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スポット展示「和歌祭面掛行列の中世仮面-面打「方廣」の仮面群-」(3/12~4/17)

スポット展示
和歌祭面掛行列の中世仮面 -面打「方廣」の仮面群-
令和4年(2022) 3月12日(土)~4月17日(日)

 本年は紀州東照宮の例大祭・和歌祭が創始されて400年目の節目の年です。和歌祭では、神事のクライマックスである神輿渡御の際に、さまざまな芸能を行う行列が連なります。その中に、仮面をつけて仮装しにぎやかに練り歩く面掛(通称「百面」)という行列があります。
 面掛で使用されてきた仮面は、神事面や能面、狂言面、神楽面など鎌倉時代~近代にいたる仮面97面分が残り(さらに破損した部材の一部1面分を別に確認)、一括して和歌山県指定文化財となっています。現在の祭礼ではNPO和歌浦万葉薪能の会と能面文化協会が協力して制作・奉納した新しい仮面も使用されています。
 このスポット展示では、この面掛行列の仮面のうち、面裏の銘記から、面打(めんうち・仮面の制作者)の「方廣」(かたひろ/ほうこう)が作ったと判明する中世の仮面を紹介します。開催中の企画展「和歌祭と和歌の浦」(会期:3月12日~4月17日)で展示している「方廣作」銘を有する祖父(おおじ)を含め、全部で7面の方廣の仮面を一望していただけます。
 方廣という面打がいかなる人物であったのか、現在のところ不明ですが、これらの仮面はどれも大ぶりで造形の自由さに優れ、中世仮面の要素を濃厚に伝えるとともに、能面・狂言面の古態を示すところもあり、仮面研究上に重要な情報を提供します。知られざる室町時代の面打が手掛けた魅力溢れる仮面の「諸相」を、ぜひご堪能下さい。

会場:和歌山県立博物館2階学習室スポット展示コーナー
開館時間:午前9時30分~午後5時
無料(ただし、常設展示室・企画展示室へ入室される場合は入館料が必要)
出陳資料 紀州東照宮所蔵「和歌祭仮面群 面掛行列所用品」(和歌山県指定文化財) 癋見・尉・猿・武悪・祖父・賢徳

出陳資料一覧
1 癋見(べしみ) 室町時代 紀州東照宮蔵 和歌山県指定文化財 
 眉根を寄せて鼻孔を横に広げ、口をへの字に曲げて下唇を噛んだ、内にこもった怒りを表出する。名称は口を「へしめる」ことによるもの。やや面長で、怒りの表情も形式化しておらず、憤(ふん)怒(ぬ)形(ぎょう)の仏像の表情と相通じる。癋見面の成立段階の過程を示すといえ、注目される一面。面裏には「□廣作」の朱漆銘が記される。
べし見(表) べし見(裏)

尉(じょう) 室町時代 紀州東照宮蔵 和歌山県指定文化財 
 眉根を寄せて、眼はやや垂れ下がり、頬は痩せ、開いた口には乱杭歯を覗かせて、どこか恨みがましいような表情の尉(じょう)(年を経た男)の仮面。歯の間を彫り透かすなど型にはまらない自由な造形が特徴で、岐阜県・春日神社の笑尉(室町時代)にも一脈通じるところがある。面裏には黒漆を塗り、額部分に朱漆で「方廣作」と記される。
尉(表) 尉面裏

猿(さる) 室町時代 紀州東照宮蔵 和歌山県指定文化財 
 猿をあらわした仮面で、体毛部分を濃い茶色で、肉身部分を赤色に塗り分ける。眼の周囲には同心円状に皺をあらわして、猿らしい造形の工夫を施している。面奥が深くスケールの大きいおおらかな造形は、中世的傾向が強い。中世に遡る優れた猿面であり、注目される。面裏の額部分に朱字で「方廣作」と記される。
猿(表) 猿面裏

武悪(ぶあく) 室町時代 紀州東照宮蔵 和歌山県指定文化財 
 デフォルメされた大きな眼・鼻・口を配して、上目遣いにして下唇をかみしめた、諧(かい)謔(ぎゃく)味(み)のある表情を見せる。狂言面の武悪としては面奥が深くスケールの大きい造形で、制作時期は室町時代に遡る。中世末期以降定型化されていく武悪面の、原型を示す資料の一つと言える。面裏額部分に「方廣作」の朱漆銘がある。
武悪(表) 武悪(裏)

祖父(おおじ) 室町時代 紀州東照宮蔵 和歌山県指定文化財 
 全体に皺を多くあらわした老翁の表情であるが、眼に笑みをたたえ、頬骨をはりだし、口はうそぶくように少し尖らせる。滑稽性をやや含んだ祖(おお)父(じ)(ほがらかな老人)の仮面とみられる。面奥が深く、自由で萎縮していない造形は中世的なものであり、制作時期は室町時代を降らない。面裏に「□□作」とあり、方廣作と判断される。
祖父(表) 祖父(裏)

賢徳(けんとく) 室町時代 紀州東照宮蔵 和歌山県指定文化財 
 見開いた眼をぎょろりと横に向け、鼻の脇がへこみ、上歯で下唇を噛んだ表情を見せる。賢徳という名の僧侶が、寒風に吹かれてすくんだ際の表情といい、狂言では馬や牛、茸などの役に用いられる。平成20年(2008)に行った修理の際、割損部に貼ったテープを除去したところ、「方廣作」という朱漆銘を確認することができた。
賢徳(表) 賢徳(面裏)

参考 祖父(おおじ) 室町時代 紀州東照宮蔵 和歌山県指定文化財 
 四角張った輪郭で、額に皺をあらわし、眼をへの字にして笑みをたたえ、大きな鼻を配して、笑う口に歯を三本覗かせている。古代の伎楽面を想起させるようなおおらかで豪快な表情をみせ、制作は室町時代に遡る。面裏に朱漆で「方廣作」と記される。企画展「和歌祭と和歌の浦」展示資料。
笑尉(表) 笑尉面裏

【和歌祭面掛行列と仮面群について】
 和歌山市の西南に位置する風光明媚な景勝地・和歌浦に、徳川家康をまつった紀州東照宮があります。家康の子頼宣(よりのぶ)が、駿河国から紀伊国に領地替えとなって入国したのち、元和7年(1620)に東照宮を創建、翌年の春、家康の忌日である4月17日に初めての例祭が執り行われました。この例祭を和歌祭とよんでいます。
 和歌祭の大きな特徴は、神輿のあとに様々な種類の行列が連なることで、大変にぎやかな様相を示します。その行列の一つが面掛で、その名称の通り仮面を付け、華美な装束を身につけ、杖や扇を手にし、頭巾をかぶって練り歩きます。現在ではさらに傘を持って高下駄をはき、手に鳴り物を持ったり、子供を驚かせるなどの芸態も示します。
 現在この面掛で使用されてきた仮面として東照宮には、中世から近代にかけて作られた仮面97面が残されており(さらに破損した仮面部品を一面分確認)、すべて和歌山県指定文化財に指定されています。その構成は多様で、神事で使用されたと思われる仮面や能面、狂言面、神楽面、鼻高面が混在しています。仮面の大半には面裏に「東照宮什物」の焼印と、朱字や白字で番号が記されていて近代に幾度かの整理が行われたようです。現存する仮面に記された最も大きな整理番号は「第百拾六号」ですので、かつては今以上に仮面があったことがわかります。
 これらの仮面は一度に用意されたものではありません。元和8年の祭礼では38人の集団で、その後39人の構成を示す場合と(『紀伊国名所図会』ほか)、79人の構成を示す場合があり(『紀伊続風土記』)、面掛の構成人数には増減がありました。
 東照宮祭礼である和歌祭の内容には藩主の意向が強く反映されましたので、最初に使用された仮面の手配にも、藩主頼宣や藩が主体的に関わっていたと想定されます。中でも今回展示している、面裏に「方廣作」と朱字で記された仮面7面(1面は企画展で展示中)は、全て室町時代に作られた古面で、おそらく江戸時代初期に集められたものではないかとみられます。また面裏に江戸時代初期に活躍した有力な面内(仮面制作者)である「天下一友閑)」(出目満庸)の焼印があるものが7面あり、こういった名工の仮面は当時でも入手が難しいもので、このことも藩主の関与があったことを示唆しているといえるでしょう。
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(平成17年祭礼時の面掛行列)
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(和歌祭仮面群 面掛行列所用品)












スポット展示「仮面が語る地域の記憶-乾武俊氏寄贈の中世在銘仮面から-」(1/30~3/6)

スポット展示
仮面が語る地域の記憶
―乾武俊氏寄贈の中世在銘仮面から―
令和4年(2022)1月30日(日)~3月6日(日)

 現在開催中の企画展「仏像は地域とともに」(会期:1月29日~3月6日)では、仏像が地域や人々との密接な結びつきの中で残され、伝わってきた地域の歴史を伝えてくれる大切な文化財であることを紹介しています。そして仮面資料もまた、古くから祭礼や芸能の中で多数使用され、地域や人々と「密着」しながら伝えられた大切な文化財です。
 そうした仮面の中には、さまざまな事情で元の所在地から離れ、博物館や個人によって収集されているものがあります。和歌山県立博物館では、詩人・教育者・劇作家・被差別地域の民俗文化研究家であった乾武俊氏が収集した多数の日本と世界の仮面を、平成27年(2015)に寄贈により引き継いでいます。この資料の中から、銘記により、かつて伝わった地域の記憶を語りかけてくれる資料を紹介します。

会場 和歌山県立博物館2階学習室スポット展示コーナー
開館時間 午前9時30分~午後5時
入館料 無料(ただし、常設展示室・企画展示室へ入室される場合は入館料が必要)

【出陳資料】
「若い女」・仮面の諸相 画面クリックで拡大
①女面 享禄3年(1530) 鹿児島県曽於市日光神社伝来
 面裏に「享禄三年/十一月日/日光神常住/ 蛭牟田神祇史/光䂓/宇スニク」と記された若い女を表した仮面。難読であったが、人名を蛭牟田(ひるむた)と解読できたことで、蛭牟田氏が神官を務めた鹿児島県曽於市の日光神社伝来資料と近時判明した。
 彩色は大きく剝落するが、様式が固定化する以前の中世女面らしい表現の自由度の高い表情で、神と接近した巫女の風貌ともいえよう。
【面裏墨書銘】
 享禄三年
 十一月日
日光神常住
蛭牟田神祇史 宇スニク
     光䂓

22 鬼神(58) 画面クリックで拡大
②鬼面 明応6年(1497) 馬関田荘(宮崎県えびの市)伝来
 口を閉じた鬼神の面で、明応6年(1497)に日向国真幸院(まさきいん)馬関田荘(まんがたのしょう)(現・宮崎県えびの市)の賀茂左衛門尉によって作られたことが面裏に記される。瞳や鼻孔が穿たれておらず、人が顔に着けるのではなく、柱などにくくりつけて使用した掛面の、貴重な中世在銘資料。仮面の根源的意義は、顔を空間に表すことで、神や精霊の存在を示すことにあるといえる。
【面裏墨書銘】
 日向之国真幸院馬関田庄之住
右作者賀茂左衛門尉藤原義弘(花押)
 于時明応六秊霜月廿八日
  且者為人之且者結縁□者
      神慮所也

33 水王(33) 画面クリックで拡大
③水王面 天正4年(1576) 佐賀県小城市牛尾神社伝来
 身の色を青(緑)色に染めて口を強く締めて威嚇する表情の仮面。赤身で開口した火王面と一対で使用される。面裏の墨書から、肥前国小城郡西郷牛尾山神宮寺(現・佐賀県小城市牛尾神社)の若王子大権現に奉納されたものと分かる、貴重な在銘資料。鉾に取り付けて神輿を先導する掛面として用いられたもので、儀礼に際し、祭祀の場に降臨した護法神の存在を象徴的に示した。
【面裏墨書銘】
 肥前国小城郡西郷牛尾山神宮寺
 若王子大権現櫛賢物前神水焉
 右□□為  作者同郷住等元
 □□□□  □□□
 □長□□□□□
 □□□□□
 別而者信□□□
 長久息災延命
 子孫繁栄也   住持□琳信(花押)
  于時天正四年丙子九月十六日敬白

DSC_6678.jpg 画面クリックで拡大
④姥面 永禄10年(1567) 伝来地不明
 眼は妖しく輝き、頰骨が飛び出て、笑みを浮かべた口まわりは落ちくぼんでいる。性別の判断も定かではないが、ぼうぼうの毛書きは女性表現のようであり、大笑する姥であろうか。形は栃木県輪王寺の尉面に近い。面裏に「永禄十年/正月吉日」と記され制作時期が判明する。伝来は不詳。
【面裏墨書銘】
  永禄十年
 正月吉日

[乾武俊氏寄贈の仮面コレクションについて]
 今回展示する仮面資料は、乾武俊氏によって収集され、平成27年(2015)にご寄贈いただいたコレクションの一部です。
 乾武俊氏は大正10年(1921)、和歌山市に生まれ、昭和15年(1940)に東京高等師範学校に入学、病気のため中途退学して和歌山に戻り、県立日高中学校に代用教員として赴任。終戦後、和歌山市立西和中学校、同伏虎中学校で教壇に立ちながら、「詩風土」「山河」「日本未来派」等に所属して詩作を続け、第一詩集『面』(東門書房、1952)、第二詩集『鉄橋』(日本未来派発行所、1955)を上梓しました。
 昭和34年(1959)、大阪府和泉市立山手中学校への赴任を契機に同和教育に深く関わり、詩作による教育実践などとともに、被差別地域における民話や伝承の聞き取りを積極的に行っています。この間、『詩とドキュメンタリィ』(思潮社、1962)、『民話教材と同和教育』(明治図書、1972)を出版。その後、大阪府教育委員会指導主事、和泉市教育次長(兼同和教育室長)、和泉市立光明台中学校長を歴任、退職後は、大阪府教育委員会や部落解放研究所による大阪府下の民俗調査に参加し、また大阪教育大学の非常勤講師を勤めています。この間の、被差別地域の民俗文化の調査と研究の成果や、また教育への取り組みの一端として『伝承文化と同和教育―むこうに見えるは親の家』(明石書店、1988)、『民俗文化の深層―被差別部落の伝承を訪ねて』(解放出版社、1995)を出版されています。厳しい差別の現実に対して教育者としての諸実践を続けるとともに、文学者としては伝承や芸能の「うたい」や「かたり」、あるいは身振りから、継承されてきた記憶の深層を浮かび上がらせ、芸能の根源へと近づこうとされました。
 こうした活動とともに、乾氏の興味の核としてあり続けてきたのが、仮面と芸能です。特に庶民の信仰や文化の中で作られ伝えられた、日本と世界の仮面の収集を長く続けられました。乾氏の仮面論は、『黒い翁―民間仮面のフォークロア―』(解放出版社、1999)、『能面以前―その基層への往還―』(私家版、2012)へと結実し、また収集仮面の一部は大阪人権博物館の企画展「神・鬼・道化―乾武俊がみた仮面世界―」として、2001年に公開され、当館においても2013年に企画展「仮面の諸相―乾武俊氏の収集資料から―」を開催し、同名の図録を発行しています。
 ほか、自選著作集(私家版)として、『「くどきの系譜」序説(第一巻)』(2003)、『被差別民衆の伝承文化(第二巻)』(2004)、『「仮面」と「舞台」(第三巻)』(2007)、『被差別部落の民俗伝承(別冊)』(2008)が上梓され、またそれらの集大成として、『民俗と仮面の深層へ―乾武俊選集―』(山本ひろ子・宮嶋隆輔編、国書刊行会、2015)が刊行されています。
 乾武俊氏が当館に寄贈された日本と世界の仮面は総数238面を数えます。日本の仮面では、今回展示している中世在銘の仮面は、全国的な仮面研究に資する貴重な資料といえるものです。このうち銘記から鹿児島県曽於市の日光神社伝来資料と近年判明した享禄3年銘の女面については、国立能楽堂特別展「能面に見る女性表現」(2010年)にも出陳された、日本を代表する中世女面の一つです。また世界の仮面では、現在では入手が困難なアジア・アフリカ・オセアニアの仮面が多数含まれており、世界的な仮面研究に資する資料ともいえるでしょう。
 なお、乾コレクションの仮面については、『和歌山県立博物館研究紀要』20号(2014年3月発行)にて、追加寄贈分の15面を除く223面について基礎データを紹介しています。   



けんぱくこどもゼミ・中止のお知らせ

けんぱくこどもゼミは、新型コロナウイルス感染症の拡大状況を鑑み、前半3回分については先に中止の判断を行っておりましたが、2月5日より和歌山県がまん延防止等重点措置の実施すべき区域となったことから、残りの3回につきましても中止とさせていただきます。

ご参加を予定されていましたみなさまにはたいへん申し訳ありませんが、なにとぞご了承下さい。

スポット展示「赤坂離宮邸内営繕関係図面―紀伊徳川家江戸中屋敷赤坂邸から赤坂御用地へ―」(12/4~1/23)

スポット展示
赤坂離宮邸内営繕関係図面
―紀伊徳川家江戸中屋敷赤坂邸から赤坂御用地へ―

会期:令和3年(2021) 12月4日(土)~令和4年(2022)1月23日(日)
会場:和歌山県立博物館 2階学習室スポット展示コーナー

 寛永9年(1632)に、紀伊徳川家初代頼宣(よりのぶ)が拝領して以来、紀伊徳川家の中屋敷であった赤坂邸は、慶応4年(1868)に徳川宗家に貸与され、さらに明治6年(1873)には皇室に献上されて、現在の赤坂御用地(赤坂離宮、東宮御所)として引き継がれました。明治6年5月5日の皇居炎上ののち、明治21年(1888)の皇居新宮殿が完成するまでは、太政官布告により赤坂離宮が皇居と定められていました。
 当館所蔵のこの絵図群は、明治時代中期の赤坂離宮に関するもので、表紙に捺されている朱印により、宮内省の部局である内匠寮(ないしょうりょう)旧蔵のものと分かります。全体は大きく二種類に分けられ、一つは観菊会(かんぎくかい)に関するもの、もう一つは離宮内の設備に関するものです。観菊会に関する図面は、表紙は付けずに表題を直接本紙裏に記して、観菊会の際に設営される仮設設備を淡彩で詳細に描いています。観菊会は宮中の年中行事として、明治13年(1880)以降昭和初期まで毎年開催されているもので、現在の春秋の園遊会の前身です。後者には朱色の表紙が付けられ、表題の中には明治34年(1901)の年紀も確認できます。赤坂離宮内の建物の工事・営繕図面として用いられたものとみられ、その内部の間取りまで詳細に把握することができます。
 西洋のガーデン・パーティーを模した立食形式の宴である観菊会は、大名庭園における園遊が形を変えて復活したものとみられ、敷地の範囲を含め、紀伊徳川家江戸中屋敷庭園の持つ性格が、それほど変質しないで近代に引き継がれたのではないかと考えられます。なお江戸時代にはすでに赤坂邸内の「菊畑」で菊が栽培されていたことが他の資料(当館所蔵「赤坂庭園五十八勝図」)からもうかがえます。

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ロビー展 さわって学ぶわかやまの歴史 ―さわれるレプリカとさわって読む図録―

ロビー展
さわって学ぶわかやまの歴史
―さわれるレプリカとさわって読む図録―


 和歌山県立博物館は、県内に伝わった豊富な文化財を後世に伝えるため、県ゆかりの文化財を積極的に収集・保管・調査・展示し、その成果を広く普及する事業を行っています。そうした中で、視覚に障害がある方の博物館利用に際しては、合理的配慮のもと、正確に情報を提供するため、最新の技術を活用して、さまざまなさわれる資料を用意しています。
 3Dプリンターを活用したさわれる文化財レプリカは、県立和歌山工業高等学校・和歌山大学教育学部と連携して制作し、特殊な透明盛り上げ印刷によるさわって読む図録は県立和歌山盲学校と連携して制作しています。従来の博物館では情報を届けることが難しかった、視覚に障害がある方への支援ツールとして制作することで、だれもが自由にさわり、感覚的に情報を入手し、楽しく分かりやすい資料を作り上げることができました。こうした全国の博物館・美術館に先駆けた博物館展示のユニバーサルデザイン化の取り組みに対しては、平成26年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰において、内閣総理大臣表彰が授与されています。
 紀の国わかやま文化祭2021の特別連携事業として、そして現在開催中の特別展「きのくにの名宝」の連携展示として、このさわれる文化財レプリカと、さわってむ図録を紹介し、視覚に障害がある方の博物館利用の促進とともに、博物館展示のユニバーサルデザイン化を進める和歌山県の最先端の取り組みをご紹介します。

 主  催 和歌山県立博物館
 会  期 令和3年(2021)10月30日(土)~11月23日(火・祝) 
 会  場 和歌山県立博物館エントランスホール
 開館時間 午前9時30分~午後5時
 休 館 日 毎週月曜日(ただしふるさと誕生日の11月22日(月)は開館)
 入 館 料 無料(ただし開催中の特別展の観覧に際しては入館料が必要です)

展示内容
①さわって学ぶ 仏像の基礎知識
薬師如来坐像 原資料は平安時代、薬師寺(紀の川市)蔵
釈迦如来坐像 原資料は南北朝時代・貞和3年(1346)、海雲寺(海南市)蔵
菩薩形坐像 原資料は平安時代、林ヶ峰観音寺(紀の川市)蔵
滝尻金剛童子立像 原資料は平安時代、滝尻王子宮十郷神社(田辺市)蔵
愛染明王立像 原資料は江戸時代、円福寺(紀の川市)蔵
阿弥陀如来坐像 原資料は平安時代、花坂観音堂(高野町)蔵
仏頭 原資料は平安時代、横谷区茶所(紀の川市)蔵

②さわって学ぶ 神像の基礎知識
高野明神立像 原資料は平安時代、槙尾山明神社(九度山町)蔵
白鬚明神坐像 原資料は平安時代、槙尾山明神社(九度山町)蔵
女神坐像 原資料は平安時代、三谷薬師堂(かつらぎ町)蔵
丹生明神坐像 原資料は鎌倉時代、三谷薬師堂(かつらぎ町)蔵
僧形神坐像 原資料は南北朝時代・正平11年(1356)、安楽寺(日高川町)蔵
童子形神坐像 原資料は南北朝時代・正平11年(1356)、安楽寺(日高川町)蔵
権大明神立像 原資料は江戸時代、大国主神社(紀の川市)蔵

③手で見る、手で知る、和歌山の歴史―さわって読む図録―
『仮面の世界へご招待-さわって学ぶ和歌祭-』(2011年1月発行)
『きのくにの祈り-さわって学ぶ祈りのかたち-』(2012年3月発行)
『未来へ伝える私たちの歴史-文化財を守るために-』(2013年3月発行)
『文化財の魅力発見!-歴史を守り伝える-』(2014年3月発行)
『世界遺産・高野山の歴史-弘法大師と密教の聖地-』(2015年3月発行)
『絵でたどる熊野信仰の歴史』(2016年3月発行)
『さわって学ぶ 仏像の基礎知識』(2017年3月発行)
『道成寺縁起―絵巻でたどる物語―』(2018年3月発行)
『さわって読み解く 那智参詣曼荼羅』(2019年3月発行)
『さわって学ぶ 神像の基礎知識』(2020年3月発行)
『粉河寺縁起―手で読む神秘の物語―』(2021年3月発行)

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マイミュージアムギャラリー第50回展示「山越えて ―受け継がれる用具と書―」

和歌山県立博物館マイミュージアムギャラリー
第50回展示 「山越えて―受け継がれる用具と書―」
【出 陳 者】 清水 咲衣
【展示期間】 令和3年8月11日(水)~10月3日(日)
【出陳資料】 書道用具・若山牧水和歌墨書


【資料をめぐる思い出】
「これは、小学生の頃使用していた書道用具と、高校の卒業制作で書いた作品です。
 書道用具は母から譲り受けたもので、硯は使い込まれ、筆置きもなく洗濯挟みで代用しています。それでも達筆な母と同じ道具を使えることが嬉しく、愛用していました。
 高校生になって書道部に入り本格的に行書に挑戦しました。卒業制作に何を書くか悩み、先輩の作品を見ていると、「山越えて」から始まる若山牧水の和歌がありました。工夫して、かすかに聞こえる「遠鳴りの風」を、墨の濃淡を生かして表現しています。仕上げに、高校一年生の時に作った落款印を捺し、苦労して自ら裏打ちも行いました。私の書道歴の集大成です。」
第50回web用
画像クリックで拡大します。

※今回の展示は令和3年度博物館実習生が作製しました。

マイミュージアムギャラリー第49回展示「夢と希望の聖火ランナー」

和歌山県立博物館マイミュージアムギャラリー
第49回展示 「夢と希望の聖火ランナー」
【出 陳 者】 山本 哲生
【展示期間】 令和3年7月6日(火)~7月11日(日)・7月17日(土)~8月8日(日)
【出陳資料】 トーチ・ランナーユニフォーム(21世紀)


【資料をめぐる思い出】
「令和3年4月10日、念願の聖火ランナーとして走った際に使ったトーチとユニフォームです。岩出市の県植物公園緑化センター前の200メートル、あっという間の2分間でした。
 青少年教育に長く関わり、今は児童相談所に勤めています。入所してくる子どもたちの目は生気を失っており、夢と希望を持つ大事さを話していますが、そんな子どもたちに夢が叶うことを伝えようと、NTTの聖火ランナー募集に応募し選出されました。直前に人工股関節を入れる手術を行っていて、リハビリと、1年の延期を乗り越えての本番は、最高の晴れ舞台でした。
 復興五輪の本物のトーチを手にして、きらきらした目で感動してくれる子どもたちに、これからもこの経験を伝えていきたいと思います。」
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企画展「聖地の風景―寺社絵図の世界―」参考文献一覧

企画展「聖地の風景―寺社絵図の世界―」展示資料について、
参考文献・掲載図版・解説の情報をご紹介しておきます。
詳しくお知りになりたいかたは、そちらもあわせてご参照ください。

1 高野山及び周辺図
日野西真定編『高野山古絵図集成』(清栄社、1983年)
日野西真定編『高野山古絵図集成解説索引』(タカラ写真製版株式会社、1988年)
和歌山県立博物館編『弘法大師と高野参詣』(和歌山県立博物館、2015年)

2 高野山細見大絵図
高野山細見大絵図(館蔵品1114)
高野山大学図書館、日野西真定氏所蔵のものが、下記に掲載。
日野西真定編『高野山古絵図集成』(清栄社、1983年)
日野西真定編『高野山古絵図集成解説索引』(タカラ写真製版株式会社、1988年)
大津美月「高野山古絵図の研究―高野山大学所蔵本を中心として―」『密教学会報』49号、2011年)
高野山大学図書館編『高野山大学図書館善本叢書 第三巻 高野山大学図書館所蔵 高野山古絵図集成』(高野山大学、2020年)

3 幡掛松幷鎌八幡図絵馬
幡掛松幷鎌八幡図絵馬(館蔵品814)

4 粉河寺四至伽藍図写
粉河寺四至伽藍図(館蔵品1139)
和歌山県立博物館編『国宝粉河寺縁起と粉河寺の歴史』(和歌山県立博物館、2020年)

5 粉河寺本堂指図
6 粉河寺境内略図
7 粉河寺境内図
8 粉河寺大門指図

 → ナシ(初公開か)
ただし『重要文化財 粉河寺大門 修理工事報告書(本文編)』(和歌山県、2002年)に粉河寺が所蔵する関連絵図(藤井・中山方衆座文書の原図か)が掲載される。

9 延宝五年庁之絵図写
東京学芸大学日本中世史研究会編『紀伊国荒川荘調査報告』Ⅱ(東京学芸大学日本中世史研究会、1993年)
和歌山県立博物館編『京都安楽寿院と紀州あらかわ』(和歌山県立博物館、2010年)

10 嘉永五子年神納之時諸所建物五拾歩壱之図
東京学芸大学日本中世史研究会編『紀伊国荒川荘調査報告』Ⅱ(東京学芸大学日本中世史研究会、1993年)
和歌山県立博物館編『京都安楽寿院と紀州あらかわ』(和歌山県立博物館、2010年)
和歌山県立博物館編『高野山麓 祈りのかたち』(和歌山県立博物館、2012年)

11 根来寺境内絵図
根来寺境内絵図(館蔵品812)
真義真言宗総本山根来寺・根来寺文化研究所編『根来寺の歴史と文化財』(真義真言宗総本山根来寺・根来寺文化研究所、2009年)
和歌山県立博物館編『京都安楽寿院と紀州あらかわ』(和歌山県立博物館、2010年)

12 和歌浦図屛風
和歌浦図屛風(館蔵品928)
和歌山大学紀州経済史文化史研究所編『増補・改訂版 みる・きく・たのしむ 和歌祭』(和歌山大学紀州経済史文化史研究所、2012年)

13 雲蓋院御霊屋惣図
 → ナシ
ただし、『南紀徳川史』16に別の雲蓋院御霊屋の図が3点掲載。

14 紀州名草郡紀三井山護国院金剛宝寺境内図
紀州名草郡紀三井山護国院金剛宝寺境内図(館蔵品263)
※和歌山市立博物館所蔵のものが、和歌山市立博物館編『和歌浦―その景とうつりかわり―』(和歌山市立博物館、2005年)に掲載

15 南紀男山焼 染付名草晩潮図大皿
文化遺産オンライン(南紀男山焼 染付名草晩潮図大皿)
和歌山県立博物館編『きのくにの歴史と文化 和歌山県立博物館館蔵品選集』(和歌山県立博物館、2004年)

16 日光社参詣曼荼羅
日光社参詣曼荼羅(館蔵品1096)
『清水町誌』史料編(清水町、1982年)
和歌山県立博物館編『高野山麓 祈りのかたち』(和歌山県立博物館、2012年)
大河内智之「紀伊国・日光社参詣曼荼羅についての基礎的考察」(赤松徹眞編『日本仏教の受容と変容』永田文昌堂、2013年)
和歌山県立博物館編『弘法大師と高野参詣』(和歌山県立博物館、2015年)
和歌山県立博物館編『有田川中流域の仏教文化―重要文化財・安楽寺多宝小塔修理完成記念―』(有田川町教育委員会、2017年)

17 明恵上人五百五十回御遠忌開帳絵図
和歌山県立博物館編『明恵 故郷で見た夢』(和歌山県立博物館、1996年)

18 能仁寺絵図
→ ナシ

19 御坊寺内町指図
中野榮治「日高御坊の寺内町景観」(『紀伊の歴史地理考』ナカニシヤ出版、2009年)
和歌山県立文書館編『収蔵史料目録八 御坊市藤田町 瀬戸家文書目録』(和歌山県立文書館、2009年)

20 熊中奇観 巻下
文化遺産オンライン(熊中奇観)
和歌山県立博物館編『紀州史〈絵〉物語』(和歌山県立博物館、1994年)
和歌山県立博物館編『熊野』(和歌山県立博物館、1999年)
和歌山県立博物館編『きのくにの歴史と文化 和歌山県立博物館館蔵品選集』(和歌山県立博物館、2004年)
竹中康彦「資料紹介 「熊中奇観」」(和歌山県立博物館蔵)」(『和歌山県立博物館研究報告』13号、2007年)

21 熊野三山図
和歌山県立博物館編『熊野』(和歌山県立博物館、1999年)
和歌山県立博物館編『西行―紀州に生まれ、紀州をめぐる―』(和歌山県立博物館、2018年)

22 熊野御幸図写
文化遺産オンライン(熊野御幸図写)
和歌山県立博物館編『紀州史〈絵〉物語』(和歌山県立博物館、1994年)
和歌山県立博物館編『熊野』(和歌山県立博物館、1999年)
和歌山県立博物館編『きのくにの歴史と文化 和歌山県立博物館館蔵品選集』(和歌山県立博物館、2004年)
和歌山県立博物館編『熊野三山の至宝』(和歌山県立博物館、2009年)
和歌山県立博物館編『聖地 熊野への旅』(和歌山県立博物館、2014年)

23 熊野本宮社頭図
文化遺産オンライン(熊野本宮社頭図)
和歌山県立博物館編『紀州史〈絵〉物語』(和歌山県立博物館、1994年)
和歌山県立博物館編『熊野』(和歌山県立博物館、1999年)
和歌山県立博物館編『きのくにの歴史と文化 和歌山県立博物館館蔵品選集』(和歌山県立博物館、2004年)
和歌山県立博物館編『熊野本宮大社と熊野古道』(和歌山県立博物館、2007年)

24 那智山図
25 郷社飛瀧神社見取図
26 熊野那智山社頭図心覚控
27 奥之院周辺図
28 熊野夫須美神社山林払下願地図
29 熊野那智神社旧境内旧神官屋敷・持地図

→ すべてナシ(初公開)
ただし、関連絵図は、和歌山県立博物館編『熊野・那智山の歴史と文化―那智大滝と信仰のかたち―』(和歌山県立博物館、2006年)などにも掲載。

30 実方院百分之一図
坂本亮太「熊野那智御師 旧宝蔵院所蔵史料 補遺」『和歌山県立博物館研究紀要』25号、2019年

31 新宮本社末社図
和歌山県立博物館編『熊野速玉大社の名宝―新宮の歴史とともに―』(和歌山県立博物館、2005年)
和歌山県立博物館編『熊野三山の至宝』(和歌山県立博物館、2009年)

32 新宮御宮御構之図
新宮御宮御構之図(館蔵品1061)

紀州名草郡紀三井山金剛宝寺護国院境内図(館蔵品263)

紀州名草郡紀三井山護国院金剛宝寺境内図(館蔵品263)

blog館263 紀州名草郡紀三井山護国院金剛宝寺境内図(クリックすると拡大します)
  
【基本情報】
明治24年(1891) 紙本墨刷 1枚   縦35.6㎝ 横48.2㎝

【図版・解説】  ※同版で和歌山市立博物館所蔵のものが紹介されています
和歌山市立博物館編『和歌浦―その景とうつりかわり―』(和歌山市立博物館、2005年)

【内容】
西国巡礼第二番札所である紀三井寺(和歌山市)の境内を描いた木版刷りの絵図。
この図は、天保11年(1840)に作成された版をもとに、
明治24年(1891)に部分的に修正を加えて、桜井一清堂によって改版されたものです。
右下の登り口には楼門(仁王門)があり、石段の両側には子院が建ち並んでいます。
石段上には本堂・本坊・鎮守・大日・開山堂・札所(六角堂)などが並んでいます。
現在は石段を登りきったあと、六角堂・鐘楼・大師堂と並んでいますが、
この図では鐘楼・大師堂・札所(六角堂)となっており、六角堂の位置が現状と異なります。
blog紀三井寺六角堂と鐘楼(現状の六角堂、奥に鐘楼がみえます)
なお、六角堂は18世紀後期の建築とされていますが(『和歌山県の近世社寺建築』)、
移動したのか、それとも絵が間違えて描かれたのか、検討が必要です。

明治時代以降も境内の変遷があったのでしょう。
なお本図では、紀三井寺の塔は三重塔ではなく「大日」と注記され、多宝塔として描かれています。
blog境内図(多宝塔)(大日とされた塔) blog紀三井寺多宝塔(『紀三井寺開創1250年記念図録』)(多宝塔現状『紀三井寺開創1250年記念図録』より)

次に文化8年(1811)に刊行された『紀伊国名所図会』とも比較とみたいと思います。
blog名所図絵(全体)(クリックすると画像は拡大します)
『紀伊名所図会』に描かれた紀三井寺の境内図と、この図とを比べてみると、
中央下部の文字などは大きく異なりますがが、構図や境内の構成要素は概ね一致しています。
blog紀伊名所図会書き込み(クリックすると画像は拡大します)

そういったなかでも大きな違いとなるのは、
①海龍院の有無、
blog境内図(海龍院なし)(境内図)  blog名所図会(海龍院)(名所図会)
②手洗所の横にある茶所と大きな樟、
blog境内図(樟)(境内図) blog名所図会(樟)(名所図会) blog紀三井寺楠現状(現状)
③本堂前の堂舎が釈迦堂か如意輪尊か、
④本坊の大きさ、
⑤本堂から開山堂へ行く階段の屋根の有無、
blog境内図(本坊)(境内図) blog名所図会(本坊釈迦堂開山堂)(名所図会) blog紀三井寺如意輪(如意輪観音現状)
などが挙げられます。
このようにみると、江戸時代後期から明治時代にかけて、
紀三井寺の本堂前の景観も大きく変わったことが想像されます。

なお、天保11年(1840)の元図(『和歌浦―その景とうつりかわり―』に掲載)と比べると、
画面上部の鐘楼と大きな松の位置、上部左上の本坊、
中央下部の芭蕉塚の碑文を記した部分などが異なっています。
鐘楼の位置が『紀伊国名所図会』とも異なる理由はわかりません。
鐘楼は天正16年(1588)の建立で、国指定の重要文化財となっています。
位置を間違えて描いたのか、鐘楼の位置が移動したのか、考える必要があります。

そのほか、江戸時代の紀三井寺の景観を知ることができる絵画資料として、
・紀三井寺参詣曼荼羅 1幅(紀三井寺蔵):17世紀
・名所図画    1巻(和歌山市立博物館蔵):17世紀半ば
・和歌浦図巻   1巻(和歌山市立博物館蔵):江戸時代後期 笹川遊泉筆
などがあります。


(当館学芸員 坂本亮太)

和歌浦図屛風(館蔵品928)

和歌浦図屛風(館蔵品928)

blog館928和歌浦図屏風 (クリックすると画像は拡大します)

【基本情報】
6曲1隻  江戸時代(17世紀) 紙本金地著色 縦106.1㎝ 横274.4㎝

【図版・解説】
和歌山大学紀州経済史文化史研究所編『増補・改訂版 みる・きく・たのしむ 和歌祭』(和歌山大学紀州経済史文化史研究所、2012年)

【内容】
和歌浦(和歌山市)を6曲1隻の画面に描いた名所屛風絵。

中央には西国順礼者を載せた船の往来、
入り海を挟んで右側に大きく天満宮と端に東照宮、中央下に玉津島神社、
左側に紀三井寺を配置するシンメトリックな構図をとっています。
blog紀三井寺 (紀三井寺)

右側の入江をめぐる行列は、和歌祭の練り物かと思われます。
blog風流踊り (風流踊り)
画面中央上部には、布引の砂洲が長く描かれ、また蓬莱岩には二羽の鶴があり、
その左横には藤白峠と筆捨松も見えます。
blog布引松(布引の砂洲・松)
blog藤代峠(藤白峠と筆捨松)
玉津島神社の裏では、製塩をする人々の様子も描かれています。
玉津島神社と製塩(玉津島神社と製塩)

人物表現は特徴的で、髭を生やした武士なども描かれています。
紀三井寺の塔は、文安6年(1449)の多宝塔が現存しますが、
本図など和歌浦を描いた名所図などでは、三重塔として描かれる場合があります。
blog三重塔(三重塔)

なお図像が近似する和歌浦を描いた屛風として、
・和歌山大学紀州経済史文化史研究所所蔵の「和歌浦図屛風」(紀州研本)
・東京国立博物館所蔵の「厳島和歌浦図屛風」(東博本)
があります。
年代的にみると、紀州研本→県博本→東博本の順に作成されたのではないかと思われます。

【参考文献】
和歌山市立博物館編『和歌浦―その景とうつりかわり―』(2005年)
和歌山大学紀州経済史文化史研究所編『増補・改訂版 みる・きく・たのしむ 和歌祭』(和歌山大学紀州経済史文化史研究所、2012年)

(当館学芸員 坂本亮太)

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