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コラム「野呂介石の生涯」5

今日は、コラム「野呂介石の生涯」の5回目です。

5 矮梅居(わいばいきょ)―依頼多き日々

春景山水図 野呂介石筆(和歌山県立博物館蔵)(画像クリックで拡大します)

 寛政6年(1794)に、介石が紀伊藩から新しく賜った屋敷地には、広い庭があったようです。この園内には、さまざまな植物が生えていたとも伝えられていますが、その中に、とりわけ古い梅の木があったといいます。この梅の木は老梅で、背丈は低く、幹などにはうろがあり、曲がっていました。そこで、介石はこれを見て、みずからの居室に「曲がっている梅のある居室」という意味で、「矮梅居」と名付けたのだそうです。
 介石の作品を見ていると、その款記(サイン)の中に「於矮梅居」と書かれたものがよく登場します。これは、その絵が、「矮梅居」すなわち自分のアトリエで描かれたことを示しているのです。また、介石の作品には、描かれた場所だけではなく、その絵を贈った相手や、注文した人物について書かれていることも少なくありません。こうした作品からは、介石の交友関係や、どのような人たちにどのような作品が求められたのかをうかがうことができます。
 一方、介石の居室には「矮梅居」だけではなく、「十友居」などのさまざまな呼び名もありました。こうした介石の居室では、友人たちが集って書画会を開いたりしたようです。そのときに作られた作品などからは、当時の文人たちの息づかいが伝わってきます。(学芸員 安永拓世)


特別展 野呂介石
和歌山県立博物館ウェブサイト


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