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「古今年代記」を読む―比井浦の宝永4年の津波被害―

今回からは、日高町の比井浦に関わる記録「古今年代記」を読みたいと思います。 「古今年代記」は、比井浦で廻船業を営んでいた村上家に残されていた古文書で、天正13年(1585)から寛政2年(1790)ごろまでの比井浦の歴史を記したものです。比井浦内の寺社・祭礼、地名の由来、火事などの事件、宝永の津波、歴代庄屋などのことが記されています。今回取り上げる内容は、前々回・前回に引き続き宝永4年(1707)の...

3月30日(水)まで、印南町公民館で「印南町の災害史料」展が開催されています

3月6日まで当館で開催したコーナー展示「先人たちが残してくれた『災害の記憶』」に関連して、現在印南町公民館のロビーで、「印南町の災害史料~安政地震・津波の記憶~」が開催されています。期間は30日(水)までで毎日開催しています。開館時間は9時~17時です。印南町公民館の案内http://www.town.wakayama-inami.lg.jp/contents_detail.php?frmId=296〔展示資料〕 かめや板壁書置 弥兵衛筆 1枚 慶応3年(1867) 印南町教育委...

「広浦大波戸再築記録」を読む-災害からの復興-

今回も広浦の記録を読みましょう。ただ史料は「広浦大波戸再築記録」(広川町教育委員会蔵)に替わります。この記録は、宝永4年(1707)の津波で被災した広浦の復興計画を記したもので、波戸場を修築することで廻船の寄港を促し、広浦を昔のように繁栄させようと目指したものでした。(本文)一広・湯浅両村者、御城下より南江取、御国内之 商内場所ニ候得共、三里之入海ニ而船懸り湊無之 候故、他国諸廻船繋場を恐レ入船無...

「広浦往古ヨリ成行之覚」を読む(2)―宝永4年の津波―

前回に続いて、「広浦往古ヨリ成行之覚」を読んでみたいと思います。前回のコラムでは、広浦の変遷について、出漁先の不漁が原因で、広浦の家数・人数が減っていったという状況を紹介しました。広浦の変遷を語るうえでは、そのほかにも大きな出来事がありました。それは宝永4年(1707)10月4日に起きた地震・津波です。(本文)一宝永四年亥高浪ニ而、広浦家居四百軒余流失 仕候、人数も夥敷流失仕候付、残り家数六百軒斗...

「広浦往古ヨリ成行之覚」を読む

企画展「海の国・わかやま」で紹介している古文書について、内容を詳しく紹介したいと思います。というのも、博物館の展示で紹介できるのは、冊子の場合、見開きのみとなり、また解説文の内容も限られることから、ストーリーなど、その面白さを十分に伝えることが難しく、結構素通りされてしまうことが多いからです。今回は「広浦往古ヨリ成行之覚」(広川町教育委員会所蔵)という、広浦(和歌山県広川町)の漁師稼ぎの変遷につい...

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