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博物館講座開催!

今日は、現在当館で開催中の特別展「野呂介石―紀州の豊かな山水を描く―」の博物館講座が開催されました。昨日の夜あたりからずいぶん寒くなり今朝もかなり冷え込んだのですが今日は、NHKの「日曜美術館」アートシーンで野呂介石展が紹介されたこともあってでしょうか思っていたよりも多くのご来館者とご参加者に恵まれました。講座は37人のご参加者がありました。みなさまお忙しい中、ありがとうございました。 (会場の風景...

コラム「野呂介石の生涯」7

今日は、コラム「野呂介石の生涯」の7回目です。7 紀州を描く―真景(しんけい)と豊かな山水(画像クリックで拡大します)和佐真景図(わさしんけいず) 野呂介石筆 文化3年(1806) 個人蔵 中国の文化にあこがれていた江戸時代の文人たちにとって、中国の絵や詩に表現された名勝は、本場中国の絶対的な風景でした。日本の画家たちが描く山水図の多くが中国風であるのは、そのためです。しかし、江戸時代の中期ごろになる...

2回目の記念講演会

今日は、「野呂介石」展の2回目の記念講演会が開催され、大阪大学総合学術博物館教授の橋爪節也(はしづめせつや)先生に「江戸時代の大坂画壇と野呂介石―木村蒹葭堂を中心に―」という演題でご講演をいただきました。寒かった昨日とはうって変わって快晴の暖かい日和に恵まれたこともあって講演会には55人の方々にご参加いただきました。ありがとうございます。  会場の風景はこんな感じです。ご講演の内容は、介石の画業にも...

ミュージアムトーク4回目

本日は、後期展示となってはじめてのミュージアムトークが開催されました。朝は少し冷え込んだものの午後からは少し暖かい陽が差してきたのですが連休の初日とあって最初の参加者は6名と、いつもよりは少なめでした…(トークの風景はこんな感じです)野呂介石展のミュージアムトークとしては4回目なのですが、後期展示になってからははじめてということで、思った以上に気合いが入ってしまい20分ちかく時間を延長してしまいま...

コラム「野呂介石の生涯」6

今日は、コラム「野呂介石の生涯」の6回目です。6 あこがれ―中国絵画の学習と詩意(しい) (画像クリックで拡大します)重要文化財 離合山水図(りごうさんすいず) 伊孚九(いふきゅう)筆 中国・清時代(18世紀) 個人蔵 介石が活躍していたころの江戸時代の日本では、当時の最も先進的な文化の発信地であった中国の文学や芸術を高く評価し、その影響を強く受けていました。日本の文人たちの間では、中国趣味が流行...

「関西文化の日」ミュージアムトーク

一昨日の11月15日は、「関西文化の日」ということで前日の11月14日とともに、入館料が無料であったこともあってとてもたくさんの方々に、ご来館いただきました。また、午後からはミュージアムトークも開催されたのですがこちらのご参加者も45名といつものトークよりもかなり盛況でした。みなさま、ありがとうございます。  トークの風景はこんな感じでした。また、15日は、前期展示の最終日だったためかなりじっくり...

前期展示は今日まで!さらに無料!

野呂介石展の前期展示は今日までです。新聞やテレビで何度か報道された現存する最古の赤富士を描いた「富岳紅暾図(ふがくこうとんず)」をはじめ、約50件の資料が本日までの展示となります。(画像クリックで拡大します)富岳紅暾図(ふがくこうとんず) 野呂介石筆 (個人蔵)現在展示してある資料が全部で約150件ですから三分の一の作品が展示替えということとなります。さらに、昨日と今日は「関西文化の日」ということ...

コラム「野呂介石の生涯」5

今日は、コラム「野呂介石の生涯」の5回目です。5 矮梅居(わいばいきょ)―依頼多き日々(画像クリックで拡大します) 寛政6年(1794)に、介石が紀伊藩から新しく賜った屋敷地には、広い庭があったようです。この園内には、さまざまな植物が生えていたとも伝えられていますが、その中に、とりわけ古い梅の木があったといいます。この梅の木は老梅で、背丈は低く、幹などにはうろがあり、曲がっていました。そこで、介石はこ...

フレッシュ登場5

 和歌山市立西浜中学校の2年生2人が、11月12日(木)と13日(金)の2日間、職場体験学習に来てくれました。受付やミュージアム・ショップでの来館者の対応のほか、2階の文化財情報コーナーに開架している文化財関連図書の整理やポスター掲示の交換、パネルの貼り替えなどを行ってくれました。 今回の職場体験について、2人に感想を聞いてみました。 博物館で仕事の体験をしてみて、いろんな方でこの博物館はできているん...

コラム「野呂介石の生涯」4

今日は、コラム「野呂介石の生涯」の4回目です。4 東都(とうと)―江戸と富士 (画像クリックで拡大します)富岳白絲泉図 野呂介石筆 (個人蔵) 寛政5年(1793)の7月に紀伊藩士となった介石は、寛政11年(1799)の6月に公務で江戸を訪れたようです。その具体的な経緯についてはよくわかりませんが、同年の6月12日に、大坂の文人・木村蒹葭堂(きむらけんかどう、1736-1802)を訪ねているので、このあと江戸へ向かった...

「野呂介石」展の記念講演会が開催されました

今日は、「野呂介石」展の記念講演会が開催され、東京大学大学院人文社会系研究科教授の佐藤康宏(さとうやすひろ)先生に「南画と文人画―野呂介石以前」という演題でご講演をいただきました。11月とは思えないほど暖かい日和に恵まれたこともあってご来館者も比較的多く、講演会も45人の方々にご参加いただきました。ありがとうございます。  会場の風景はこんな感じです。ご講演の内容は、中国における文人画の歴史にはじ...

ミュージアムトーク2回目

今日は、「野呂介石」展の2回目のミュージアムトーク(展示解説)が開催されました。天気も良く、暖かい一日だったこともあり、32名の方にご参加いただきました。みなさま、ありがとうございます。 トークの風景はこんな感じでした。トークのあとも、色々な方からご質問やご感想をいただきました。また、最近は、「うちにも、こんな介石の作品がある」というお話もよくおうかがいします。介石は、たくさんの絵を残した画家です...

コラム「野呂介石の生涯」3

今日は、コラム「野呂介石の生涯」の3回目です。3 出仕(しゅっし)―藩士として父として (画像クリックで拡大します)野呂九一郎系譜書(部分) 野呂介石筆 (和歌山県立文書館蔵) 寛政5年(1793)の2月に、小田仲卿(おだちゅうきょう、生没年未詳)、今井元方(いまいげんぽう、?-1819)、桑山玉洲(くわやまぎょくしゅう、1746-99)とともに熊野を遊歴した介石は、その直後の7月に紀伊藩士として取り立てられまし...

コラム「野呂介石の生涯」2

今日は、コラム「野呂介石の生涯」の2回目です。2 開花―交流と遊歴 (画像クリックで拡大します)和歌浦図巻(部分) 桑山玉洲筆 野呂介石題字 (個人蔵) 池大雅(いけのたいが、1723-76)に師事して絵を学んだ介石ですが、安永5年(1776)に大雅が亡くなってからは、どうやら京や大坂を往来して、関西の文人たちと交流を重ねていたようです。 その最も重要な人物の一人が、大坂で活躍していた文人の木村蒹葭堂(きむら...

文化の日、ミュージアムトーク(展示解説)

今日は、11月3日、文化の日です。文化の日ということで、野呂介石展がはじまって、はじめてのミュージアムトーク(展示解説)が開催されました。朝は、寒さが厳しかったのですが、お昼ごろからは、陽が差して、少し暖かくなりました。そのためか、ミュージアムトークには、24人もの来館者にご参加いただきました。展示のポイントとなる部分を中心に、初公開の作品や、介石の代表作などをいくつか取り上げて、約1時間のトーク...

「古典の日」記念講演会を開催しました

今日は、11月1日で「古典の日」です。古典の日とは…「紫式部日記」の寛弘5年(1008)11月1日の条に「源氏物語」が歴史上はじめて記録されていることから寛弘5年(1008)から1000年目の平成20年(2008)を前にした平成19年(2007)1月に、「源氏物語千年紀委員会」が11月1日を「古典の日」とすることを提案して決められたものです。そのため、もっと古典に親しんでもらおうという意図で、京都や滋賀では、「古典の日」にまつわる関連企画や展覧...

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