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ミュージアムトークを行いました(4)

 今日(30日)、午後1時30分から、8回目のミュージアムトークを行いました。台風一過にもかかわらず、17人の方に参加していただきました。(遍照寺本尊の前での展示説明) 今回は、安楽川地域から少し紀ノ川をさかのぼった、かつらぎ町妙寺の遍照寺と覚栄のかかわりを紹介します。 (画像をクリックすると拡大します)(空からみた妙寺地区周辺、赤で囲んだのが遍照寺、青で囲んだのが畑谷池)(遍照寺の現在の本堂) 遍照寺...

職場体験学習(城東中学校2010)

今週も、中学生の職場体験学習の一環として、和歌山市立城東中学校の2年生の生徒2名が、10月27日から29日までの3日間、博物館の仕事をお手伝いしてくれました。 1日目は、いつものとおり、博物館の裏側をくまなく探検。展示室をはじめ、展示準備室やくん蒸庫、収蔵庫などを見学しました。博物館の空調や電気設備を管理する中央監視室では、火災の際に散布される特別な消火剤の説明などを受けました。 その後は、次回の企画展の手作...

特別展「京都・安楽寿院と紀州・?あらかわ?」コラム(6)

根来大工活躍の立役者 覚栄 三船神社は、古くは御船明神社とも呼ばれ、紀の川市桃山町神田(こうだ)の柘榴川右岸の三船山麓に鎮座しています。(三船神社、重要文化財) 祭神は木霊屋船命(こだまやふねのみこと)・太玉命(ふとだまのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)の三神で、摂社に丹生明神社と高野明神社があります。創建は不明ですが、江戸時代後期の地誌である紀伊続風土記によれば、もとは柘榴川上流の黒川(...

平成22年度和歌山県立博物館協議会が開催されました

本日(10月26日)は、和歌山県立博物館の運営や活動についてを議論する、博物館協議会が開催されました。博物館協議会では、さまざまな専門分野の協議会委員の方々にお集まりいただき、博物館の事業や運営に関する事業報告や、予算案などについての協議をおこないます。協議会は、毎年1回開催され、この協議会での協議内容や委員の方々のご意見に基づきながら、博物館は事業をすすめていくことになります。今年は、13名の委員の先...

博物館講座を行いました(2)

 今日(24日)、午後1時30分から午後3時まで、博物館講座「安楽寿院・?あらかわ?と覚栄」を開催し、37人の参加者がありました。 講演の内容は、木食応其を支えた僧・覚栄に焦点をあて、1木食応其と覚栄2京都における覚栄の活動3紀州における覚栄の活動 この3つの視点から、覚栄の事績に迫りました。(講演会の様子)(画像をクリックすると拡大します)(配付した資料) 1では、まず応其の事績を紹介し、覚栄が応其の内...

職場体験学習(伏虎中学校2010)

和歌山市立伏虎中学校の2年生の生徒2名が、10月20日から22日までの3日間、職場体験学習の一環として、博物館の仕事をお手伝いしてくれました。 まず、1日目は、いつものとおり、博物館の裏側までじっくり見学。展示室をはじめ、展示準備室やくん蒸庫、収蔵庫など、どこにどんな部屋があるのか、覚えられたでしょうか?博物館の空調や電気設備を管理する中央監視室では、収蔵庫の温湿度を一定に保っているしくみや、火災の際に散布...

特別展「京都・安楽寿院と紀州・?あらかわ?」コラム(5)

木食応其を支えた僧・覚栄 前回紹介した木食応其(もくじきおうご、1536?1608)のもとには、彼が行う造営事業を支える「内衆」(奉行)たちがいました。覚栄(かくえい、??1622)もその一人だったようです。義演准后日記のなかで、覚栄は「上人執事」(文禄5年〈1596〉1月28日条)と記されていますので、応其配下のなかで最も有力な人物として認識されていたようです。 覚栄は修造を専門に行う穀屋系奉行であったという説があ...

ミュージアムトークを行いました(3)

 今日(16日)、午後1時30分から、6回目のミュージアムトークを行い、15人の方に参加していただきました。(調月村・上野村絵図の前での展示説明)(調月村・上野村絵図〈部分〉、金剛峯寺蔵) 調月村・上野村絵図は、神田村(こうだむら、現在の紀の川市桃山町神田)から調月村(つかつきむら、現在の紀の川市桃山町調月)にいたる柘榴川(ざくろがわ)流域(とくに右岸)の耕地を中心に描いたものです。 今回は、この絵図に...

職場体験学習(西脇中学校2010)

和歌山市立西脇中学校の2年生の生徒2名が、10月13日から15日までの3日間、職場体験学習の一環として、博物館の仕事をお手伝いしてくれました。職場体験学習とは、生徒が事業所などの職場で働くことを通じて、実際の職業や仕事について体験したり、働く人々と接したりする学習活動のことです。こうした体験によって、生徒が働くことの意義を理解し、主体的に進路を選択できるようになることが大きな目的の一つといえます。1日目は、...

特別展「京都・安楽寿院と紀州・?あらかわ?」コラム(4)

秀吉の焼き討ちから高野山を救った僧 今回は、覚栄(かくえい、??1622)と最もかかわりの深い、木食応其(もくじきおうご、1536?1608)を紹介します。    見じき(聞)かじ い(言)はじおも(思)はじ 捨し身を   出入いき(息)の 風にまかせて   もうこれからは何も見ない、何も聞かない、何も言わない、何も思わない。   世を捨てた身となって、吐く息のように風にまかせて生きるだけだ。 これは、木食応其...

博物館講座を行いました(1)

 今日(11日)、午後1時30分から3時まで、当館の坂本学芸員による博物館講座「悪党が去ったあとの?あらかわ?」を開催し、60人の参加がありました。(講座の様子)講座では鎌倉時代から室町時代(13世紀?15世紀)の?あらかわ?(現在の紀の川市桃山町)の歴史を、?鎌倉時代に?あらかわ?でおこった「悪党」問題?室町時代の?あらかわ?この2つの視点から、読み解くという内容でした。 とくに、?では悪党の活動にかかわる史料から悪...

ミュージアムトークを行いました(2)

 今日(10日)、午後1時30分から、ミュージアムトークを行い、10人の方に参加していただきました。(金剛力士像の前での展示説明)  (金剛力士像の展示風景)(金剛力士像方座底面の墨書銘)  (摧薪録〈部分〉、安楽寿院蔵) 摧薪録には、この康正(1534?1621)作とされる金剛力士像(安楽寿院蔵)にかかわる逸話がのせられています。それによれば、昔、覚栄(??1622)が高野山で金剛力士像を造らせたことがあり、安楽寿...

博物館友の会のバス研修旅行が行われました。

 今日(9日)、現在開催中の特別展「京都・安楽寿院と紀州・?あらかわ? ―木食応其を支えた僧・覚栄の事績を中心に―』のゆかりの地などをめぐる、博物館友の会のバス研修旅行が行われました。あいにくの雨にかかわらず、27人(事務局3人含む)の参加がありました。 (展示解説の様子〈中・近世におけるあらかわの開発と景観〉) まず、特別展の展示をご覧いただきました。その後、バスに乗りこみ目的地に向かって出発しました...

笠田高校で出張講演

 10月7日(木)、かつらぎ町の笠田高校を訪れて、「高野山って、どんなところ?―参詣者を高野山へと導く町石道をたどりながら―」と題してお話してきました。 これは、同校の普通課3年生が総合的な学習の時間「21世紀を自ら歩く」の取り組みで、10月20日に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産である町石道を歩いて、かつらぎ町天野地区の丹生都比売神社を訪れるのに際して、事前学習としてお声がかかったものです。会...

スポット展示「重陽(ちょうよう)と砧(きぬた)」

博物館の所蔵品のなかから数点を取り上げて、約1か月ごとのテーマに合わせて無料で公開する「スポット展示 季節のしつらい」。今年(2010年)の5月からスタートしたスポット展示については→こちらをご参照ください。6回目の今回のテーマは重陽と砧(ちょうようときぬた)【会期:2010年10月8日(金)?11月7日(日)】(画像をクリックすると拡大します) 重陽(ちょうよう)は、旧暦(きゅうれき)の9月9日(現在の暦では今年は1...

特別展「京都・安楽寿院と紀州・?あらかわ?」コラム(3)

東寺・醍醐寺と覚栄 今回の特別展で紹介している覚栄(かくえい、??1622)は、これまで紹介した安楽寿院の復興のほか、東寺や醍醐寺の復興にもかかわっていました。今回は、東寺・醍醐寺と覚栄とのかかわりをみてみたいと思います。 室町時代から安土桃山時代にかけて、東寺の伽藍は戦乱や地震のため、大きな被害を受けていました。秀吉は木食応其を奉行に命じ、天正17年(1589)から灌頂院、東門、講堂の屋根瓦葺の順に修理を...

ミュージアムトークを行いました(1)

今日(2日)、午後1時30分から、ミュージアムトークを行い、10人の方に参加していただきました。(中尊寺経の前での展示説明) (中尊寺経の展示、全体) 中尊寺経は、永久5年(1117)に、奥州藤原氏初代の藤原清衡(ふじわらのきよひら、1056?1128)が発願して書写が始まったといわれ、現在、中尊寺経の大半を占める4296巻は、高野山の金剛峯寺に所蔵され、国宝に指定されています。    (中尊寺経〈金剛峯寺蔵〉の展示)...

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