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桑山玉洲の命日墓参―和歌山市指定史跡 桑山玉洲の墓―

今日、4月13日は、
先日からコラムでご紹介している
桑山玉洲(くわやまぎょくしゅう、1746?99)の命日です。

ちょうど一か月ほど前の、3月14日は、
野呂介石(のろかいせき、1747?1828)の命日だったので、
お墓参りをしてきて、お墓についてのコラムを書きました。
コラム お墓も指定文化財?―和歌山市指定史跡 野呂介石の墓

今回は、その続編でもありまして、
現在、「新発見・新指定の文化財展」でたくさんの作品を展示している
玉洲の命日ということで、同じく、お墓参りに行ってきました。


和歌浦で廻船業や両替商を営む家に生まれ、
江戸時代中期に活躍した文人画家である玉洲は、
今から211年前にあたる寛政11年(1799)4月13日に、
54歳の若さで亡くなりました。
(実際に玉洲が亡くなったのは、
太陰暦の4月13日のことですから、
太陽暦では今年でいうと5月26日に相当します)

玉洲のお墓は、桑山家の菩提寺(ぼだいじ)である
和歌浦にある宗善寺(そうぜんじ)にあります。
お墓の場所は、少しわかりにくいのですが、
門を入ってすぐ左手の庭の中に、
石灯籠(いしどうろう)などと並んで立っています。

玉洲命日墓参2(画像をクリックすると拡大します)

お庭には石畳があり、お墓のそばへと近づけるようになっていますが、
樹木が多いので、慎重に…。
樹木をくぐって近づくと、ようやく玉洲のお墓が見えてきます。

玉洲命日墓参(画像をクリックすると拡大します)

お墓の正面には、二つの戒名が刻まれていますが、
向かって右側の「香雨院釈教忍信士 玉洲桑嗣燦」とあるのが、玉洲です。
向かって左側の「松風院釈貞忍信女 妻君婉」とあるのは、玉洲の妻である君婉(くんえん)です。
向かって右側の側面には玉洲の命日である「寛政十一未年 四月十三日 桑山氏」と刻まれ、
向かって左側の側面には君婉の命日である「文政十一子年 五月十五日」と刻まれています。

君婉は、玉洲に絵を学んだのか、いくつか絵画作品も残しており、
宗善寺にも、玉洲と君婉の絵が貼られた屏風があります。

この屏風や、玉洲と君婉については、
和歌山市立博物館で2006年に開催された「桑山玉洲」という展覧会の図録である
和歌山市立博物館編「特別展 桑山玉洲」(和歌山市教育委員会、2006年)
にくわしく紹介されています。
ご興味のある方は、そちらをご参照ください。

ともあれ、このお墓は、
桑山玉洲夫妻の非常に貴重な情報を提供するものともいえるでしょう。

そういった観点から、このお墓も、
野呂介石のお墓と同様に、
昭和46年(1971)に和歌山市の史跡に指定され、
現在は、和歌山市指定文化財となっています。


夕方に、急いでお墓参りに行ったので、
手向ける花も用意していきませんでした…。
さびしい墓前となってしまいまして、
まことに申し訳ございません。

文化財であるとはいえ、
お墓は、先人たちを弔(とむら)い、
その在りし日の姿に思いをはせる、
神聖な場所でもあります。

54歳の若さで亡くなった玉洲。
歴史に「もし」はありませんが、
もし、玉洲がもう少し長生きしていたら、
和歌山の画壇は、いや、日本の江戸時代の絵画の歴史は、
今とはだいぶ違ったものになっていたと思います。

若くして亡くなりましたが、
それでも、これほどすばらしい作品を残してくれた玉洲に、
感謝の念で、心から手を合わせました。(学芸員 安永拓世)

企画展 「新発見・新指定の文化財」
和歌山県立博物館ウェブサイト


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