現在、毎年7月下旬、紀の川市の粉河寺周辺で粉河祭という祭礼が行われています。粉河寺境内にある産土神社から神輿が出て、JR粉河駅方面へ向かって「お渡り」を行い、前夜には夜空に美しく映える山車が練り歩きます。「紀州三大祭り」などとも呼ばれ、夏の初めの風物詩として、近隣から多くの見学者が訪れる祭礼としてよく知られています。 この粉河祭は、史料の上では、南北朝時代の初めからみられます。当時は、粉河寺六月会...
9月23日(祝)、第4回目のミュージアム・トークを開催しました。この日は久しぶりにお天気もよく、お客さんもたくさん来て頂きました。今回の展示構成からいくと、最初の方が難しく、後の方になると、時折お客さんの中からも笑い声が出ることがあるのですが、これだったら展示構成が逆の方が、聞く方にとってはよかったかな、などと今更ながらの反省。ただ、展示解説を4回も重ねてくると、だんだんに解説の組み立て方もうま...
現在の紀の川市粉河の東部には、中世において、東村と呼ばれる村がありました。この村は、鎌倉時代の終わり頃から、農民たちが自分たちの手で農業用の溜め池を築造していたことが知られています。この写真の古文書は、既存の水田を潰して中五谷池という溜め池を築造した際、従来、水田に課せられていた租税を免除するよう求めた東村の農民たちに対し、粉河寺がそれを認めた証文です。東村では、この他にも、農民たちが自分たちの...
特別展「没後400年 木食応其―秀吉から高野山を救った僧―」の内容について、正式なコンテンツ作製に先駈けて、博物館ニュース上で先にご紹介致します。特別展 没後400年 木食応其―秀吉から高野山を救った僧―平成20年10月18日(土)?11月24日(月・振替休日) 画像クリックで拡大します。 木食応其(もくじきおうご、1536?1608)は、安土桃山時代から江戸時代初頭に活躍した真言宗の僧で、天正13年(1585)の秀吉による紀州攻...
和歌山県立博物館では、平成20年度の特別展として、「没後400年 木食応其―秀吉から高野山を救った僧―」を10月18日から11月24日までの会期で開催します。 木食応其(もくじきおうご)は、戦国時代から江戸時代初頭に活躍した真言宗の僧侶で、豊臣秀が天下統一を行っていくなかで、重要な役割を果たしました。また、天正13年(1585)に行われた秀吉の紀州攻めの際に、高野山を救った人物としても有名です。この特別展では、さまざま...
9月14日(土)、企画展「古文書が語る紀州の歴史」の第1回目のミュージアム・トーク(展示解説)を開催しました。最初のミュージアム・ト?クということで、少し緊張しましたが、お客さんもたくさん来て頂いて、無事終えることができました。写真は、展示の最初の方で、今回の展示資料の中ではとくに注目してほしかった資料の前で解説をしているところです。注目してほしかっただけに、解説にも力が入りました。お客さんにく...
これは、現在の海南市北部にあたる三上荘の山林を開発した湛慶上人が、開発した山林を舎弟の宗顕に譲り渡した時の証文です。はじめ、「深山」を切り開いて願成寺を建立し、その周辺の山地を開発していったことなどが記され、地域開発の端緒を考える上で重要な史料です。なお、この史料は願成寺文書として、和歌山県指定文化財に指定されています。 平安時代後期は、全国的に未開の山野や荒地が開発されたり、一度、開発されたも...
「面掛行列」というと、全国的には神奈川県鎌倉市の御霊神社で行われる祭礼が著名です。今年も9月18日に行われます(→参考)。伎楽面にも似た大型の仮面をかぶって練り歩き、妊婦役のおかめが付くのが特徴で、10人の行列で構成されます。 実は、和歌山市和歌浦の紀州東照宮で毎年春に行われる和歌祭でも面掛行列があります。こちらは元和8年(1622)から続くもので、記録上分かる行列の人数は最大79人で、実際にはそれ以上の...