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コラム「野呂介石の生涯」4

今日は、コラム「野呂介石の生涯」の4回目です。

4 東都(とうと)―江戸と富士

DSC03916.jpg (画像クリックで拡大します)
富岳白絲泉図 野呂介石筆 (個人蔵)

 寛政5年(1793)の7月に紀伊藩士となった介石は、寛政11年(1799)の6月に公務で江戸を訪れたようです。その具体的な経緯についてはよくわかりませんが、同年の6月12日に、大坂の文人・木村蒹葭堂(きむらけんかどう、1736-1802)を訪ねているので、このあと江戸へ向かったと想像されます。この江戸行きの途中で、介石ははじめて富士山を見たらしく、よほどの感銘を受けたのでしょう。この寛政11年(1799)から翌年にかけて、介石はこの江戸行きの途中でさまざまな場所から見た富士山を絵に描いています。
 また、享和元年(1801)2月にも、介石は再び江戸を訪れていますが、このときは、10代藩主・徳川治宝(とくがわはるとみ、1771-1853)の参勤交代(さんきんこうたい)に同道したようです。「蒹葭堂日記(けんかどうにっき)」によると、2月19日と20日に介石が蒹葭堂を訪ね、23日には蒹葭堂自身が治宝に謁見(えっけん)しています。ところで、この2月の江戸行きで介石が見た富士山は、まだ昇る前の朝日を受けた紅色の富士山であったため、介石にとって、とりわけ忘れがたいものになったようです。その紅富士を描いた美しい作品もいくつか残されています。
 介石の師である池大雅(いけのたいが、1723-76)は、登山を好み、少なくとも3回は富士山に登ったことがわかっており、富士山を主題とした作品も数多く残しています。介石の描く富士山には、そうした大雅の作品からの影響と、実際に見た富士山の景観と感動とが、見事に重ね合わされているといえそうです。(学芸員 安永拓世)


特別展 野呂介石
和歌山県立博物館ウェブサイト


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