

 一方、和歌山県紀の川市桃山町最上の興山寺にある興山寺由緒書(初代の応其から8代の秀意までの住職の事績を記したもの)には、次のように記されています。

    興山寺由緒書067 (興山寺由緒書〈部分〉、興山寺蔵)

 応其の後、興山寺の二代目住職となった覚栄は、「遍照院」・「二位公」・「盛雅」・「覚栄上人」とも呼ばれ、元和8年9月19日に亡くなった、と記されています。
覚栄が亡くなった日については、遍照寺の過去帳と若干異なっています。
「盛雅」という名はあまり資料にはみられませんが、安楽川荘六人衆中誓詞写には、安楽川荘の有力者六人の一人として「興山寺盛雅」の名が記されています。

安楽川荘六人衆中誓詞写 (全体) 安楽川荘六人衆中誓詞写〈部分〉 (朱線で囲んだ部分を拡大)
(安楽川荘六人衆中誓詞写、興山寺蔵)

 興山寺には、覚栄の位牌(「梵字(ア) 法印覚栄上人 霊位 元和八秊(年)九月十九日 安楽川□庄中建之」)も残されています。

 一方、京都の安楽寿院に残されている摧薪録(さいしんろく、泰深筆)には、京都における覚栄の事績が詳しく記されていますが、覚栄の出自にかかわる記述はみられません。
ただ、紀州にかかわるものとして、「昔は根来寺の大塔、今は東寺の願人となった」という記述があります。

摧薪録 (覚栄の事績を記した冒頭)025 摧薪録(部分) (根来寺の記述の部分)
(摧薪録、安楽寿院蔵)

 展覧会が始まってからわかったことですが、根来寺と覚栄とのかかわりについて、寛延3年(1750)ごろに作成された根来寺寺院血脈という資料には、関ヶ原の戦いが終った翌年の慶長6年(1601)に徳川家康から根来寺の伽藍復興が許可され、根来に帰山した「左学頭権大僧都覚栄(字興信房)」が十輪院(学侶方)を中興し、実相院(行人方)を建立したと記されています。
覚栄は、根来寺の塔頭の一つである十輪院(学侶方)の住職を勤めていたようです。

根来寺境内絵図  根来寺境内絵図(部分) 
(全体)                       (朱線で囲んだ部分を拡大)
(根来寺境内絵図、和歌山県立博物館蔵)

 これまで漠然と根来寺との関係で覚栄を捉えなければならないと考えていましたが、十輪院(学侶方)という切り口が見つかったことは貴重な発見です。
 ただ、義演准后日記(慶長6年5月7日条)には、覚栄は同じ時期に東寺に引き籠もったという記述があり、先に述べた根来寺寺院血脈の記述とは、少し齟齬があるようにもみえます。
 覚栄は、自ら住職を勤めた安楽寿院(十輪院もヵ)では、主体的な立場で復興を行いました。
その一方で、京都方広寺大仏殿や醍醐寺・東寺では、応其やその跡を継いだ勢誉(せいよ、1549?1612)のもとで実務を行う奉行として、造営や復興を行っています。

 特別展図録には、概説「木食応其を支えた僧・覚栄の事績について」(前田執筆)が掲載されていますので、あわせてご覧ください。

 24日(日)午後1時30分から、博物館講座「安楽寿院・?あらかわ?と覚栄」を開催します。
講座では、京都と和歌山で活躍した覚栄の事績を具体的にお話しする予定です。また、講座終了後に、ミュージアムトークも行います。振るって、ご参加ください。

(主任学芸員 前田正明)

→和歌山県立博物館ウェブサイト
→特別展 京都・安楽寿院と紀州・?あらかわ?

この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
http://kenpakunews.blog120.fc2.com/tb.php/291-5c27b94c

0件のトラックバック

0件のコメント

コメントの投稿

投稿フォーム
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

Appendix

月別アーカイブ

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

カウンター