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特別展「やきもの新時代」今日17:00で終了です。

本当に早いもので、
特別展「紀伊徳川家 やきもの新時代」最後のイベントが終わりました。

本日のミュージアムトークには、会期中最高の、46人の方がご参加くださいました!

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(クリックで拡大します ※以下同じ)
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たくさんの方にお越しいただき、会期終了を迎えられるのも、
ご協力、ご来場いただいた皆さまのおかげです。
本当にありがとうございました。

春の特別展は今日で終わり、なんとも寂しいですが、
6月9日(土)からは、企画展「博物館でいきものめぐり」が始まります。
特別展では江戸時代から明治時代のやきものをご覧いただきましたが、
次の企画展では、同じ時代の絵画をご覧いただけます。
生きものがいっぱいで楽しい展覧会ですので、ぜひ、お楽しみに。

本日も、16:30まで入館可能です。
駆け込み大歓迎ですので、お近くを歩いていらっしゃるみなさま(!)、
ぜひ、博物館にお立ち寄りいただき、最終日の特別展をご覧ください!

(学芸員 袴田舞)

会期残り3日!特別展「やきもの新時代」

和歌山県立博物館、春の特別展「紀伊徳川家 やきもの新時代」も、会期終盤。
なんと、残すところ、あと3日となってしまいました……。
あっという間です。

今日は、会期中に開催されたイベントのご報告をしたいと思います。

◆4月28日(土)
2回目のミュージアムトーク。

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(クリックで拡大します。以下同様)

1回目のトークより少し多く、19名の方々がご参加くださいました。


◆5月4日(金)
3回目のミュージアムトーク。

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2回目のトークよりもさらに多く!35名の方々がご参加くださいました。


◆5月13日(日)
《国際博物館の日記念事業》として、講演会を開催。
梶山博史(かじやま・ひろふみ)氏(中之島香雪美術館学芸課長)にご講演いただきました。
「百花繚乱・紀州のやきもの―その魅力とルーツ」という題で、
藩窯・御用窯・御庭焼などの定義から丁寧にお話しいただき、
紀州のやきものが中国陶磁から受けた影響や、
土型の移動などについても、詳細に明らかにしてくださいました。
やきものへの愛と熱意が伝わってきて、感動です。

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なかでもエキサイティングだったのは、海を渡った紀州のやきもののお話。
アメリカやイギリス、フランスのミュージアムに、
たくさんの偕楽園焼(明治に輸出用として作られたという模倣品を含む?)や南紀男山焼の作品が
収蔵されていて、当地でのやきもののデザインにも影響を与えた可能性があるとのこと。
とても興味深く拝聴しました。

ご来場の皆さまにもお詳しい方が多く、質疑応答も盛り上がりました。
大変意義深い講演会となったのではないかと思います。
梶山先生、ありがとうございました。


◆5月20日(日)
「紀州のやきもの―御庭焼を中心に」というタイトルで20日に予定していた、
中村貞史(なかむら・ただし)氏の講演会。
中村先生は、元・和歌山県立紀伊風土記の丘館長で、
実は、和歌山県立博物館でもお勤めだった、私たち職員にとっての大先輩でもあります。

今回の特別展は、中村先生が2017年に上梓された、
『紀州陶磁器史研究』というご著書に導かれるところが非常に多く、
展覧会の事前調査でも、ずいぶんお世話になりました。

講演会前後に体調を崩され、その日は私が代理でスライドレクチャーをさせていただきました。
あたたかく受け入れてくださったご来場の皆さま、本当にありがとうございました。

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中村先生は、きっとまた博物館で、誰よりも詳しく、楽しいお話をお聞かせくださるはずと思っております。
会期中には、残念ながら中村先生のお話を伺えませんが、またの機会を願って!
ぜひ、『紀州陶磁器史研究』(清文堂)もご覧下さい!


◆5月27日(日)
「やきものアイディアブック―南紀男山焼No.1陶工・光川亭仙馬の下絵帖を覗く」と題し、
博物館講座を開催いたしました。

南紀男山焼の代表格であった、光川亭仙馬(こうせんてい【ひかるがわてい】・せんば)は、
陶磁器への絵付けを得意とした陶工です。
仙馬が絵の練習をしたり、アイディアを書き留めたりしたスケッチブックが残っており、
博物館講座ではその魅力的な内容を紹介しました。

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江戸時代に流通していた版本の絵を写したり、
仏像やコイン、中国のやきものを写したり。
紀州の実際の風景を描いたものもありました。
反古紙に所狭しと絵を描いていて、
仙馬がいかに熱心に制作に向き合っていたかが伝わってくるようです。

展示中の仙馬の下絵帖はこちら。

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6月3日(日)までご覧いただけます!


以上、これまでのイベントのご報告でした。

会期中のイベントも、残すは、最終日6月3日(日)のミュージアムトークのみ。
開始時刻は13:30です。

お近くの皆さまもご遠方の皆さまも、どうぞふるってご参加ください!


(学芸員 袴田舞)











5月20日の特別展関連イベントの内容変更について(講師急病のため)

5月20日(日)に予定しておりました講演会「紀州のやきもの―御庭焼を中心に―」につきまして、講師の中村貞史氏の急病により、下記内容に変更して開催いたします。
お楽しみにしていただいておりました皆様には、心よりお詫び申し上げます。

スライドレクチャー「紀伊徳川家 やきもの新時代」 
担当:袴田舞(当館学芸員)
日時:平成30年5月20日(日) 13:30~15:00
会場:和歌山県立近代美術館〔博物館隣〕2階ホール
※申込不要・参加無料 

「地域とともに文化遺産の継承を担う新たな博物館づくり事業」報告

【事業名称】
「地域とともに文化遺産の継承を担う新たな博物館づくり事業」
(平成29年度文化庁「地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業」採択)

【事業主体】
 和歌山県立博物館施設活性化事業実行委員会(委員長:伊東史朗)
 事業協力:歴史資料保全ネット・和歌山(実行委員会構成団体)、和歌山県立博物館友の会(実行委員会構成団体)、和歌山県博物館施設等災害対策連絡会議、和歌山県立和歌山工業高等学校、和歌山県立和歌山盲学校ほか

【事業目的】
 本事業では、地域に伝わる文化遺産の価値や意味の顕在化・共有化と、その継承方法の新たなあり方について、多くの研究者、自治体、地域住民、学校などと連携しながら和歌山県立博物館が中心となって取り組みを行いました。
 「地域に眠る「災害の記憶」と文化遺産を発掘・共有・継承する事業」では、新宮市・北山村を中心に調査を行い、災害時に被災した文化財を保全する活動がより円滑に進められるようになりました。調査成果は調査対象地域の住民に対して小冊子『先人たちが残してくれた「災害の記憶」を未来に伝えるⅣ』(2万1千冊)を配布し、現地学習会「歴史から学ぶ防災2017-命と文化遺産とを守る-」を2度開催して「災害の記憶」についての認識を深めるとともに、被災した文化遺産に対して適切な対応ができる専門的知識や技術を習得するための公開研修会を実施しました。また把握した資料は和歌山県立博物館企画展「ふるさとからのおくりもの」(平成30年1月27日~3月4日)でも展示公開しました。地域住民の生命や生活に直結する重要な文化遺産を掘り起こし、共有化するための確かな実践方法を提示することができたと考えています。
 「複製資料による文化財の保存・活用と博物館のユニバーサルデザイン化事業」では、和歌山県内所在の文化財のうち、盗難や自然災害等で被害を受ける可能性のある重要資料として、有田川町下湯川観音堂観音菩薩立像、すさみ町持宝寺阿弥陀三尊像のお身代わり仏像を3Dプリンターにより作成して提供し、地域の信仰環境の変化を最小限に留めながら文化財を保存する方法を構築しました。最新技術を用いながら、生徒・学生と地域住民を文化遺産を継承するものであり、新聞やテレビでも広く取り上げられました。また視覚に障害のある方々の博物館利用促進のため、県立和歌山工業高等学校・県立和歌山盲学校と連携し、先の3Dプリンター製仏像をさわれるレプリカとして活用出来るようににするとともに、通常印刷と特殊印刷による点字・線図を重ねたさわって読む図録『道成寺縁起-絵巻でたどる物語-』を作製し、あらゆる人々が楽しく郷土の歴史を学ぶことができる博物館のユニバーサルデザイン化を進めました。さわって読む図録は、和歌山県立博物館企画展「きのくに縁起絵巻の世界」(平成30年3月10日~4月15日)においても活用しました。
 2つの事業は、人口減少・高齢化社会における文化財の継承と、多発する自然災害への備え、そして障害者の日常生活や社会生活の支援という、日本社会が直面する重要な課題に対して、歴史博物館の機能を活かしつつ、実際的な効果を発揮した先進的な取り組みであり、全国の博物館施設における事業のモデルケースとなったものと考えています。

【事業内容と実績報告】
1、地域に眠る「災害の記憶」と文化遺産を発掘・共有・継承する事業
 歴史資料保全ネット・わかやま(民間ボランティア組織)、和歌山県内の博物館施設等で構成される和歌山県博物館施設等災害対策連絡会議、東南海・南海地震に伴う津波被害が想定される市町村の防災担当部局・教育委員会、自主防災組織などと連携し、過去の「災害の記憶」を地域全体で共有し、継承していくことで、将来起こりうるであろう東南海・南海地震に対し、地域住民が自らの生命と財産を守っていく活動を支援する取り組みを行いました。同時に被災という事態を想定し、被災した文化財を保全する活動の前提となる被害想定地域の文化財の所在確認調査を行いました。また、かつて被害想定地域に所在し、現在神奈川大学日本常民文化研究所所蔵となった資料の所在確認を行いました。調査対象地域については新宮市・北山村を設定し、必要に応じて、昨年度までの調査対象地域についても補足調査を行っています。
 実際の調査は、調査対象地域を中心に18回行い、調査報告書の作成(県立博物館・文化遺産課・県立文書館と地元教育委員会で情報共有)と画像データの収集(県立博物館・文化遺産課・県立文書館で共有)を行いました。これによって、災害時に被災した文化財を保全する活動がより円滑に進められるようになっています。調査対象地域の住民に対しては、小冊子『先人たちが残してくれた「災害の記憶」を未来に伝えるⅣ』(平成30年1月17日発行、2万1千冊)と現地学習会「歴史から学ぶ防災2017 -命と文化遺産とを守る-」のチラシ(2万枚)を、関係自治体の協力を得て、調査対象地域の全戸と県内の関係機関に配布しました(小冊子については和歌山県博ホームページからもダウンロード可能)。
 新宮市と北山村では、「災害の記憶」の発掘と文化遺産の所在確認調査で明らかになった内容を住民に伝える現地学習会を実施しました(新宮市は平成30年2月24日参加者64人、北山村は同年2月25日参加者50人。協力者・参加者には発表資料集を配布)。参加者を対象に行ったアンケート調査からは、発掘した「災害の記憶」について詳しく知らない参加者が新宮市で7割以上、北山村では9割以上いることが明らかになり、今回の事業に大きな効果があったことが確認できました。また、被災した文化遺産に対して、適切な対応ができる専門的知識や技術を習得するための公開研修会を新宮市と和歌山市で実施しました(新宮市は平成30年2月15日参加者20人、和歌山市は同年3月15日参加者58人)。本事業についての報道も多数ありましたが、それ以外に、和歌山県立博物館のホームページなどへの掲載も行ったほか、コラム(先人たちからのメッセージ 防災減災わかやま)という形で産経新聞に掲載し、調査成果を多くの県民に広められるように努めました(2か月に1回、計6回)。

2017年度文化庁1聞き取り調査(北山村・個人宅) 2017年7月1日
2017年度文化庁2資料調査(新宮市・宝泉寺) 2017年10月16日
2017年度文化庁3現地調査(北山村・大沼周辺) 2017年10月27日
2017年度文化庁4現地調査(新宮市・減災カフェ) 2017年12月16日
2017年度文化庁5コーナー展展示風景(1月27日~3月4日)
2017年度文化庁6現地学習会(新宮市・報告) 2018年2月24日
2017年度文化庁7現地学習会(北山村・ワークショップ) 2018年2月25日
2017年度文化庁8公開研修会(和歌山市・報告) 2018年3月14日

2、複製資料による文化財の保存・活用と博物館のユニバーサルデザイン化事業
 本事業では、和歌山県内所在の文化財のうち、盗難や自然災害等で被害を受ける可能性のある重要資料として、有田川町下湯川観音堂観音菩薩立像、すさみ町持宝寺阿弥陀三尊像をを県立博物館のレプリカを作成して所蔵者へ提供し、伝来地域の環境変化を最小限に留めながら文化財を保存する方法を構築しました。また視覚に障害のある人の博物館利用促進のため、和歌山県立和歌山工業高等学校・和歌山県立和歌山盲学校と連携し、さわれるレプリカとさわって読む図録を作製し、レプリカや図録を通して楽しく学べる博物館のユニバーサルデザイン化を進めました。
 今年度は、和歌山県立和歌山工業高等学校及び和歌山大学教育学部との連携により、有田川町下湯川の下湯川観音堂本尊の観音菩薩立像(平安時代後期)と、すさみ町周参見の持宝寺本尊の阿弥陀三尊像(南北朝時代)の文化財レプリカを作製し、それぞれ実物は博物館で保管して、現地にレプリカ(お身代わり仏像)を安置しました。盗難や災害の被害から文化財を守りながら、信仰環境の変化を少なくする取り組みで、被提供者からは「集落が高齢化して管理に不安を抱えていたので安心した」、「大切な仏像を、震災・津波から守ることができ安心だ」等の意見があり、顕著な防犯、防災効果があったと考えています。
 この2件(5体)の仏像については、和歌山県立博物館においてはさわれるレプリカとして活用し、視覚に障害のある方をはじめ、あらゆる人が触れられる資料として活用します。またさわって読む図録は『道成寺縁起-絵巻でたどる物語-』と題して作製しました。絵巻物によって示される物語のおもしろさを平易に伝える内容で、視覚障害者の郷土学習、美術学習の教材として使用できる内容となっています。和歌山県立博物館企画展「きのくに縁起絵巻の世界」(3/10~4/15)にて公開するとともに、広く活用を図るため、和歌山県立和歌山盲学校、県内公共図書館、近畿盲学校、主要点字図書館、全国博物館に提供しています。全盲の利用者から、「和歌山ゆかりの地域の伝承について初めて知ることができた」「絵やその構図の雰囲気、蛇が炎を吹きだしているようすなども感じられた」などの意見があり、さわれる絵による学習効果が確かめられました。
 これらの取り組みは、資料の形を直接体感することで視覚障害者が情報にアクセスする手段として高い効果があり、かつ誰もが公平かつ柔軟に楽しめ、破損による影響も少ないものであり、博物館展示のユニバーサルデザイン化を促進させる効果があったと考えています。
 事業内容については、新聞各紙(読売新聞2017年8月4日、12月18日、2018年2月9日、毎日新聞2018年3月5日ほか)のほか、テレビではNHK(和歌山)「あすのWA!」2017年12月20日、NHK(関西)「関西NEWS WEB」2017年12月26日、NHK(全国)「おはよう日本」2018年3月6日において報道され、広くお知らせすることができました。
2017年度文化庁9和歌山工業高等学校でのレプリカ制作のようす(3Dデジタイザーによる計測)
2017年度文化庁10和歌山大学教育学部美術専攻学生による着色作業
2017年度文化庁11有田川町・下湯川観音堂観音菩薩立像(左:実物 右:複製) 実物は平安時代後期(12世紀)
2017年度文化庁12有田川町・下湯川観音堂へのお身代わり仏像の奉納(2017年7月28日)
2017年度文化庁13すさみ町・持宝寺阿弥陀如来立像(左:実物 右:複製) 実物は南北朝時代(14世紀)
2017年度文化庁14すさみ町・持宝寺へのお身代わり仏像の奉納(2018年2月27日)
2017年度文化庁15さわって読む図録『道成寺縁起-絵巻でたどる物語-』

特別展「紀伊徳川家 やきもの新時代」オープンしました。

おかげさまで、2018年度春期特別展
「紀伊徳川家 やきもの新時代 ―富国と栄華の19世紀―」が、
昨日オープンしました。

オープン前夜看板
(クリックで拡大します)

江戸時代の終わりから明治時代のはじめにかけての約80年間は、紀州で最もやきもの生産が盛んだった時代です。
この特別展は、その頃の紀州の変化と、時代を反映したやきものの魅力を伝えようとする展覧会です。

第1章 御庭焼と藩主のサロン
第2章 陶工の招聘と陶磁器生産の黎明
第3章 三大窯の隆盛 ―偕楽園・瑞芝・南紀男山―
第4章 江戸時代の終焉と新時代の幕開け

詳しくは、特別展紹介ページ↓↓へどうぞ
http://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/yakimono_sinjidai/frameset.htm


本日22日は、1回目のミュージアムトークを行いました。

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(クリックで拡大します)

約10名の方々が参加してくださり、
楽しく質疑応答をしながらのトークとなりました。

午前・午後と、取材にもお越しいただきました。
明日か明後日、夕方のテレビで博物館を映していただけるようで、楽しみです。

次回のミュージアムトークは、4月28日(土)13:30~です。

ゴールデンウィークのお出かけに、ぜひ博物館へお越しください。


(学芸員 袴田)



1/24~26 和歌山工業高校インターンシップ


今年度最後の職場体験は、県立和歌山工業高等学校です。
生徒さん3人が、1月24日(水)~26日(金)の3日間、インターンシップに来てくれました。

【初日】
まずは、毎回恒例、朝礼での挨拶・自己紹介をしてもらい、
それから早速展示室のガラス拭き。
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そのあと、博物館の施設見学を行いました。

午後は、博物館で保管している写真フィルムの整理作業を行ってもらいました。
フィルムに指紋や傷を付けないように、白手袋やピンセットを使って、
丁寧に入れ替えていきます。
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フィルムケースに資料名が付いていないものは、
展覧会図録を見て一致する資料を見つけ、自分でケースに資料名を書きました。


【2日目】
今日もガラス拭きから始まります。
その後は昨日に引き続き、写真フィルムの整理です。
昨日付けた資料名を今度はパソコンで入力して、検索できるようにします。

午後は、収蔵庫の掃除をしました。
貴重な収蔵品に危険がないように気をつけながら、
広い部屋に隅々まで掃除機をかけるのは、けっこう疲れたようです。
特にこちらから指示しなくとも、
自然と手助けしあって、コードが引っかからないようにしていたのは、さすがです。
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それから、1月27日からの企画展「ふるさとからのおくりもの 新収蔵品展」
の展示作業を手伝いました。
パネルを取り付ける台を修理したり、章タイトルのパネルを打ち付けたりしました。


【3日目】
最終日の午前は、ガラス拭きの後、展示の仕上げのお手伝いです。
企画展示室に入って最初にお客様をお迎えする、
展覧会タイトルパネルをボードに打ち付けてもらいました。
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3人で手分けして、釘を打ったり、支えたり、見ばえを確認したりしながら、
手際よく完成させてくれました。
展示替えで出たキャプションなどの片付けも、素早く行ってくれました。

休憩後は、部屋に戻り、写真フィルム整理の仕上げです。
午後の時間も少し使って、残ったデータの入力、番号付け、配架をしました。
手が空いた人には、文献データの入力も手伝ってもらいました。
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膨大な量の写真に、「いつ終わるんだろう……」と不安になったことと思いますが、
素早く正確に終わらせてくれました。パソコンの扱いにも長けていて素晴らしい!

午後は、受付、ミュージアムショップ、監視、学習室の仕事を体験してもらいました。
お客様にコーヒーを出すなど、接客の体験もできました。



3日間のインターンシップは、緊張もあり、疲れたことと思います。
今回はなんと、中学生のときにも職場体験に来てくれた方もいました。
そのときと重なる部分もあったと思いますが、
中学生のときとは違う新しいことも経験してもらえたようで、よかったです。

よく気がつき、チームワークよく仕事をしてくれる3人でした。
将来社会に出ても、今回のように、協力しあってお仕事をしてくれるといいなあと思います。
色々な仕事を手伝ってくれて、とても助かりました。
3日間ありがとうございました。

これからも気軽に、博物館に遊びに来てくださいね。
いつでもお待ちしています。

(学芸員 袴田舞)






明日から、企画展とコーナー展示が始まります

明日27日(土)から、企画展「ふるさとからのおくりもの」
             コーナー展示「先人たちがのこしてくれた災害の記憶」が始まります。

企画展は、近年当館が収集した資料を次の4つのコーナーにわけて紹介します。
1家の歴史を伝える資料
2紀州の画家が描いた資料
3紀州徳川家ゆかりの資料
4地域を特色づける資料

展示はこんな感じです。
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コーナー展示は、国庫補助を受けて調査をおこなっている県内に残る「災害の記憶」に関わる資料を紹介します。
今回は、これまで調査した、那智勝浦町、由良町、今年調査した新宮市、北山村で、
所在が確認された、「災害の記憶」に関わる資料を中心に展示しています。

展示はこんな感じです。
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ご来館いただいた方で、ご希望される方には、『先人たちが残してくれた「災害の記憶」を未来に伝えるⅣ』を無料でお渡しします。
3月4日までです。ご来館をお待ちしています。

(主任学芸員 前田正明)

28日(木)は2017年最後の開館日・新年は4日(木)より開館します

ごぶさたしております。

本日は、和歌山県立博物館の、2017年最後の開館日です。
受付は16:30までで、17:00までご観覧いただけます。

2018年は、1月4日(木)9:30より開館いたします。

ベートーヴェンやヘンデルの自筆楽譜が見られる
企画展「南葵音楽文庫 音楽の殿様・頼貞の楽譜コレクション」は
年明け1月21日(日)まで開催中!

楽譜は読めないしなあ…
楽譜なんてどれも一緒じゃないの?
なんて心の声も聞こえてきそうですが、
いえいえ、手書きの楽譜は、ゆっくり眺めていると、
一点一点表情が違い、書き手の個性が見えてくるようで、
楽譜が読めなくても楽しめます。
全点解説(キャプション)つきですし、
1月7日(日)
1月14日(日)
1月20日(土)
には、音楽の専門家によるミュージアムトークも行われます。
どうぞお見逃しなく。


2017年も和歌山県立博物館の活動にご理解、ご協力いただき
まことにありがとうございました。
2018年も、魅力的な活動を展開できるよう、職員一同頑張ります。
来年も、和歌山県立博物館をどうぞよろしくお願いいたします!

みなさまにとって、2017年はどんな一年になりましたか?
2018年が、笑顔あふれる素敵な年になりますように。

(学芸員 袴田舞)

特別展図録『道成寺と日高川』について

特別展図録『道成寺と日高川』では、出陳全作品の図版・解説とともに、下記論考・コラムを掲載しています。
盛りだくさんの内容ですので、ぜひお求め下さい(A4版、252ページ、2000円)。
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購入方法はこちら→和歌山県立博物館の出版物

【論考】
「道成寺と日高川―道成寺縁起と流域の宗教文化―」大河内 智之(主査学芸員) 
「「道成寺縁起」の成立圏―湯河氏と南都絵所の関与をめぐって」高岸 輝 氏(東京大学大学院准教授)
「道成寺本堂―建築的特質と道成寺の来歴を探る―」鳴海 祥博 氏(元(財)和歌山県文化財センター)
「絵ものがたりとしての「道成寺縁起」絵巻の世界」阿部 泰郎 氏(名古屋大学大学院教授)

【コラム】
①「古代の日高郡―日高川流域を中心に―」竹中 康彦(学芸課長)
②「伽藍配置からみた道成寺」丹野 拓 氏(和歌山県教育庁文化遺産課主査)    
③「新出道成寺千手観音像部材の年輪年代測定」 大河内 隆之 氏(奈良文化財研究所主任研究員)
④「道成寺の国宝千手観音立像について」三本 周作 氏(和歌山県教育庁文化遺産課副主査)  
⑤「道成寺蔵『千手千眼陀羅尼経』に見る「書写の功徳」と「加点の功徳」」宇都宮 啓吾 氏(大阪大谷大学教授)  
⑥「阿田木祭と熊野信仰」蘇理 剛志 氏(和歌山県教育庁文化遺産課副主査)  
⑦「日高川流域の中世」坂本 亮太(学芸員)
⑧「道成寺と芸能」吉村 旭輝 氏(和歌山大学特任准教授)  
⑨「道成寺縁起の修理とその成果」大野 恭子 氏(株式会社修美取締役修復部部長)  
⑩「日高と南都の接点―和歌山唯一の宿院仏師作例―」大河内 智之(主査学芸員)
⑪「道成寺建立縁起の展開と来歴」大橋 直義 氏(和歌山大学准教授)
⑫「熊野古道と道成寺縁起―関連故地をめぐる―」坂本 亮太(学芸員)
⑬「道成寺の伝説と絵巻にお仕えして」小野 俊成 氏(道成寺院主)

道成寺縁起(重要文化財・道成寺蔵)の詞書釈文と現代語訳

道成寺縁起(重要文化財・道成寺蔵)の詞書釈文と現代語訳

凡例
・特別展「道成寺と日高川」出陳の道成寺縁起(重要文化財・道成寺蔵)の鑑賞支援のための釈文及び現代語訳です。
・掲示の方法は、先に釈文を全文示し、次に現代語訳全文を示しています。
・釈文は原資料の改行部分を反映していません。また釈文中の「〱」は繰り返しを表す記号です。
・現代語訳の解釈は、確定的なものではなく、便宜的なものです。
・釈文・現代語訳ともに、男女間の差別の実態を示す不適切な文言が含まれますが、現代社会においてもなお残る人権に反した差別構造を解消することが私たちの共通の責務であり、歴史的事象と正しく向き合うことの重要性を鑑み、史料としてそのまま提示するものです。
・釈文、現代語訳は、主査学芸員大河内が担当しました。

【釈文】
[上巻]

醍醐天皇之御宇延長六年戊子八月之比自奥州見目能僧之浄衣着か熊野参詣するありけり紀伊国室の郡真砂と云所に宿あり此亭主清次庄司と申人の娵にて相随ふ者数在けり彼僧に志を尽し痛けり何の故と云事をあや敷まてにこそ覚けれ然に件の女房夜半計に彼僧のもとへ行て絹をうち懸制伏て云様わら我家には昔より旅人なと泊らす今宵かくて渡せ給ふ少縁事にあらす誠一樹の影一河の流皆先世の契とこそ承候へ御事を見まいらせさふらふより御志し浅からす何かは苦敷候へき只かくて渡せ給候へかしと強に語ひけれは僧大に驚き直申す年月の宿願在て持戒精進而白雲万里の路を分蒼海漫〻の浪を凌て権現の霊社に参詣の志を運争か此大願を破へきとて更に承引気色なし女房痛恨けれは僧の云此願今二三日計なり難無参詣遂宝弊を奉り下向の時哪にも仰に随ふとて出にけり大方此事思も寄ぬ事なれは弥信を致しけり其後女房僧の事より外は思はす日数を算て種〻の物を貯て待けれとも其日も暮けれは上下の檀那にしかくの僧や下向し候つると尋けれは或上道の先達さやうめかしき人は遥に過候ぬらんと申も終されは偖はすかしにけりと怒て鳥の飛かことく叫行設深き蓬か元まても尋ゆかんする物をとてひた走にはしりけり道つきすりの人〻も身の気よたちてそ覚えける

争か偽事をは申候へき 疾〻参候へし
かならす待まいらせ候へし

先の世の契りのほとを御熊野ゝ神のしるへもなとなかるへき
御熊野ゝ神のしるへと聞からになを行末のたのもしきかな
これまてにて候下向を御待候へ

なふ先達の御房に申候我わか男にて候法師かけこ手箱の候を取て逃て候若き僧にて候か老僧とつれて候いか程のひ候ぬらむ
さ様の人は今は七八町のひ候ぬらむ
七八町と云事あらし十二三町も過候へし

やゝ先達の御房に申すへき事候浄衣くら懸て候若き僧と墨染着たる老僧と二人つれて下向するや候つると尋けれはさ様めかしき人は遥に延候ぬらむといゑはあな口惜やさては我をすかしにけりと追て行縦くもの終霞の際まても玉の緒の絶さらむ限りは尋む物をとてきりむほうわふなんとのことく走とひ行けり

能程の事にこそ恥の事も思はるれ此法師めを追取さ覧かきりははき物もうせふかたへうせよとて走候
女房は御覧し候か
あな〱恐しやいまた此法師はかゝる人を見候す〱

あな〱口惜やいちとてもわれ此法師めを取つめさらん限は心はゆくましき物を
能程の時にこそ恥もなにもかなしけれうらなしもおもてなしもうせふ方へうせよ
こゝなる女房のけしき御覧候へ
誠にもあな〱をそろしの気色や
人のあひたらんにはつかしさはいかに
けにもくるしかるましくはたひもせよかし
道にてはくるしからぬ物にて候へはふくたやしなはせ給へ
きぬはりはきのにくさはともすれはくゝりかとけてたまらはこそあらめ

あな〱口惜やいかゝはせむ〱この身をはこゝにてはやすてはてゝ命を思きりめ河なけきのなみた深けれはうき名をなかすとても力なき事かな

きりめ五躰王子

やゝあの御房に申すへき事あり見参したるやうに覚候いかに〱とゝまれ〱
(こゝは上野といふ所)
努〻さる事覚候はす人たかへにそかくはうけ給候らん
己れはとこまて〱やるましき物を

南無金剛童子助させ給へあな恐しのつらつふてや本より悪縁と思しか今かゝるうき目を見る事よおゐも笠も此身にあらそやおしからめうせふ方へうせよ
  欲知過去因 見其現在果
  欲知未来果 見其現在因

先世にいかなる悪業を作て今生にかゝる縁に報らん南無観世音此世も後の世もたすけ給へ

(塩屋と云所)

南無大悲権現と口に唱え心に念して逃けり自から人の気色したりしたにも心身につかすいはむや蛇となれるを見つゝ声も惜ますおめき行

あゝ世末になれはとて親りかゝる不思儀の事もありけり目も心も不及

日高河と云かわにて折節大水出て此僧舟にて渡ぬふな渡に云様かゝる者の只今追而来るへし定而此ふねに乗らんといはむす覧穴賢〻〻のせたまふなといひけり此僧はいそき逃けりあむのことく来て渡せと申けれとも舟渡わたさす其時きぬを脱捨て大毒蛇と成て此河をは渡りにけり舟渡をはちけしと申ていわうちにありけると日記には慥に見えたりこれを見む人は男も女もねたむ心を振捨て慈悲之思をなさは仏神の恵あるへし

[下巻]
日高郡道成寺と云寺は文武 天皇之勅願紀大臣道成公奉行して建立せられ吾朝の始出現千手千眼大聖観世音菩薩の霊場なり件僧此寺に参事の子細を大衆に歎けれは衆徒愍を垂て大鐘を下して僧を中に籠御堂を立けり此蛇跡を尋て当寺に追来り堂のめくりをたひ〱行まはりて僧の居たりける戸に至尾にて叩破て中に入て鐘を巻て龍頭をくわへて尾を以たゝくさて三時あまり火焔もえあかり人近付へき様なし身の気よたちてそ覚ける四面の戸を開寺中寺外の人〻舌をふり目を細めつゝ中〱言葉なくてそ侍りける偖蛇両眼より血の涙をなかし頭をたかくあけ舌をひろめかし本の方へ帰りぬ其時近く寄て見るに火いまた消す水を懸て鐘を取除て見れは僧は骸骨計残て墨のことし目もあてられぬ有様哀みの涙せきあへす老若男女近も遠も見る人は哀を催さぬはなし其後日数経て或老僧の夢に見るやう二の蛇来て我は鐘にこめられまいらせたりし僧なり終に悪女のため夫婦となれり吾先生の時妙法を持つといへとも薫修とし浅くしていまた勝利にあつからす先業限あれは此悪縁にあふ願は一乗妙法を書供養しまし〱て廻向給へ然者吾菩提を証し得脱をゑん事疑なし僧も後生を成就せむ事子細あるへからすと夢現ともなく見えけり則信を致経を供養しけり此事を倩私に案するに女人のならひ高も賤も妬心を離れたるはなし古今のためし申つくすへきにあらすされは経の中にも女人地獄使能断仏種子外面似菩薩内心如夜叉と説かるゝ心は女は地獄の使なり能仏に成事を留めうゑにはほさつのことくしてうちの心は鬼のやふなるへし然共忽に蛇身を現する事は世にためしなくこそ聞けれ又たちかへりおもへは彼女もたゝ人にはあらす念の深けれはかゝるそと云事を悪世乱末の人に思知せむために権現と観音と方便の御志深き物なり且は釈迦如来の出世し給しも偏に此経の故なれは万の人に信をとらせむ御方便貴けれは憚なから書留る物なり開御覧の人〻はかならす熊野権現の御恵にあつかるへき物なり又念仏十返観音名号三十三返申さるへし

なにとさへける事そ誠しからぬ事かな
いかてか空事を申入候へき
たゝおけきりなくて見せむもの〱しく

大唐はそもしらす我朝に取てはいたく其例ありともきかす言語なき事かな
その事に候いくたの森に身を捨し女もしにてこそ鬼とはなりけるときゝ候へ
其鐘を御堂の内へ入よ戸をたつへし

かやうの事を各〻にはとくいはて
かねひきかつきてあやまちすな
あゝ
たゝをけこれほとの物を
ゑい〱

希代ふしきの事かな
とはなに事そ

(一切恭敬)

其後老僧夢に見る様清浄の妙衣着たる二人来て申す一乗妙法の力によりて忽に蛇道を離れて忉利天にむまれ僧は都率天にむまれぬこの事をなしをはりて各〻あひわかれて虚くうにむかひてさりぬと見えけり一乗妙法の結縁いよ〱たのもしくて人〻をこたらすよみけり

声を高くあけてよむ
正直者(捨)(捨)方便
伹説无上道

(花押)
右此御判者 御公方様/天正元年十二月日望興国寺/被移 御座節此縁起為御所望/之間即懸御目 御感不斜/可為日本無双之縁起時代迥/此歓見不思儀也被出仰末代之/御禄被印 御判時別当永叶/御盃相添御太刀一腰御馬一疋/下給候而已

【現代語訳】
[上巻]
 醍醐天皇の御代、延長六年(九二八)八月のころ、奥州より美しい僧が清らかな衣をまとって熊野に参詣していました。紀伊国牟婁郡の真砂というところに宿があり、その亭主は清(きよ)次(つぐ)庄(しょう)司(じ)という人の嫁で、召使いもたくさんいました。その女房は僧を歓待しましたが、僧はなぜそんなに親切なのか怪しむほどでした。その夜、女房は僧のもとにきて、夜(よ)着(ぎ)をかけて僧に添い寝し、「この家には昔から旅人なんて泊めません、このように私が誘うことになったのも、一樹の影一河の流れ、前世からの因縁でしょう。あなたを一目見た時から思う気持ちは浅からず、何も遠慮せずに、どうぞここで一緒に暮らしましょう」と強引に語るので、僧は大いに驚き、起き直して言うには、「宿願があって持戒・精進し、遙か遠くの道のりや、激しい波濤を越えて熊野権現に詣りにきたのに、どうしてこの大願を破れますか」と応じるようすでありません。女房がひどく恨むと、僧が言うには「あと二、三日で無事に参詣して宝幣を奉れば、帰る際に言う通りにしよう」と行って家を出ました。僧は思いもよらぬことで、いよいよ信心を固めたのでした。女房は僧のことだけを思い、いろいろなものを用意して待っていましたが、日も暮れ、往来の人々に「このような僧が下向して来ませんでしたか」と尋ねると、ある先達が「そのような人ならばはるか先に行っています」と言い終わらないうちに「さては騙したな」と怒って、鳥が飛ぶように叫びながら「どんなに深い草むらの根元までも尋ねて行く」とひた走りに走りました。行きずりの人々は女房を見て、身の毛もよだつ思いでした。

「どうして嘘をいうことがありましょうか。急いでお参りしてきます。」
「必ず待っておりますから」
「先の世の契りのほどを御熊野の神のしるべもなどなかるべき」
(前世からの約束であるのだから、熊野の神の霊験がどうしてないことがありましょうか)
「御熊野の神のしるべと聞くからになを行く末のたのもしきかな」
(熊野の神の霊験と聞きますと、これから先の無事を思い頼もしく思います。神を信じていきましょう)
「それではこれで。下向をお待ち下さい。」

「ねえ、先達の御房にお尋ねします。私の男(下男か)であった法師が、懸子の箱を取って逃げました。若い僧ですが、老僧と連れ立っています。どれくらい逃げましたでしょうか。」
「そのような人は、今は七~八町(七〇〇~八〇〇m)は先に行っていると思いますよ」
「七~八町ということはないだろう。一二~一三町(一・二㎞~一・三㎞)は過ぎただろう。」

「おーい、先達の御坊に聞きたいことがあります。浄衣を懸けた若い僧と墨染めの衣を着た老僧が二人連れ立って下向するのを見かけませんでしたか」と尋ねると、「そのような人ならば、はるか先に行っていますよ」というと、「ああ悔しい。さては私を騙したな」と言い追って行きました。

「たとえ雲の果て、霞の際までも、自分の命の絶えない限りは追いついてやる」と言って、麒麟か鳳凰のように飛ぶように走って行きました。

「普段のことなら恥ずかしいということも思うけれど、あの法師を追いかけ捕まえるまでは(そんなことを思っている場合でない)。そんなことであるから、履物なんか、どこへなと行ってなくなってしまえ」と言って走って行きます。
「今の女房見ましたか」
「ああ、ああ、恐ろしい。今まで私はこんな人を見たことがない」

「ああ、ああ、悔しい。一度でもあの法師を引っ捕らえてやらない限りは胸がはれないものだ」
「普段のときであれば、恥も何も大切にするものであるけれど、(女性用の)うらなしの草履も、面(おもて)なし(恥ずかしさ)もどこへなと消え失せてしまえ」
「そこの女房の顔を御覧なさい」
「本当に、まあまあ恐ろしい形相だこと」
「人に会ったらどんなに恥ずかしいことでしょう」
「さあどうしよう、ほんとうにかまわないなら、食べてみてもいいわ」(左の男が勧める餅を見て)
「道中では構わぬものですから、福田餅をお食べなさい」
「絹の脛巾の具合の悪い所は、ともすると、しばっている紐のくくりがほどけてしまうことだなあ」

「ああ、ああ、悔しい。どうしてやろう。たとえこの身をここに捨て果てて、命を思い切ったけれど、ここは切目川。嘆きが深く涙があふれてしまう。浮き名を流したとしても、どうすることもできない」

(切目五体王子)
「おーい、そこの御房に言うべきことがある。あなたとは会ったことがあると思うが、どうなの、どうなの。止まれ、止まれ」
(ここは上野というところ)
「ゆめゆめそんなことは覚えておりません。人違いです。そのようなこと、なかったですよ」
「おのれは(なんとひどい奴なのだ)。どこまでも、どこまでも、逃がしはしません」

「南無金剛童子、お助けください。ああ恐ろしい形相だ。元から悪縁とは思っていたが、こんな辛い目に遭うことになろうとは。笈(おい)も笠も、この身に付けていくのなら惜しいが、今ハそれどころでない。どこへでも行ってしまえ。」
過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すればその現在の因を見よ。

「前世にどんな悪行を作って、今生にこんな報いを受けるのだろう。南無観世音、この世も後の世もお助けください。」

(塩屋というところ)
「南無大悲権現」と口に唱え、心に念じて逃げて行きました。もともと女房が人の姿をしていたときでさえ、恐ろしくて気が気でなかったのに、蛇になるのを見てしまったら、あらん限りの声で叫びながら逃げていきます。
「ああ、世も末であることだ。目の当たりにこんな不思議なことがあるなんて。目も心も及びもつかない」

 日高川という川では、その時大水が出ており、僧は舟で渡りました。渡し守に「このような者がすぐに追ってきて、きっと舟に乗ると言うので、絶対、絶対、乗せないように」と。僧は急いで逃げ、その通り女房がやってきて「渡せ」と言うけれど、渡し守は渡しませんでした。その時女房は着物を脱ぎ捨て、大毒蛇となって川を渡りました。この時の渡し守は「ちけし」と言って、岩内にいると日記に確かに書いてあります。この絵巻を見る人は、男も女もねたみの心を捨てて、慈悲の思いを起こしたならば、仏神の恵みがあるでしょう。

[下巻]
日高郡の道成寺という寺は文武天皇の勅願で、紀大臣道成公が奉行して建立せられた、わが国で初めて千手千眼観音が出現せられた霊場です。件の僧がこの寺に来て、事の仔細を寺の衆徒たちに訴えると、衆徒たちは僧をあわれみ、大鐘をおろして僧をその中に入れ、お堂に戸を立てました。蛇は僧の跡を追ってこの寺に来て、堂の周りをぐるぐる回り、僧のいる戸に至り、尾で叩き破って中に入り、鐘を巻いて竜頭をくわえ、尾で鐘をたたきました。一時間半ほど火焔が燃え上がり人は近付けられず、衆徒は、身の毛がよだつ思いで四面の戸を開き、ただ舌を振り目を細めるばかりで言葉もなくいました。蛇は両眼から血の涙を流し、頭を高く掲げ、舌を出してもと来た方に帰って行きました。近くでみると火が消えておらず、水をかけ、鐘を取り除くと僧は骸骨ばかり残って炭のよう。目も当てられぬ有様で、哀れ涙は止まりません。老若男女、近くも遠くもみな哀れみを催さないものはなかった。その後数日を経て、ある老僧の夢に二匹の蛇がきて、「私は鐘にこめられた僧で、ついに悪女のために夫婦になりました。生前は法華持経者でしたが、修行の年浅く成果が得られず、修行が足りずにこの悪縁に会ってしまいました。 願わくは、法華経を書写して供養して下さい。そうすれば私は必ず菩提を証して解脱できます。あなたも来世に仏果を成就できます」と、夢とは思えないようすで見えたのです。僧はこれを信じ、法華経を供養しました。このことを考えるに、女人は、高貴な人もそうでない人も妬み心のない人はなく、涅槃経にも「女人地獄使、能断仏種子、外面似菩薩、内心如夜叉」と説かれているその意味は「女は地獄の使いで、成仏することを留め、表面は菩薩のようだが、心の内は鬼のようだ」ということですが、たちまち蛇身となることは例のないことです。 振り返ってみると、彼女もただの人ではなく、思いが深いとこうなることを悪世乱末の人に思い知らせるための、権現と観音の深い志を持った方便なのです。また釈迦如来が出現されたのも、ひとえにこのお経のためですから、すべての人に信心の心を起こさせる方便の貴さを書き留めます。この絵巻を開きご覧になる方は、必ず熊野権現のお恵みを受けられます。念仏一〇返、観音名号三三返を称えてください。

「何と騒々しいことか、本当とも思われぬことだなあ」
「どうして嘘を申しましょうか」
「ほおっておけ。無限の力を見せてやろう。大騒ぎするな」

「大唐国のことは知らないが、日本ではそういう例があったとも聞いたことがない。言語道断のことだな」
「そのことです。生田の森に身を捨てた女も、死んだからこそ鬼になったと聞いていますよ」

「その鐘を御堂の中に入れて戸を立てて閉めよ。」
「このような事を、みんなに早くに言わずに(急にやれという)」
「鐘を担ぎ出して、落とすなよ」

「ああ」
「そのまま置こう。これほどの物だから(大丈夫)」
「えいえい」

「希代の不思議なことだな」
「これは何事でしょう」

(一切の仏を恭しく敬います)

 その後老僧の夢に、清浄の妙衣を着た2人が現れて「法華経の功徳によって、たちまちに蛇道を離れて、女は忉(とう)利(り)天(てん)に生まれ、僧は都(と)率(そつ)天(てん)に生まれました」と言うと、それぞれ別れて、虚空に向かって去っていくのが見えました。一乗妙法の経典である法華経に結縁することがいよいよ頼もしく、人々は怠ることなく読誦を続けました。

声を高くあげて読む
正直捨方便
但説無上道

(足利義昭花押)
右のこの御判は御公方様(足利義昭) が、天正元年一二月一五日に興国寺に移られた節、この縁起をご所望され、すぐにお目にかけたところたいそうお喜びになり、「日本に二つとない縁起で、時代は遙かであるがこのように歓び見るのは不思議であるとおっしゃって、末代の御禄にと御判を印せられた。その時の別当永叶に御盃、御太刀一腰、御馬一疋を添えて下された。

Appendix

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