2008-08

コラム奇跡の仮面(4) 進化する面掛行列

進化する面掛行列 画像クリックで拡大します。
【子どもを驚かす面掛】
進化する面掛行列

 和歌祭の面掛行列は、現在百面(ひゃくめん)と呼ばれることが一般的である。この呼び方は近代になって広まったもので、江戸時代では面掛(めんかけ)、仮面被(かめんかぶり)などと呼ばれている。面掛はその呼び名一つとっても、江戸時代とそれ以降とでは異なる点が少なくない。
 例えば面掛では飾りを付けた傘を手にするが、しかしこれは江戸時代にはなかった持ち物で、近代になってから風流傘(ふりゅうがさ)という芸能の要素が追加されたものらしい。また高下駄も江戸時代にはなく、これも田楽(でんがく)という芸能の要素が加わったもの。また子どもを驚かせ泣くと病気をしないという獅子舞に似た所作もあるが、これも近代になって追加されたもののようだ。そして現在、仮面を頭に乗せて、顔にフェイスペインティングを施して仮面性を獲得するという大きな変化が生じている。
 面掛は古い要素と新しい要素を組み合わせながら、行列の祝祭性を保つ役割を担うために進化し続けている。(学芸員大河内智之)

企画展「奇跡の仮面、大集合!―紀州東照宮・和歌祭の面掛行列―」
「奇跡の仮面、大集合!」図録販売中
和歌山県立博物館ウェブサイト

コラム奇跡の仮面(3) 仮面がつなぐ時と人

面掛新奉納仮面 画像クリックで拡大します。
【あらたに奉納された仮面45面】
仮面がつなぐ時と人

 和歌祭の面掛行列は高下駄を履いて賑やかに練り歩くが、結果的に転倒や仮面の落下という事態も起こる。仮面はその都度補修され、色を塗り直され、徐々に仮面本来の情報を失いつつあるのが現状である。そういった状況の中、古い仮面の保存のためにNPO和歌の浦万葉薪能の会と能面文化協会の協力によって新しい仮面が製作、奉納され、その数は現在45面に達している。
 この仮面奉納事業の発案は久保博山さん(能面文化協会会長)。久保さんが昔、能面製作を始められた頃、面掛の仮面を見て感銘を受けたことから、破損が進行しているそれら仮面の保存のためにこの事業を思い立たれた。仮面の材料費のみ一般から募り、能面文化協会の皆さんとともに無償で新しい仮面を製作し、面裏に支援者の名前を刻んで奉納されている。久保さんの仮面への思いを出発点に、和歌祭の未来を見据えて面掛の仮面に多くの人が関わりはじめている。面掛において仮面は、人と人とを結び合わせ、そして過去、現在、未来の時間をつなぐ結節点として機能しているようだ。(学芸員大河内智之)

企画展「奇跡の仮面、大集合!―紀州東照宮・和歌祭の面掛行列―」
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コラム奇跡の仮面(2) 徳川頼宣と面掛

奇跡の仮面コラム2 天下一友閑焼印を持つ能面・小尉(こじょう)
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徳川頼宣と面掛

 和歌祭の面掛行列で使用されてきた古い仮面97面には、本来の用途を離れ転用された能・狂言面が53面含まれている。このうち江戸時代製作の能面に限ると31面で、中には「天下一友閑」という焼印がおされたものが7面含まれている。
 天下一友閑とは、江戸時代前期の仮面製作者、出目満庸(でめみつやす・?〜1652)のこと。天下一は優れた職人に許された称号で、そういった名人の作った面は、能が武家の式楽(正式な場で行う歌舞音曲)であった江戸時代においては入手が大変難しかった。例えば紀伊徳川家八代藩主重倫収集の能面が現在岩出市の根来寺に残されているが、能面158面中、友閑の面は6面である。31面中7面の比率は、突出した数字といえる。
 これだけの水準の仮面を集めることができたのは、和歌祭を創始し、自身も能の名人であった徳川頼宣をおいて考えられない。面掛の仮面は、頼宣と能の深いつながりを示す資料として、今後注目されるだろう。(学芸員大河内智之)


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コラム奇跡の仮面(1) 面掛行列とは何か

面掛行列とは何か 画像クリックで拡大します。

面掛行列とは何か

 和歌山市の南、風光明媚な和歌浦には、徳川家康を祭神としてまつる紀州東照宮がある。その春の例大祭は、和歌祭(わかまつり)と呼ばれる。和歌祭では、神輿が社殿から御旅所へと移る際、様々な扮装をこらした多種多様の行列が練り歩くが、その一つが面掛(めんかけ)である。地元では百面(ひゃくめん)という呼び名の方が通りがよい。面掛はその名称の通り仮面を付けて練り歩く仮装行列で、面と頭巾をかぶって華麗な装束を身につけ、杖や飾りをつけた傘を持ち高下駄を履くという大変賑やかな一団である。
 この面掛行列で使われてきた仮面には、神事面・能面・狂言面・神楽面・鼻高面からなる総数97面に及ぶ仮面が含まれている。このうち優れた出来栄えの能面の収集には紀伊藩主の強い関与があり、庶民的な神楽面の追加には和歌浦の村人の関与があるらしいことが分かってきた。
 仮面は、知られざる和歌山の歴史を雄弁に物語る重要な資料である。(学芸員大河内智之)

コラム 紀伊藩主をめぐる文雅(5) 紀伊徳川家旧蔵の獅子香炉

古銅獅子香炉  画像クリックで拡大します。
古銅獅子香炉 個人蔵
紀伊徳川家旧蔵の獅子香炉(ししこうろ)

 江戸時代、御三家の一つであった紀伊徳川家では、初代藩主の頼宣(よりのぶ、1602〜71)が受け継いだ家康の遺宝をはじめ、多くの名品や名宝を所蔵していました。それらの中には、刀剣や甲冑(かっちゅう)などの武具のほか、中国や日本の書や絵画、茶道具や文房具などの諸道具、小袖(こそで)や能装束などの服飾、さらには典籍などの出版物にいたるまで、多種多様なものが含まれていたのです。
 しかし、江戸時代が終わり、時代が明治にうつると、そうした名品の数々は、紀州東照宮などに奉納された一部のものを除き、さまざまな理由で大半が紀伊徳川家のもとを離れてしまいました。ただし、紀伊徳川家の旧蔵品の箱には、幸い特別な所蔵票(ラベル)が貼られている場合が多いため、紀伊徳川家のもとを離れてのちに発見されても、本来は紀伊徳川家で所蔵されていたということが分かるものも少なくありません。
 写真に挙げた古銅獅子香炉(こどうししこうろ)も、そうした紀伊徳川家旧蔵資料の一つで、やはり、箱には紀伊徳川家の所蔵票が貼られています。この資料は、茶席などで飾られる銅製の香炉で、獅子(しし)に似たユーモラスな動物の顔がとても印象的です。首から上の部分が蓋になっており、体の部分は空洞になっています。体の部分に香を入れ、大きく開いた口から香の煙が出たのでしょう。また、腹の下の部分には、中国の南宋(なんそう)時代の嘉定(かてい)5年(1212)の年号があるため、作られた時期が分かる点でも大変貴重な作品です。
 このような中国製の文物は、日本では「唐物(からもの)」と呼ばれ、貴重な輸入品として、茶道具や大名道具ではとくに珍重されました。紀伊藩主は、こうした道具を通じて、中国の文化や芸術に接していたものと思われます。
 なお、箱書などによると、この香炉は「獅子」と書かれており、日本では獅子形の香炉とみなされていたようですが、頭には角のようなものが二本生えており、また足にも蹄(ひづめ)のようなものがあるので、中国ではもともと想像上の動物である麒麟(きりん)として作られたのかもしれません。。(学芸員安永拓世)


企画展 紀伊藩主をめぐる文雅
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