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スポット展示「秋草と虫の音」

5月からはじまった「スポット展示 季節のしつらい」。
スポット展示については→こちらをご参照ください。

4回目の今回のテーマは
秋草と虫の音(あきくさとむしのね)
【会期:2010年8月8日(日)?9月4日(土)】

「秋草と虫の音」展示状況写真(軽)(画像をクリックすると拡大します)

 現在の暦(太陽暦(たいようれき))の8月は、まだまだ夏の暑さが残る季節ですが、8月7日は立秋(りっしゅう)で、暦の上では、秋となります。
 本格的な秋草の季節には、少し早いものの、萩(はぎ)・桔梗(ききょう)・撫子(なでしこ)・女郎花(おみなえし)などは、すでに花をつけはじめるころです。また、夜の涼しい虫の音も、日中の暑さを忘れさせてくれます。日本の文学や美術では、古くから、こうした目立たぬ秋草や虫たちへのまなざしを大切にしてきました。

☆7月の異名
文月(ふみづき)・孟秋(もうしゅう)・初秋(しょしゅう)・夷則(いそく)・棚機月(たなばたづき)・愛逢月(めであいづき)・女郎花月(おみなえしづき)・涼月(りょうげつ)・処暑(しょしょ)・蘭月(らんげつ)・文披月(ふみひろげづき)・瓜時(かじ)

☆8月の異名
葉月(はづき)・仲秋(ちゅうしゅう)・盛秋(せいしゅう)・南呂(なんりょ)・月見月(つきみづき)・雁来月(かりきづき)・燕去月(つばめさりづき)・迎寒(げいかん)・白露(はくろ)・萩月(はぎづき)・紅染月(こうぞめづき)・竹の春(たけのはる)



以下は展示資料の解説です。


?博雅三位図 岩瀬広隆筆
(はくがのさんみず いわせひろたかひつ)
博雅三位図 岩瀬広隆筆(軽)(画像をクリックすると拡大します)
   1幅
   絹本著色
   江戸時代(19世紀)
   縦30.0? 横34.6?

 博雅三位(はくがのさんみ)とは、平安時代に活躍した楽人の源博雅(みなもとのひろまさ、918?80)が、逢坂山(おうさかやま)の蝉丸(せみまる、生没年未詳)のもとに三年間通い続け、ついに琵琶(びわ)の秘曲を伝授されたという説話に基づく主題です。家屋の中にいるのが蝉丸で、博雅は、左下で琵琶の音に耳を傾けています。萩(はぎ)・桔梗(ききょう)・芒(すすき)などの繊細な秋草の描写が、画面に小さなリズムを与え、虫の音や琵琶の音を感じさせます。
 岩瀬広隆(いわせひろたか、1808?77)は、京都出身で、天保4年(1833)ごろ、和歌山の本屋の依頼で『紀伊国名所図会(きいのくにめいしょずえ)』の挿絵(さしえ)を描き、後に紀伊藩のお抱え絵師(おかかええし)となりました。



?秋草蒔絵煙草盆
(あきくさまきえたばこぼん)
秋草蒔絵煙草盆(軽)(画像をクリックすると拡大します)
    1口
   江戸時代(18?19世紀)
   縦15.0? 横20.0? 高19.5?

 煙草盆(たばこぼん)は、江戸時代に煙草を吸うとき使う道具を入れておいた容器で、茶席(ちゃせき)の待合(まちあい)などでも使用されました。
 この煙草盆は、木製の箱の上に漆(うるし)を塗り、その漆の上に金や銀の粉をまいて文様を描く蒔絵(まきえ)という技法を用いて、秋草や水流をあらわしたものです。萩(はぎ)・桔梗(ききょう)・葛(くず)・芒(すすき)・女郎花(おみなえし)といった秋の七草をはじめ、芙蓉(ふよう)・笹(ささ)・菊(きく)などもあしらわれています。上部にある金属の容器は、煙草につける火や灰を入れておく部分です。この資料は、もと紀伊藩士であった早川家(はやかわけ)に伝わり、近年、博物館へ寄贈されました。



?南紀男山焼 金彩虫籠香合
(なんきおとこやまやき きんさいむしかごこうごう)
南紀男山焼 金彩虫籠香合(軽)(画像をクリックすると拡大します)
    1合
   江戸時代(19世紀)
   縦4.1? 横4.2? 高5.0?

 香合(こうごう)とは、茶席(ちゃせき)で、炭のにおいを消すために使うお香を入れておく器です。虫籠(むしかご)香合とは、一般に、虫籠を模した木製の籠形の香合を指す場合が多いのですが、透(す)かしを用いた陶磁器製のやや小ぶりな箱形の香合を指す場合もあります。
 この虫籠香合は、上からすっぽりと蓋(ふた)をかぶせる形式で、蓋の上部に七宝(しっぽう)の文様を透かし、各面に牡丹唐草文(ぼたんからくさもん)をあしらったものです。地の大半には金泥(きんでい)を焼き付ける金彩(きんさい)の技法を用いており、牡丹唐草の花弁には薄紅色(うすべにいろ)の釉薬(ゆうやく)を施しています。底裏に「南紀男山(なんきおとこやま)」の銘があります。



参考解説
南紀男山焼(なんきおとこやまやき)とは

 南紀男山焼は、文政10年(1827)に紀伊藩の許可を得た崎山利兵衛(さきやまりへえ、1797?1875)が、有田郡広村(ありだぐんひろむら)の男山(おとこやま)の麓(ふもと)(現在の広川町上中野(ひろがわちょうかみなかの)にある広八幡神社(ひろはちまんじんじゃ)の裏山)で焼かせたやきものです。窯(かま)を開くにあたっては、京都の陶工(とうこう)である尾形周平(おがたしゅうへい、生没年未詳)や、肥前国有田(ひぜんのくにありた)(現在の佐賀県西松浦郡有田町(にしまつうらぐんありたちょう))の陶工を招いて、技術指導を受けたとされます。初期は、殖産興業政策(しょくさんこうぎょうせいさく)の一環として、藩の全面的な支援があり、紀伊藩10代藩主・徳川治宝(とくがわはるとみ、1771?1852)の意向が強く反映されましたが、治宝没後は藩の方針が変わり、安政3年(1856)には崎山利兵衛に払い下げられ、明治11年(1878)に廃窯(はいよう)となりました。



今回のスポット展示は9月4日までです。
ぜひ、博物館へお越しの際には、2階のスポット展示をご覧ください。(学芸員 安永拓世)

→和歌山県立博物館ウェブサイト
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