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スポット展示「重陽(ちょうよう)と砧(きぬた)」

博物館の所蔵品のなかから数点を取り上げて、
約1か月ごとのテーマに合わせて無料で公開する「スポット展示 季節のしつらい」。

今年(2010年)の5月からスタートしたスポット展示については→こちらをご参照ください。


6回目の今回のテーマは
重陽と砧(ちょうようときぬた)
【会期:2010年10月8日(金)?11月7日(日)】

スポット展示(重陽と砧)展示状況(画像をクリックすると拡大します)

 重陽(ちょうよう)は、旧暦(きゅうれき)の9月9日(現在の暦では今年は10月16日に相当)の節句(せっく)です。中国では、一桁(ひとけた)の最大の奇数(陽数)である「九」が重なる日を不吉とし、その邪気(じゃき)をはらうための節句でした。菊の節句とも呼ばれ、長寿を象徴する菊を飾り、菊酒を飲んだりしました。一方の砧(きぬた)とは、洗濯後の衣(ころも)を槌(つち)で叩(たた)いてしわをのばす、アイロンのような作業のことです。もの悲しい砧の音は、古く晩秋の風物詩(ふうぶつし)でした。

☆9月の異名
長月(ながつき)・季秋(きしゅう)・晩秋(ばんしゅう)・無射(ぶえき)・菊見月(きくみづき)・紅葉月(もみじづき)・小田刈月(おだかりづき)・季商(きしょう)・授衣(じゅい)・玄月(げんげつ)・稲熟月(いなあがりづき)・竹酔(ちくすい)

☆10月の異名
神無月(かんなづき)・孟冬(もうとう)・初冬(しょとう)・応鐘(おうしょう)・小春月(こはるづき)・時雨月(しぐれづき)・木の葉月(このはづき)・開冬(かいとう)・霜先(しもさき)・陽月(ようげつ)・神有月(かみありづき)・初霜月(はつしもづき)



以下は展示資料の解説です。


?和歌懐紙「聞擣衣」 大綱宗彦筆
 (わかかいし「とういをきく」 だいこうそうげんひつ)
和歌懐紙「聞擣衣」大綱宗彦筆(画像をクリックすると拡大します)
   1幅
   紙本墨書
   江戸時代(19世紀)
   縦27.4? 横39.4?

 擣衣(とうい)とは、洗濯後の衣(ころも)を槌(つち)で叩(たた)いて、しわをのばし、つやを出すための作業のことです。一般には、砧(きぬた)打ちとも呼ばれ、いわば現代のアイロンがけに相当します。和歌は、「打人(うつひと)の こゝ(こ)ろの底は しらねと(ど)も ひゝ(び)くきぬたの 音そ(ぞ)かなしき」と書かれており、衣を打つ砧の音の、もの悲しさを表現しています。
 筆者の大綱宗彦(だいこうそうげん、1772?1860)は、京都出身の僧侶で、文政3年(1820)に大徳寺(だいとくじ)の435世となった人物です。千家や永楽保全(えいらくほぜん、1795?1854)と交流があり、詩歌や書画をよくしたことでも知られます。



?瓢花入 銘「面壁」
 (ひさごはないれ めい「めんぺき」)
瓢花入 銘「面壁」(画像をクリックすると拡大します)
    1口
   江戸時代(19世紀)
   高25.0? 径22.6?

 瓢花入(ひさごはないれ)とは、夕顔(ゆうがお)や瓢箪(ひょうたん)の実で作られた花入のことです。夕顔は、夏に白い花をつけ、果実は干瓢(かんぴょう)となり、果皮は乾燥させて瓢とします。瓢箪は夕顔の変種で、瓢は秋の季語にもなっています。
 この花入は、紀伊徳川家と姻戚(いんせき)関係にある伊予国(いよのくに、現在の愛媛県)の西条藩(さいじょうはん)から天保6年(1835)に紀伊徳川家へ贈られたものです。紀伊藩10代藩主の徳川治宝(とくがわはるとみ、1771?1853)の庇護(ひご)を受けた表千家10代の吸江斎(きゅうこうさい、1818?60)が、花入の形を壁に向かって坐禅(ざぜん)する達磨(だるま)に見立てて「面壁(めんぺき)」と名付け、背面に朱漆銘(しゅうるしめい)を記しています。
瓢花入(背面) 瓢花入(内箱蓋裏) 瓢花入(外箱側面紙貼付)
(花入背面)          (内箱蓋裏)     (外箱側面貼付紙)



?菊置上香合 永楽保全作
 (きくおきあげこうごう えいらくほぜんさく)
菊置上香合(画像をクリックすると拡大します)
    1合
   江戸時代 文政11年(1828)
   高3.3? 径8.2?

 この香合(こうごう)は、永楽保全(えいらくほぜん、1795?1854)が和歌山で偕楽園焼を制作した際に、紀伊藩10代藩主の徳川治宝(とくがわはるとみ、1771?1853)から褒美(ほうび)として拝領(はいりょう)した「河濱支流(かひんしりゅう)」と「永樂(えいらく)」の印を用い、以後、永楽と名乗るようになったことを記念して作られたものです。白い胡粉(ごふん)を重ねる置上(おきあげ)という技法で蓋表(ふたおもて)に菊を描き、下地には金箔(きんぱく)を貼(は)っています。器には、「河濱支流」と「永樂」の印が捺(お)され、表千家10代吸江斎(きゅうこうさい、1818?60)の「好(このみ)」の字と花押(かおう)があります。
 菊は、菊の露を飲んで不老不死になった菊慈童(きくじどう)の話にあるように、長生の薬効があるとされ、不老長寿を象徴しました。
菊置上香合(蓋裏) 菊置上香合(身底面) 菊置上香合(内箱蓋裏)
(蓋裏)         (身底面)        (内箱蓋裏)



参考解説
永楽保全(えいらくほぜん、1795?1854)
 永楽保全(えいらくほぜん)は、京都の陶工である西村善五郎(にしむらぜんごろう)家の11代目です。もとは、京都上京(かみぎょう)の織屋沢井家に生まれ、大徳寺の僧侶である大綱宗彦(だいこうそうげん、1772?1860)の仲介で10代了全(りょうぜん)の養子となったとされます。西村家は代々、土風炉(どぶろ)を専門に作る陶工でしたが、了全のころから他の陶芸制作にも進出しました。保全も了全の影響を受けて、若いころから千家や三井家に伝来する茶道具に接し、その写しを制作したようです。文政10年(1827)には、紀伊藩10代藩主である徳川治宝(とくがわはるとみ、1771?1853)の命で和歌山へ招かれ、偕楽園焼(かいらくえんやき)の制作・指導にあたっています。その褒美(ほうび)として与えられたのが「河濱支流(かひんしりゅう)」の金印と「永樂(えいらく)」の銀印で、以後、永楽と名乗りました。



さて、今回のスポット展示は11月7日までです。
暑かった夏も終わり、ようやく涼しい秋がやってきました。今年の秋は比較的短く、すぐに寒くなるようですが、「行楽の秋」、「読書の秋」、「食欲の秋」を、それぞれ存分に楽しんでください。
また、秋は「芸術の秋」の季節でもあります。今回のスポット展示の会期と同じ11月7日(日)までは、特別展「京都・安楽寿院と紀州・?あらかわ?」展も開催中です。ぜひ、合わせてご鑑賞くださりませ。
なお、このスポット展示は、どなたでも無料でご覧いただけます。(学芸員 安永拓世)

→和歌山県立博物館ウェブサイト
→これまでのスポット展示
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