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コラム きのくに荘園の世界? 西岡虎之助と紀州の荘園

西岡虎之助
 西岡虎之助は、明治28年(1895年)、現在のかつらぎ町教(きょう)良(ら)寺(じ)に生まれた歴史家で、日本における荘園研究を切り開いた先駆者として知られています。また、西岡は、世界中を巻き込んだ戦争へと日本が突き進んだ大正から昭和の時代にかけて、天皇・貴族や武士といった支配者からみた歴史ではなく、女性や子どもを含む、民衆の視点から歴史を描く必要性を説いた民衆史研究の草分けでもありました。
西岡は、大正5年(1916年)、和歌山県師範学校を卒業すると、はじめ郷里に近い四郷尋常高等小学校(現在の四郷小学校)に赴任しています。その後、大正7年(1918年)には志賀尋常高等小学校へと転任していますが、この年の秋、西岡は小学校教員を辞し、東京帝国大学へ進学します。当時の師範学校は、教員数を確保する目的もあって、学資を支給する代わりに、卒業後10年間、教職に就くことを義務化していましたが、西岡はこの義務に反して、進学することを決意したわけです。そして東京帝国大学の在学中、講義を受けていた宮地直一の薦めもあって、新たに刊行されることになった『日本文化史』というシリーズ物の一巻の執筆者に抜擢され、このシリーズの中では最年少で執筆にあたっています。大正10年(1921年)、東京帝国大学文学部国史学科選科を修了した西岡は、東京帝国大学史料編纂掛(がかり)(現在の東京大学史料編纂所)に職を得て、その後33年の長きにわたって、『大日本史料』の編纂に携わることとなりました。
 西岡は、当初、古代史、とくにその文化史の領域で次々に論文を発表していきましたが、
三○歳代の半ば頃から、農業史や荘園制への関心を深め、論文「荘園制の発達」を発表してその地位と名声を確立しました。この論文は、後に朝日賞を受賞することになる『荘園史の研究』の巻頭に収録された論文で、荘園の成立と発展を、律令制的土地支配の変質と関係づけて論じたその内容は、現在でも教科書などの記述の骨格となっています。歴史の教科書は、戦前と戦後でその内容が大きく変わりましたが、戦前から一貫して民衆史の立場を堅持し、自らも教科書の執筆に取り組んだ西岡の教科書記述は、戦後になってもほぼそのまま踏襲されることとなったのです。
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