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道成寺縁起(重要文化財・道成寺蔵)の詞書釈文と現代語訳

道成寺縁起(重要文化財・道成寺蔵)の詞書釈文と現代語訳

凡例
・特別展「道成寺と日高川」出陳の道成寺縁起(重要文化財・道成寺蔵)の鑑賞支援のための釈文及び現代語訳です。
・掲示の方法は、先に釈文を全文示し、次に現代語訳全文を示しています。
・釈文は原資料の改行部分を反映していません。また釈文中の「〱」は繰り返しを表す記号です。
・現代語訳の解釈は、確定的なものではなく、便宜的なものです。
・釈文・現代語訳ともに、男女間の差別の実態を示す不適切な文言が含まれますが、現代社会においてもなお残る人権に反した差別構造を解消することが私たちの共通の責務であり、歴史的事象と正しく向き合うことの重要性を鑑み、史料としてそのまま提示するものです。
・釈文、現代語訳は、主査学芸員大河内が担当しました。

【釈文】
[上巻]

醍醐天皇之御宇延長六年戊子八月之比自奥州見目能僧之浄衣着か熊野参詣するありけり紀伊国室の郡真砂と云所に宿あり此亭主清次庄司と申人の娵にて相随ふ者数在けり彼僧に志を尽し痛けり何の故と云事をあや敷まてにこそ覚けれ然に件の女房夜半計に彼僧のもとへ行て絹をうち懸制伏て云様わら我家には昔より旅人なと泊らす今宵かくて渡せ給ふ少縁事にあらす誠一樹の影一河の流皆先世の契とこそ承候へ御事を見まいらせさふらふより御志し浅からす何かは苦敷候へき只かくて渡せ給候へかしと強に語ひけれは僧大に驚き直申す年月の宿願在て持戒精進而白雲万里の路を分蒼海漫〻の浪を凌て権現の霊社に参詣の志を運争か此大願を破へきとて更に承引気色なし女房痛恨けれは僧の云此願今二三日計なり難無参詣遂宝弊を奉り下向の時哪にも仰に随ふとて出にけり大方此事思も寄ぬ事なれは弥信を致しけり其後女房僧の事より外は思はす日数を算て種〻の物を貯て待けれとも其日も暮けれは上下の檀那にしかくの僧や下向し候つると尋けれは或上道の先達さやうめかしき人は遥に過候ぬらんと申も終されは偖はすかしにけりと怒て鳥の飛かことく叫行設深き蓬か元まても尋ゆかんする物をとてひた走にはしりけり道つきすりの人〻も身の気よたちてそ覚えける

争か偽事をは申候へき 疾〻参候へし
かならす待まいらせ候へし

先の世の契りのほとを御熊野ゝ神のしるへもなとなかるへき
御熊野ゝ神のしるへと聞からになを行末のたのもしきかな
これまてにて候下向を御待候へ

なふ先達の御房に申候我わか男にて候法師かけこ手箱の候を取て逃て候若き僧にて候か老僧とつれて候いか程のひ候ぬらむ
さ様の人は今は七八町のひ候ぬらむ
七八町と云事あらし十二三町も過候へし

やゝ先達の御房に申すへき事候浄衣くら懸て候若き僧と墨染着たる老僧と二人つれて下向するや候つると尋けれはさ様めかしき人は遥に延候ぬらむといゑはあな口惜やさては我をすかしにけりと追て行縦くもの終霞の際まても玉の緒の絶さらむ限りは尋む物をとてきりむほうわふなんとのことく走とひ行けり

能程の事にこそ恥の事も思はるれ此法師めを追取さ覧かきりははき物もうせふかたへうせよとて走候
女房は御覧し候か
あな〱恐しやいまた此法師はかゝる人を見候す〱

あな〱口惜やいちとてもわれ此法師めを取つめさらん限は心はゆくましき物を
能程の時にこそ恥もなにもかなしけれうらなしもおもてなしもうせふ方へうせよ
こゝなる女房のけしき御覧候へ
誠にもあな〱をそろしの気色や
人のあひたらんにはつかしさはいかに
けにもくるしかるましくはたひもせよかし
道にてはくるしからぬ物にて候へはふくたやしなはせ給へ
きぬはりはきのにくさはともすれはくゝりかとけてたまらはこそあらめ

あな〱口惜やいかゝはせむ〱この身をはこゝにてはやすてはてゝ命を思きりめ河なけきのなみた深けれはうき名をなかすとても力なき事かな

きりめ五躰王子

やゝあの御房に申すへき事あり見参したるやうに覚候いかに〱とゝまれ〱
(こゝは上野といふ所)
努〻さる事覚候はす人たかへにそかくはうけ給候らん
己れはとこまて〱やるましき物を

南無金剛童子助させ給へあな恐しのつらつふてや本より悪縁と思しか今かゝるうき目を見る事よおゐも笠も此身にあらそやおしからめうせふ方へうせよ
  欲知過去因 見其現在果
  欲知未来果 見其現在因

先世にいかなる悪業を作て今生にかゝる縁に報らん南無観世音此世も後の世もたすけ給へ

(塩屋と云所)

南無大悲権現と口に唱え心に念して逃けり自から人の気色したりしたにも心身につかすいはむや蛇となれるを見つゝ声も惜ますおめき行

あゝ世末になれはとて親りかゝる不思儀の事もありけり目も心も不及

日高河と云かわにて折節大水出て此僧舟にて渡ぬふな渡に云様かゝる者の只今追而来るへし定而此ふねに乗らんといはむす覧穴賢〻〻のせたまふなといひけり此僧はいそき逃けりあむのことく来て渡せと申けれとも舟渡わたさす其時きぬを脱捨て大毒蛇と成て此河をは渡りにけり舟渡をはちけしと申ていわうちにありけると日記には慥に見えたりこれを見む人は男も女もねたむ心を振捨て慈悲之思をなさは仏神の恵あるへし

[下巻]
日高郡道成寺と云寺は文武 天皇之勅願紀大臣道成公奉行して建立せられ吾朝の始出現千手千眼大聖観世音菩薩の霊場なり件僧此寺に参事の子細を大衆に歎けれは衆徒愍を垂て大鐘を下して僧を中に籠御堂を立けり此蛇跡を尋て当寺に追来り堂のめくりをたひ〱行まはりて僧の居たりける戸に至尾にて叩破て中に入て鐘を巻て龍頭をくわへて尾を以たゝくさて三時あまり火焔もえあかり人近付へき様なし身の気よたちてそ覚ける四面の戸を開寺中寺外の人〻舌をふり目を細めつゝ中〱言葉なくてそ侍りける偖蛇両眼より血の涙をなかし頭をたかくあけ舌をひろめかし本の方へ帰りぬ其時近く寄て見るに火いまた消す水を懸て鐘を取除て見れは僧は骸骨計残て墨のことし目もあてられぬ有様哀みの涙せきあへす老若男女近も遠も見る人は哀を催さぬはなし其後日数経て或老僧の夢に見るやう二の蛇来て我は鐘にこめられまいらせたりし僧なり終に悪女のため夫婦となれり吾先生の時妙法を持つといへとも薫修とし浅くしていまた勝利にあつからす先業限あれは此悪縁にあふ願は一乗妙法を書供養しまし〱て廻向給へ然者吾菩提を証し得脱をゑん事疑なし僧も後生を成就せむ事子細あるへからすと夢現ともなく見えけり則信を致経を供養しけり此事を倩私に案するに女人のならひ高も賤も妬心を離れたるはなし古今のためし申つくすへきにあらすされは経の中にも女人地獄使能断仏種子外面似菩薩内心如夜叉と説かるゝ心は女は地獄の使なり能仏に成事を留めうゑにはほさつのことくしてうちの心は鬼のやふなるへし然共忽に蛇身を現する事は世にためしなくこそ聞けれ又たちかへりおもへは彼女もたゝ人にはあらす念の深けれはかゝるそと云事を悪世乱末の人に思知せむために権現と観音と方便の御志深き物なり且は釈迦如来の出世し給しも偏に此経の故なれは万の人に信をとらせむ御方便貴けれは憚なから書留る物なり開御覧の人〻はかならす熊野権現の御恵にあつかるへき物なり又念仏十返観音名号三十三返申さるへし

なにとさへける事そ誠しからぬ事かな
いかてか空事を申入候へき
たゝおけきりなくて見せむもの〱しく

大唐はそもしらす我朝に取てはいたく其例ありともきかす言語なき事かな
その事に候いくたの森に身を捨し女もしにてこそ鬼とはなりけるときゝ候へ
其鐘を御堂の内へ入よ戸をたつへし

かやうの事を各〻にはとくいはて
かねひきかつきてあやまちすな
あゝ
たゝをけこれほとの物を
ゑい〱

希代ふしきの事かな
とはなに事そ

(一切恭敬)

其後老僧夢に見る様清浄の妙衣着たる二人来て申す一乗妙法の力によりて忽に蛇道を離れて忉利天にむまれ僧は都率天にむまれぬこの事をなしをはりて各〻あひわかれて虚くうにむかひてさりぬと見えけり一乗妙法の結縁いよ〱たのもしくて人〻をこたらすよみけり

声を高くあけてよむ
正直者(捨)(捨)方便
伹説无上道

(花押)
右此御判者 御公方様/天正元年十二月日望興国寺/被移 御座節此縁起為御所望/之間即懸御目 御感不斜/可為日本無双之縁起時代迥/此歓見不思儀也被出仰末代之/御禄被印 御判時別当永叶/御盃相添御太刀一腰御馬一疋/下給候而已

【現代語訳】
[上巻]
 醍醐天皇の御代、延長六年(九二八)八月のころ、奥州より美しい僧が清らかな衣をまとって熊野に参詣していました。紀伊国牟婁郡の真砂というところに宿があり、その亭主は清(きよ)次(つぐ)庄(しょう)司(じ)という人の嫁で、召使いもたくさんいました。その女房は僧を歓待しましたが、僧はなぜそんなに親切なのか怪しむほどでした。その夜、女房は僧のもとにきて、夜(よ)着(ぎ)をかけて僧に添い寝し、「この家には昔から旅人なんて泊めません、このように私が誘うことになったのも、一樹の影一河の流れ、前世からの因縁でしょう。あなたを一目見た時から思う気持ちは浅からず、何も遠慮せずに、どうぞここで一緒に暮らしましょう」と強引に語るので、僧は大いに驚き、起き直して言うには、「宿願があって持戒・精進し、遙か遠くの道のりや、激しい波濤を越えて熊野権現に詣りにきたのに、どうしてこの大願を破れますか」と応じるようすでありません。女房がひどく恨むと、僧が言うには「あと二、三日で無事に参詣して宝幣を奉れば、帰る際に言う通りにしよう」と行って家を出ました。僧は思いもよらぬことで、いよいよ信心を固めたのでした。女房は僧のことだけを思い、いろいろなものを用意して待っていましたが、日も暮れ、往来の人々に「このような僧が下向して来ませんでしたか」と尋ねると、ある先達が「そのような人ならばはるか先に行っています」と言い終わらないうちに「さては騙したな」と怒って、鳥が飛ぶように叫びながら「どんなに深い草むらの根元までも尋ねて行く」とひた走りに走りました。行きずりの人々は女房を見て、身の毛もよだつ思いでした。

「どうして嘘をいうことがありましょうか。急いでお参りしてきます。」
「必ず待っておりますから」
「先の世の契りのほどを御熊野の神のしるべもなどなかるべき」
(前世からの約束であるのだから、熊野の神の霊験がどうしてないことがありましょうか)
「御熊野の神のしるべと聞くからになを行く末のたのもしきかな」
(熊野の神の霊験と聞きますと、これから先の無事を思い頼もしく思います。神を信じていきましょう)
「それではこれで。下向をお待ち下さい。」

「ねえ、先達の御房にお尋ねします。私の男(下男か)であった法師が、懸子の箱を取って逃げました。若い僧ですが、老僧と連れ立っています。どれくらい逃げましたでしょうか。」
「そのような人は、今は七~八町(七〇〇~八〇〇m)は先に行っていると思いますよ」
「七~八町ということはないだろう。一二~一三町(一・二㎞~一・三㎞)は過ぎただろう。」

「おーい、先達の御坊に聞きたいことがあります。浄衣を懸けた若い僧と墨染めの衣を着た老僧が二人連れ立って下向するのを見かけませんでしたか」と尋ねると、「そのような人ならば、はるか先に行っていますよ」というと、「ああ悔しい。さては私を騙したな」と言い追って行きました。

「たとえ雲の果て、霞の際までも、自分の命の絶えない限りは追いついてやる」と言って、麒麟か鳳凰のように飛ぶように走って行きました。

「普段のことなら恥ずかしいということも思うけれど、あの法師を追いかけ捕まえるまでは(そんなことを思っている場合でない)。そんなことであるから、履物なんか、どこへなと行ってなくなってしまえ」と言って走って行きます。
「今の女房見ましたか」
「ああ、ああ、恐ろしい。今まで私はこんな人を見たことがない」

「ああ、ああ、悔しい。一度でもあの法師を引っ捕らえてやらない限りは胸がはれないものだ」
「普段のときであれば、恥も何も大切にするものであるけれど、(女性用の)うらなしの草履も、面(おもて)なし(恥ずかしさ)もどこへなと消え失せてしまえ」
「そこの女房の顔を御覧なさい」
「本当に、まあまあ恐ろしい形相だこと」
「人に会ったらどんなに恥ずかしいことでしょう」
「さあどうしよう、ほんとうにかまわないなら、食べてみてもいいわ」(左の男が勧める餅を見て)
「道中では構わぬものですから、福田餅をお食べなさい」
「絹の脛巾の具合の悪い所は、ともすると、しばっている紐のくくりがほどけてしまうことだなあ」

「ああ、ああ、悔しい。どうしてやろう。たとえこの身をここに捨て果てて、命を思い切ったけれど、ここは切目川。嘆きが深く涙があふれてしまう。浮き名を流したとしても、どうすることもできない」

(切目五体王子)
「おーい、そこの御房に言うべきことがある。あなたとは会ったことがあると思うが、どうなの、どうなの。止まれ、止まれ」
(ここは上野というところ)
「ゆめゆめそんなことは覚えておりません。人違いです。そのようなこと、なかったですよ」
「おのれは(なんとひどい奴なのだ)。どこまでも、どこまでも、逃がしはしません」

「南無金剛童子、お助けください。ああ恐ろしい形相だ。元から悪縁とは思っていたが、こんな辛い目に遭うことになろうとは。笈(おい)も笠も、この身に付けていくのなら惜しいが、今ハそれどころでない。どこへでも行ってしまえ。」
過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すればその現在の因を見よ。

「前世にどんな悪行を作って、今生にこんな報いを受けるのだろう。南無観世音、この世も後の世もお助けください。」

(塩屋というところ)
「南無大悲権現」と口に唱え、心に念じて逃げて行きました。もともと女房が人の姿をしていたときでさえ、恐ろしくて気が気でなかったのに、蛇になるのを見てしまったら、あらん限りの声で叫びながら逃げていきます。
「ああ、世も末であることだ。目の当たりにこんな不思議なことがあるなんて。目も心も及びもつかない」

 日高川という川では、その時大水が出ており、僧は舟で渡りました。渡し守に「このような者がすぐに追ってきて、きっと舟に乗ると言うので、絶対、絶対、乗せないように」と。僧は急いで逃げ、その通り女房がやってきて「渡せ」と言うけれど、渡し守は渡しませんでした。その時女房は着物を脱ぎ捨て、大毒蛇となって川を渡りました。この時の渡し守は「ちけし」と言って、岩内にいると日記に確かに書いてあります。この絵巻を見る人は、男も女もねたみの心を捨てて、慈悲の思いを起こしたならば、仏神の恵みがあるでしょう。

[下巻]
日高郡の道成寺という寺は文武天皇の勅願で、紀大臣道成公が奉行して建立せられた、わが国で初めて千手千眼観音が出現せられた霊場です。件の僧がこの寺に来て、事の仔細を寺の衆徒たちに訴えると、衆徒たちは僧をあわれみ、大鐘をおろして僧をその中に入れ、お堂に戸を立てました。蛇は僧の跡を追ってこの寺に来て、堂の周りをぐるぐる回り、僧のいる戸に至り、尾で叩き破って中に入り、鐘を巻いて竜頭をくわえ、尾で鐘をたたきました。一時間半ほど火焔が燃え上がり人は近付けられず、衆徒は、身の毛がよだつ思いで四面の戸を開き、ただ舌を振り目を細めるばかりで言葉もなくいました。蛇は両眼から血の涙を流し、頭を高く掲げ、舌を出してもと来た方に帰って行きました。近くでみると火が消えておらず、水をかけ、鐘を取り除くと僧は骸骨ばかり残って炭のよう。目も当てられぬ有様で、哀れ涙は止まりません。老若男女、近くも遠くもみな哀れみを催さないものはなかった。その後数日を経て、ある老僧の夢に二匹の蛇がきて、「私は鐘にこめられた僧で、ついに悪女のために夫婦になりました。生前は法華持経者でしたが、修行の年浅く成果が得られず、修行が足りずにこの悪縁に会ってしまいました。 願わくは、法華経を書写して供養して下さい。そうすれば私は必ず菩提を証して解脱できます。あなたも来世に仏果を成就できます」と、夢とは思えないようすで見えたのです。僧はこれを信じ、法華経を供養しました。このことを考えるに、女人は、高貴な人もそうでない人も妬み心のない人はなく、涅槃経にも「女人地獄使、能断仏種子、外面似菩薩、内心如夜叉」と説かれているその意味は「女は地獄の使いで、成仏することを留め、表面は菩薩のようだが、心の内は鬼のようだ」ということですが、たちまち蛇身となることは例のないことです。 振り返ってみると、彼女もただの人ではなく、思いが深いとこうなることを悪世乱末の人に思い知らせるための、権現と観音の深い志を持った方便なのです。また釈迦如来が出現されたのも、ひとえにこのお経のためですから、すべての人に信心の心を起こさせる方便の貴さを書き留めます。この絵巻を開きご覧になる方は、必ず熊野権現のお恵みを受けられます。念仏一〇返、観音名号三三返を称えてください。

「何と騒々しいことか、本当とも思われぬことだなあ」
「どうして嘘を申しましょうか」
「ほおっておけ。無限の力を見せてやろう。大騒ぎするな」

「大唐国のことは知らないが、日本ではそういう例があったとも聞いたことがない。言語道断のことだな」
「そのことです。生田の森に身を捨てた女も、死んだからこそ鬼になったと聞いていますよ」

「その鐘を御堂の中に入れて戸を立てて閉めよ。」
「このような事を、みんなに早くに言わずに(急にやれという)」
「鐘を担ぎ出して、落とすなよ」

「ああ」
「そのまま置こう。これほどの物だから(大丈夫)」
「えいえい」

「希代の不思議なことだな」
「これは何事でしょう」

(一切の仏を恭しく敬います)

 その後老僧の夢に、清浄の妙衣を着た2人が現れて「法華経の功徳によって、たちまちに蛇道を離れて、女は忉(とう)利(り)天(てん)に生まれ、僧は都(と)率(そつ)天(てん)に生まれました」と言うと、それぞれ別れて、虚空に向かって去っていくのが見えました。一乗妙法の経典である法華経に結縁することがいよいよ頼もしく、人々は怠ることなく読誦を続けました。

声を高くあげて読む
正直捨方便
但説無上道

(足利義昭花押)
右のこの御判は御公方様(足利義昭) が、天正元年一二月一五日に興国寺に移られた節、この縁起をご所望され、すぐにお目にかけたところたいそうお喜びになり、「日本に二つとない縁起で、時代は遙かであるがこのように歓び見るのは不思議であるとおっしゃって、末代の御禄にと御判を印せられた。その時の別当永叶に御盃、御太刀一腰、御馬一疋を添えて下された。

秋の県博・風土記で和歌山の歴史を学ぶ―和歌山県立博物館・紀伊風土記の丘の講演会―

秋の県博・風土記で和歌山の歴史を学ぶ
―和歌山県立博物館・紀伊風土記の丘の講演会―

 この秋、和歌山県立博物館では特別展「道成寺と日高川」(会期:10月14日~11月26日)を、和歌山県立紀伊風土記の丘では特別展「道が織りなす旅と文化」(会期:9月30日~11月26日)をそれぞれ開催します。
 特別展の会期中には両館あわせて合計7回の講演会を予定しています。ぜひこの機会に、和歌山における信仰の歴史を、深く、楽しく学んでみませんか。みなさまのご参加を、お待ちいたしております。

10月21日(土) 13:30~15:00 
 和歌山県立紀伊風土記の丘
 演題:「旅する宗教者の諸相」
 講師:中野 洋平 氏(島根大学地域未来戦略センター講師)
 会場:和歌山県立紀伊風土記の丘資料館
 ※1 申し込み必要(Tel073-471-6123)
 ※2 入館料・資料代(100円)必要

10月22日(日) 13:30~15:00 
 和歌山県立博物館 
 演題:「日本無双の縁起、「道成寺縁起」の謎をさぐる
    -絵師、成立年代から、最後の将軍・足利義昭の鑑賞まで-」
 講師;髙岸 輝 氏(東京大学大学院准教授)
 会場:和歌山県立近代美術館(県立博物館となり)2階ホール

10月28日(土) 13:30~15:00 
 和歌山県立紀伊風土記の丘
 演題:「備崎経塚と熊野御師」
 講師:中村 浩道(和歌山県立紀伊風土記の丘館長)
 会場:和歌山県立紀伊風土記の丘資料館
 ※1 申し込み必要(Tel073-471-6123) 10/13予約受付開始(初日受付は13:00から)
 ※2 入館料・資料代(100円)必要

11月3日(金・祝) 13:30~15:00 
 和歌山県立博物館
 演題:「「道成寺縁起」絵巻が体現する伝承宇宙-絵ものがたりによる女人の龍蛇への変身」
 講師:阿部 泰郎 氏(名古屋大学大学院教授)
 会場:和歌山県立近代美術館(県立博物館となり)2階ホール

11月4日(土) 13:30~15:00 ※資料代100円 
 和歌山県立紀伊風土記の丘
 演題:「祈祷・神楽に見る熊野信仰-聖なる湯をめぐって」
 講師:斎藤 英喜 氏(佛教大学歴史学部教授)
 会場:和歌山県立紀伊風土記の丘資料館
 ※1 申し込み必要(Tel073-471-6123) 10/20予約受付開始(初日受付は13:00から)
 ※2 入館料・資料代(100円)必要

11月11日(土) 13:30~15:00
 和歌山県立紀伊風土記の丘
 演題:「熊野信仰と葛城修験」
 講師:宮本 佳典 氏(橋本市文化財保護審議会委員)
 会場:和歌山県立紀伊風土記の丘資料館
 ※1 申し込み必要(Tel073-471-6123) 10/27予約受付開始(初日受付は13:00から)
 ※2 入館料・資料代(100円)必要

11月19日(日) 13:30~15:00
 和歌山県立博物館
 演題:「道成寺と日高川-道成寺縁起と流域の宗教文化-」
 講師:大河内 智之(主査学芸員)
 会場:和歌山県立博物館2階学習室

コラム6 熊野橋柱巌図屛風 桑山玉洲筆

最後に、大きな絵をご紹介します。

熊野橋柱巌図屛風 桑山玉洲筆 念誓寺蔵

熊野橋柱巌図屛風 桑山玉洲筆 六曲一隻
(くまのはしぐいいわずびょうぶ くわやまぎょくしゅうひつ)
紙本墨画淡彩
寛政9年(1797)か
念誓寺蔵
和歌山市指定文化財

 和歌山県南部の、串本町にある名所・橋杭岩を描いた屛風です。先のコラムでも触れたように、玉洲は、先生について絵を習うよりも、気に入った中国絵画を手本にしたり、風景を見て描く方を好んだようです。玉洲が描いたような、実際の景観に取材しつつ、中国の理想的な風景をオーバーラップさせた絵画を、「真景図」(しんけいず)といいます。絵具箱に入っていた方位磁針も、こうして出かけて絵を描くときに持って行ったのかもしれませんね。
 ちなみに、屛風などの大きな画面に絵を描くときは、まん中の方に手が届きません。ですので、屛風を立てて描くほかに、床に屛風を寝かせて、上に橋のように板を渡して、そこに乗って描くこともありました。

 さて、突然ですが、この絵は「紙」に描いています。
 専門的な言葉で、紙地のことを「紙本」、絹地のことを「絹本」とよびます。また、紙や絹のように、墨や絵具をささえる役割をするものを、「基底材」(または「支持体」)と呼びます。
 何色で、どんなふうに描くのかと同じくらい、どんな下地に描くのかということも大切です。それは、下地の特徴によって、絵の雰囲気が変わるからです。昔の日本の絵は、紙に描いたり、絹などの布に描いたりしました。 
 展示室では、紙と絹に触れるコーナーを用意していました。
 紙と絹にさわるコーナー

 ちなみに、なかなか評判がよかったのが、小学校で使うえのぐセットの展示でした。
小学校で使うえのぐセット

 夏休み企画展「のぞいてみよう!えのぐばこ」のコラムは、以上です。
 画家は絶対に大事にしていたはずだけれども、普段意外と気にしない道具や材質。
 絵がそこにあれば、それを描いた人がいる。
 そんなことに注目していただきたく、夏休み企画展では、明和中学校教諭川端あす香氏と博物館実習生のご協力のもと、ワークショップ「画家になりきり!水墨画体験」も行いました。
参加した小学生のみなさんは、真剣に、楽しんで絵を水墨画を描いてくれました。

ワークショップ

 和歌山県立博物館にお越しになったときも、他のところで絵をご覧になったときも、ぜひ、道具や材質といった、マニアックなところにも注目し、画家のこだわりを想像してみてください。
 きっと、新しい、絵を見る楽しみが生まれるのではないでしょうか。

 明日からの企画展「西行と明恵」、特集展示「日本遺産認定記念 醤油の町・湯浅」も、大変充実の展示です。お楽しみに!

(学芸員 袴田舞)

コラム5 山水図扇面画帖 伊孚九筆

山水扇面画帖 伊孚九筆 個人蔵

山水図扇面画帖 伊孚九筆 一帖
(さんすいずせんめんがじょう いふきゅうひつ)
紙本墨書/紙本墨画/紙本墨画淡彩
中国・清時代(18世紀)
個人蔵

 桑山玉洲が集めた中国の絵です。伊孚九という画家が扇に描いた絵(扇面画)を8枚、アルバム(画帖)に貼っています。玉洲は中国絵画、とりわけ扇面画を好み、いくつもの扇面画をコレクションしていました。極めつけには、『桑氏扇譜考』という本まで著すなど、好きなものをとことん追求する学者肌の画家でした。 
 玉洲は、先生について絵を習うのは、好きではなかったようです。代わりに自分で中国の絵を集めて勉強していました。江戸時代、中国は憧れの先進国だったので、アーティストたちは、競って中国文化をとり入れていたのです。こうした、江戸時代の画家があつめた絵や道具がまとまって残っているのは、たいへん珍しいことです。

(学芸員 袴田舞)

コラム4 七福神図・幽泉下絵

今回は、おめでたい絵からです。

10 七福神図 真砂幽泉筆 館蔵

七福神図 真砂幽泉筆(しちふくじんず まなごゆうせんひつ) 一幅
絹本著色
江戸時代(18~19世紀)
和歌山県立博物館蔵

 幸福をもたらす七人の神様の絵です。メンバーは、右から福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・恵比寿(えびす)・大黒天(だいこくてん)・布袋(ほてい)・弁才天(べんざいてん)。皿にのった鯛と宝珠を囲んで楽しそうな様子です。周りには、松や竹が生えています。絹に、赤や青など多くの色を使って、丁寧に描いています。幽泉の絵の魅力は、この絵のように、まじめで上手だけれども、少しかわいらしさがあるところなのではないでしょうか。

 さて、実は、真砂家に伝わる江戸時代のノートの中には、この絵とそっくりな絵が描かれています。

七福神図粉本(冊子「禁他借」より)個人蔵

下絵・絵手本類のうち冊子「禁他借」伝 真砂幽泉筆 一冊
(したえ・えてほんるいのうち さっし「きんたしゃく」  でん まなごゆうせんひつ)
紙本墨画/紙本著色
江戸時代(18~19世紀)
個人蔵
 
 このページには、七福神のうち三人が描かれており、残りの四人は、前のページにすけて見えています。真砂家には、596点もの貴重な下絵や手本が伝わりますが、その中で、この資料だけが冊子形をしており、表紙には「他人に貸してはいけない」という旨の文言が書いてあるます。大切な「ネタ本」だったのでしょうか。

 幽泉さんは、20歳ごろに、京都から田辺へ帰ってからも、絵の勉強に励みました。真砂家には、京都にいる絵の先生とやりとりした手紙や、薄い紙に絵をぎっしりと描いた巻物、屛風や襖などを実物と同じ大きさで写した絵など、596点もの資料が伝わっています。これらは、昔の人がどのように絵を勉強したのかがわかる、たいへん貴重な資料です。
 また、真砂家には、幽泉が京都で習っていた鶴沢探泉・式部(探春)や、狩野春甫・春興からの手紙が、52通も残っています。これらの手紙から、幽泉は、田辺に帰ってからも、お手本を取りよせて、絵の練習に励んでいたことがわかります。

 もう1点、下描きと完成作品のセットをご覧いただきましょう。

大和耕作図下絵 個人蔵

下絵・絵手本類のうち「大和耕作図屛風」(やまとこうさくずびょうぶ)伝 真砂幽泉筆 12枚
紙本墨画
江戸時代(18~19世紀)
個人蔵

 六枚折り・二つで一組(六曲一双)の屛風の下描きです。全部で12枚の、墨で描いた絵が封筒に入っています。
大和耕作図下絵(たたんだ様子) 個人蔵

絵の裏には「右壱」~「左六」と、並べる順番をメモしています。大きな絵を描くときは、このような、実物と同じ大きさの下描きを作りました。

最後には、こんなふうにきれいに色を付けて仕上げ、龍泉寺という田辺のお寺に納めました。
大和耕作図屛風 真砂幽泉筆 左隻 龍泉寺蔵

大和耕作図屛風 真砂幽泉筆 六曲一双のうち左隻
紙本著色
江戸時代(18~19世紀)
龍泉寺蔵

 下描きと変えたところもあります。左から二枚目を見くらべてみてください。下描きにはいたニワトリが、完成作ではいなくなっています。やっぱりここにニワトリがいるとバランスが悪いと思ったのか、それとも注文主からNGが出たのか。色々なことが考えられます。
 こんな変化がわかるのは、下描きと完成作両方が遺っているからこそ。絵画の制作背景がリアルに伝わってきて、とても面白い資料です。

(学芸員 袴田舞)

コラム 印章(桑山玉洲ほか所用)

今回は、ハンコです。

0804桑山玉洲・桑山家使用印 個人蔵

印章 桑山玉洲ほか所用(いんしょう くわやまぎょくしゅうほかしょよう)23顆・一合
石製・水晶製
江戸時代(18~19世紀)
個人蔵

 日本や中国の画家たちは、絵の仕上げに、サインを書いて、印を捺します。これは、桑山玉洲とその妻の君婉(くんえん)や子の㬢亭(ぎてい)が使った印で、花鳥をデザインした愛らしい漆塗の箱に収められています。
 
 日本や中国の画家たちは、絵の仕上げに、サインを書いて、ハンコを捺します。画家の名前や好きな言葉を彫った、世界でただ一つのハンコをおすことによって、たとえサインがなかったとしても、その画家が描いたとわかるのです。墨一色の絵に、小さいけれど、鮮やかな朱色のハンコがおされると、画面がひきしまります。
 また、昔の画家は、いくつも雅号(ペンネーム)があったので、ハンコもたくさん持っていました。文字の部分がへこんで白く見えるように彫ったものを「白文印」、文字の部分が赤く浮きあがるように、周りを彫ったものを「朱文印」と呼びます。赤と白のバランスや、ハンコを捺す位置で、絵の雰囲気が大きく変わるので、ハンコを捺すのは、緊張する一瞬だったのではないでしょうか。

展覧会では、次の作品を展示し、玉洲がハンコを捺す際の工夫(バランスの取り方)をご覧いただきました。

山水図 桑山玉洲筆 個人蔵

(山水図 桑山玉洲筆 個人蔵)
細長い紙に、山や滝、川(山水)を描いています。右上にサインをして、その下に「嗣」「粲」の朱文印を捺しています。「嗣粲」(しさん)は、玉洲のペンネームの一つです。左下には、「聴雨」(ちょうう)という、玉洲のアトリエの名前を彫ったハンコを捺しています。こちらは白文印です。
上には赤の分量が少なくて軽い朱文印、下には赤の分量が多くて重い白文印を配置して、絵の持つ上昇感をサポートしています。
そして、こうした小さく細長い絵には、大きなハンコではなく、細くて小さ目のハンコを用いることで、すっきりとした印象を保っているのですね。

さて、上で紹介したハンコ類の中には、この絵に捺したハンコもあります。

「嗣粲」「聴雨」印

このハンコは、表に「嗣」「粲」、裏(展示室では鏡に映してご覧いただきました)に「聴雨」と彫ってあります。
この組み合わせは、「山水図」に捺してあるのと同じです!
「山水図」の二つのハンコは、別々のものではなく、一組として作ってあったハンコだったのですね。

こんなことがわかるのも、作品と道具が一緒に遺っていることの面白さの一つです。

(学芸員 袴田)

コラム2 画材道具(真砂家所用)

次は、夏休み企画展で取り上げたもう一人の画家の絵具箱です。

画材道具(真砂家所用) 個人蔵

画材道具 真砂家所用(がざいどうぐ まなごけしょよう) 

一式
江戸時代(18~19世紀)
個人蔵

 これは、真砂幽泉(まなご・ゆうせん)という、江戸時代(18~19世紀)に活躍した画家の家に伝わった絵具箱です。
真砂家で大切に保管されてきました。

 幽泉は、江戸時代の田辺(今の和歌山県田辺市)で活躍した画家です。今から約250年前に生まれました。
 絵が大好きだった幽泉は、10代のころ、何年か京都でくらして、鶴沢探索・探泉という狩野派系の師に絵を習いました。
幽泉は、大庄屋をしていた家の跡を嗣いでからも、仕事の合間に、たくさんの絵を描き、
紀伊藩八代目藩主である徳川重倫(しげのり)に絵を献上するなど活躍が知られます。

 この箱は、箪笥の形をしていて、引き出しは、後ろの穴から指で押して開けます。
数十本の筆や、絵具(顔料)、絵皿、膠など、道具一揃いが入っています。この箱をそばにおいて、絵を描いたのでしょう。
前回のコラムで紹介した桑山玉洲の絵具箱は、中国趣味が濃厚で洒落たものでしたが、この真砂家の絵具箱は、機能的でシンプルです。


 江戸時代の絵の描き方や道具は、現在「日本画」と呼ばれている絵の描き方や道具と、だいたい同じです。
学校などで使う絵具セットと大きく違うのは、絵具がチューブに入った練り物ではなく、粉であることです。
粉の絵具は、「膠」という、動物の皮や骨から作った接着剤と混ぜることによって、紙に描くことができます。
 幽泉たちが使う粉の絵具は、「顔料」といい、石などを砕いて粉にしたものです。
水には溶けず、絵皿(パレット)の上で他の色と混ぜることができないので、絵の上で重ねて、複雑な色を表します。
顔料のほかに、植物や虫から作った、水に溶ける「染料」も、絵具として使っていました。
幽泉も、一色で塗ったり、重ねたりと、工夫をしているようです。

 展覧会では、次のような作品を展示し、幽泉の色づかいをご覧いただきました。

兜図 真砂幽泉筆 個人蔵

(兜図 真砂幽泉筆 紙本著色 個人蔵)
 端午の節句(今のこどもの日)に飾る兜を描いた絵。左素主人という人が、絵の上のほうに和歌を書いています。細かい線で輪郭を描き、赤、茶、黄、緑、青、白、臙脂などをふんだんに使って色を塗っています。

蓬莱山図 真砂幽泉筆 個人蔵

(蓬莱山図 真砂幽泉筆 紙本著色 個人蔵)
 「蓬莱山」という、仙人の住む山を描いた、おめでたい絵です。
 朝日の赤、松や亀の緑、梅や鶴の白が鮮やかです。とんがった山には、青や橙色を薄く塗って、朝日を浴びて輝く様子を表しています。細やかな色づかいが魅力です。

次のコラムでも道具類を紹介します。

(学芸員 袴田)

コラム 画材道具(桑山玉洲所用)

9月に入り、夏休みも終わってしまいました。
和歌山県立博物館では、明日から、「西行と明恵」という新しい企画展が始まります。

その前に、夏休み企画展「のぞいてみよう!えのぐばこ」(7/22~9/3)のご報告を、
展示資料をいくつかピックアップして、コラムの形で記します。
 「のぞいてみよう!えのぐばこ」は、こんな思いがあって企画しました。展覧会のごあいさつを引用します。

「教科書やテレビ、展覧会で、わたしたちは、「完成した」作品を見ています。でも、どんな道具で、どうやって描いたんだろう?
 そんな疑問に答えてくれるのが、江戸時代の和歌山で活躍した二人の画家、真砂幽泉(1770~1835)と桑山玉洲(1746~99)のえのぐばこ。この夏休み企画展では、二人の画家のえのぐばこと、お手本や下描き、しあげにおしたハンコなどを展示し、完成作品の背景にある、画家たちのこだわりや、絵の練習のようすを、のぞいてみたいと思います。むかしの画家たちの生き生きとしたすがたを、身近に感じていただければ幸いです。」

展覧会に行けなかった!という方は、コラムをご覧になって、雰囲気を感じていただければと思います。

はじめにご紹介する資料はこちらです。

画材道具類(桑山玉洲所用) 個人蔵

画材道具 桑山玉洲所用(がざいどうぐ くわやまぎょくしゅうしょよう) 一式。
江戸時代(18~19世紀)
個人蔵

 桑山玉洲(くわやま・ぎょくしゅう)という、江戸時代(18世紀)に活躍した画家が使っていた絵具箱です。
玉洲の絵具箱は、他にもう1つ例が知られています。

 桑山玉洲さんは、江戸時代の和歌山(今の和歌山市)で活躍した画家です。
今から約270年前に生まれ、次のコラムで紹介する真砂幽泉よりも20歳ほど年上です。
 玉洲の家は、船で品物を運ぶ「廻船業」や、お金の両替をする商売をしていました。
20代のころには江戸(今の東京)へ行き、有名な絵の先生たちを訪ねました。
ですが、先生たちの絵に満足できなかった玉洲は、自分で絵の勉強を始めました。
友達と交流したり、あこがれの中国の絵を集めたりして、新しい絵の描き方を目指したようです。


 さて、この画材道具は桑山家の分家に伝わったもので、絵具を小分けにできる入れ物や、
方位磁針が入っており、屋外での制作時に使ったのかもしれません。
こちらの旧家には、玉洲の作品とともに、玉洲が集めた書画や使った道具がまとまって遺っています。
2013年に当館で開催した特別展「桑山玉洲のアトリエ」展で全貌が展示されたのも、記憶に新しいのではないでしょうか。
江戸時代の画家が集め使った道具や作品が、まとまって残る例はきわめて貴重です。

 玉洲の絵具箱には、「朱」や「丹」、「臙脂」など赤色系、「群青」など青色系、「白緑」など緑系、
白い「胡粉」に、輝く「金泥」など、たくさんの絵具が入っています。
カラフルできれいな色づかいが得意な玉洲。
展覧会では、次のような作品を展示し、玉洲の色づかいをご覧いただきました。

渡水羅漢図 桑山玉洲筆 館蔵

(渡水羅漢図 桑山玉洲筆 和歌山県立博物館蔵)
 大きな松の木の下で、川を渡る、大勢の羅漢を描いています。羅漢とは、仏教の、特に優れた僧侶のことです。山は鮮やかな青や緑色、川は薄い藍色。羅漢の服は、赤、青、白、緑、桃色、茶色など、さまざまな色が塗ってあります。いくつの色を見つけられるでしょうか。

富岳図 桑山玉洲筆 個人蔵

(富岳図 桑山玉洲筆 個人蔵)
 富士山が見えています。その前には松の林と川、そして家々。地面は、幅の広い筆を横に動かして描いています。墨の割合が多いなか、空や地面に朱色が入り、明け方か、夕方の景色のようです。よく見ると、緑や臙脂色の点で、草や花が描かれています。

コラムはいくつか続きます。

(学芸員 袴田)

第45回マイミュージアムギャラリー「追え!ピンポン球 ―三年間の集大成―」

和歌山県立博物館マイミュージアムギャラリー
第45回展示 「追え!ピンポン球 ―三年間の集大成―」
【出 陳 者】 和田 涼平
【展示期間】 平成29年8月11日(金・祝)~9月24日(日)
【出陳資料】 表彰状  現代(21世紀)

【資料をめぐる思い出】
 これは、中3の春に和歌山市の中学卓球大会で団体戦優勝した時の表彰状です。
 卓球は、友達に誘われて中学から始めました。休まず練習に参加していたからでしょうか、補欠ではあったものの団体戦メンバーに選ばれ、2回戦にダブルスで出場しました。自分の出た試合は惜しくも負けてしまったものの、三年間の集大成として形が残ったことは嬉しく思います。
 額に入っていて立派に見えますが、実は表彰状が一枚しか用意されなかったため、顧問の先生が職員室で人数分コピーしてくれたものです。しかし、厳しくも楽しかった日々を思い出させてくれる大事な品です。
表彰状20170810
(画像クリックで拡大します)

【学芸員(実習生)の一口メモ】
 表彰状とよく似た、一通の感謝状を紹介します。徳川賴倫(よりみち)から加納榮之助に出されたもので、南葵(なんき)育英会の賛助員になってくれたことに対する謝意が書かれています。
 徳川賴倫は、紀伊徳川家を継いだ、貴族院議員です。また、加納榮之助は、紀州藩主時代から将軍吉宗を支えた有力な紀伊藩士である加納家の出身です。
 南葵育英会は、徳川賴倫が明治44年(1911)に、和歌山県及び三重県の旧紀州藩領出身の子弟に修学を保護奨励することを目的として設立した団体で、奨学金の貸与や寮の提供を行いました。
頼倫感謝状(加納家資料100)
加納栄之助宛徳川頼倫感謝状(和歌山県立博物館蔵)

※今回の展示は、平成29年度に和歌山県立博物館が受け入れた博物館実習生8名が作成しました。
 

まちなかの博物館・美術館をめぐろう!-5館相互割引について-

まちなかの博物館・美術館をめぐろう!-5館相互割引について-

このたび、和歌山市内の5つの文化施設(和歌山県立近代美術館、和歌山県立博物館、和歌山市立博物館、和歌山城天守閣、わかやま歴史館)をご利用の方について、2館目の入館料を割引にてご利用いただけることとなりました。和歌山県立博物館と県立近代美術館では団体割引料金を適用します。

                  
県立近代美術館
一般   常設展340円→270円  特別展・企画展は団体割引料金適用
大学生 常設展230円→180円  特別展・企画展は団体割引料金適用
県立博物館
一般   常設展280円→220円  特別展は団体割引料金適用
大学生 常設展170円→140円  特別展は団体割引料金適用
*他館の割引料金については、各館のウェブサイトでご確認ください。


また、相互割引に関連して、和歌山城周辺に残る史跡や文化財等を紹介した「わかやままちなかミュージアムガイド」を作成しました。和歌山城下のまちなかを自転車や徒歩で巡っていただけるよう、5館が連携して作成したガイドマップです。各館に設置していますのでご利用ください。
わかやままちなかミュージアムガイド1 わかやままちなかミュージアムガイド2


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