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コラム「企画展 根来寺の“内”と“外”」

根来枡
 これは、米などの穀物の量を量る一斗枡です。破損により正確な容量を量ることはできませんが、およそおよそ七升五合程度の容量であると考えられます。側面に、「天文廿二年癸丑八月吉日」の年号や、「惣分代官」「勢算」という、根来寺の行人方の僧侶と考えられる人物の名前が刻み込まれており、破損して失われてしまった残りの一面には、「長滝庄領家方斗(ます)也」と刻まれていたことが、和泉(現在の大阪府南部)地域のことを記した江戸時代の地誌『かりそめのひとりごと』などから分かっています。これらのことにより、この枡は、当時、根来寺の支配下にあった和泉国長滝(ながたき)荘(現在の泉佐野市長滝付近)において、根来寺の行人方の僧侶が年貢などを徴収する際に用いていたものであることが分かります。使用の便を考慮して、ひとつの側面を取把っ手状にのばした珍しい形式で、口縁部はその摩滅を防止するため、細長く切った竹を貼りめぐらした竹伏せ枡という形式をとっています。
 ところで、現在、枡と言えば、普通は全国どこでも同じ大きさであるのが当然ですが、中世においては、使われる目的や地域によって、大きさはまちまちでした。同じ一斗枡であっても、年貢を徴収する際に使われる枡に比べ、領民に対して米や種籾を給付する際に使われる枡は小さいのが普通だったのです。容量の単位となる枡の大きさが違うことで、様々な不便や不都合があったと思われますが、江戸時代はじめに大きさが統一されるまで、人々はこうした違う大きさの枡をごく普通に使い分けていました。

企画展「根来寺の“内“と”外“」
和歌山県立博物館ウェブサイト
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